2009年3月23日 (月)

アメリカの物々交換システム

 マネーなし?で1兆6千億円の市場がアメリカにあります。
 日経CNBCのニュースによるとアメリカで現在拡大中の事業が「物々交換システム」。去年の市場規模が1兆6000億円。おカネ(貨幣)の支払い無しで成立している企業があり、その取り扱い市場規模です。

 ニュースではある企業のオフィスを取材。オフィスではキレイなデスクや椅子、事務用品が使われています。これらのデスクなどは取引先から<支払い>として受け取ったもの。この企業は取引相手の企業からおカネではなくデスクなど物品を受け取っているのです。取引先から200万円相当の警備の仕事を受注し、200万円相当の自動車を受け取る企業…。この支払いの形態は市場として拡大中で去年は1兆6千億円相当ということ…。
 おカネ(による通常のやりとり)そのものは必要最小限のものとして給料や税金として支払うものなどにとどめ、できる限り「物々交換システム」を利用しているということです。

 これは簡単にいえばモノをおカネ(貨幣)の代わりに使っているシステム(≒市場)です。ポイントはモノの価値の査定。たまたま自動車が必要だった企業には自動車で支払いができますが、自動車を必要としない会社に対しては自動車の価値はありません。支払い関係から見たモノの価値が多種多様で多元的なので、あるモノを支払先にマッチングさせる、あるいは支払いにどのようなモノが必要かリサーチする、そういったレアで膨大な情報とその査定が重要でありすべてなのでしょう。支払う段階よりその前段階の支払先とモノのマッチングの段階で市場は形成されており、リアルな支払い=物納の時点では単に手続化していると思われます。
 膨大な量の(供給できる)モノ情報と、日々に変化する支払先(から)の必要物資(個別の需要)の情報をDB化し個別案件にマッチングさせていくという業務は典型的なIT事業。今後日本でも大きく展開する可能性はあるのでしょうか…。

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 「物々交換システム」というのはマネーが介在しないようですが、逆にいえばさまざまなモノがマネーで(も)あるシステムともいえます。あるいは交換という機能の歴史的な発達の成果でもあるマネーが価値の代替象徴としての形態さえ失って消失した市場システム…ともいえるかもしれません。その使用価値だけの市場?というか相対取り引きの共同化というか…そこに近い将来の姿の一端があるのは確かです。

 「ロシアのソフトパワー?」で紹介しましたが、ソ連邦崩壊後のロシアが経済的な破綻を乗り切ることができた大きなファクターとして<物々交換>があったことを書きました。ロシアでは自発的で創発的な<贈与>と<物々交換>が社会を救った面が少なくないワケです。日本の大企業16社で33兆円といわれる社内留保金も、その数%が何らかのかたちで<贈与>でもされたら日本経済のV字回復や中長期的で根源的な構造改革のプラスになったかもしれません…。池田blog「贈与論」に紹介されているようなバタイユ式の<蕩尽としての贈与>の可能性とともに、救済としての<贈与>の可能性や、現在のお金で支払う市場に代わってどこまで<物々交換>(の市場)などが形成されていくのか?
 リナックスをはじめネットには<これから>を示してくれるものがまだまだありそうな気がしますが…。

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2009年3月12日 (木)

「レクサス問題」マトメ?

レクサスが売れない理由?
レクサスが売れない理由?2
上記のレクサス問題についてちょっと説明がヘタでした。いくつかの問題を〝レクサスが売れない理由〟(ひとつだけ)から導こうとしたのでわかりにくい?文だったと思います。いやあ企画立てたり情報誌がくれたアナリストという肩書が…泣く。(^^;)

 池田blog「イノベーションの経済学 講義録」にとても実効性のありそうな講義録の紹介があります。企業人も起業人も必読必聴でしょうが官僚の方にこそ知ってほしいもの。もともとアタマがキレるハズの官僚ならばコレらを実行し実効させるのが役割のハズ…。それにイノベーションてシュンペーターが好きなハズのテクノクラートには人気でしょ?

 ところで市場ベースでの問題では〝まともなものが売れない〟という事実があります。商品なども企画の段階でできたものをレベルダウンさせて商品化する現実が少なくなく、特に大衆消費の現在では価値感もさまざまで〝いいものが売れる〟とは限らず、〝いいだけでは売れない〟現実があります。その具体例としてレクサスの問題が浮かんだワケです。

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   ブランドとは何か?
   レクサスはブランドか?
   レクサスはブランドの定義に合致したものか?
   日本ではブランドの定義が転倒しているが、
   そのためにレクサスは売れないのではないか?

   …などと考えてみましたが。

 マトメると…

「レクサスが売れない理由?」では以下を説明・・・

・レクサス・トヨタはブランド力がある。

販売初期に売れるのは<せきたて>心理の効果だ。
 <せきたて>心理を起こすのがブランド力だ。

・ではなぜレクサスは中長期的に売れないのか?
 アメリカでは売れている。


「レクサスが売れない理由?2」では以下を説明・・・

・ブランドは〝堅牢性や高性能〟を集約して象徴し高価だ。
       ↓
  <ブランドものは高価>

日本では一般的に〝高価なもの〟がブランドだと逆転している。
       ↓
  <高価なものはブランド>

<高価なものを買うワタシは…>とか<…なワタシは高価なものを買う>というトレンドがある。ある意味<…>で形容される<ワタシ>の物語だ。


◆<レクサス>について考えてみると…

 ハードとしてクラウンと同じ、
 ソフトとしては一般販売と同じ、
 コストとして高い、

 …という問題がある。

・これでは<ワタシ>の物語にならない…ソフトの欠陥
・そしてドイツ車あるいはGT-Rのような特徴がない…ハードの凡庸
・安定したハードに単にラグジャリーな味つけではプレミアムが無く、わざわざ高額なレクサスを購入する意味が無い…。

◆結論

 つまり…
 顧客に<主人(公)>としての位置づけがない。
 顧客は他者に対して<物語る>ことができない。


 経済的状況からもレクサスの今後はわからない。

 ただしトヨタは建築の方面で大きなイノベーションを起せる可能性がある。
 この意味ははてしなく大きいかもしれない…。

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2009年2月18日 (水)

卵のプレゼンス

 最初にWebをはじめたのが村上春樹作品を自由に語りたかったからで、今回のエルサレム文学賞受章で初心?に戻りデジャブのようなものを楽しむことができました。件の感想は…

 今回のエルサレム文学賞受賞のスピーチは、
 はじめて踏み出したような一歩に見えました。
 自分のジャンルの外へ、
 自分の方法でもって初めて歩み出た、という…。

 <小説家という嘘の紡ぎ手>から<ライターという事実の記述>へのシフトとチャレンジは「アンダーグラウンド」でトライされましたが、今回は具体的な行動としての一歩だと思います。これからも別に何かしてくれというワケじゃありませんけど。

 以前に読んだ雑誌か本で、村上春樹さんのコメントで印象に残っているのが学生運動の時代の人であることをたずねられた時のコメント。〝心情的には支持できても人と組むのがイヤだし、デモで手をつないだりするのもイヤだ〟というようなコトを言っていたと思います。何かすごく共感できて、同じ感覚の人がいるんだ! とちょっとウレシクなったのを憶えてます。

 

 1979年  『風の歌を聴け』
 1980年  『1973年のピンボール』
 1982年  『羊をめぐる冒険』

 呆れるほどリピートして浸ったのがこの3部作。形容に数字を使うクールさとそのリアリティ。社会の原形みたいに3名だけといっていい登場人物。僕と鼠と女の子。独白がダイアローグになっているような不思議な言葉と文章。
 何よりも、内容ではなく、文体そのものがこれほど魅力をもった作品はいままでなかったような気さえします。世界的にも安部公房以来の日本文学のプレゼンスだと思います。当初日本では、村上春樹作品への激しい批判がありました。村上龍作品も同様で、表現の世界では新しいものが生まれつつあったんですね。高橋源一郎の登場も衝撃だったし。10年かけて文体を変えた柴田翔のような純文学の重鎮もいますが、村上春樹の3部作は当時コピーライターご用達でした。仕事で『羊のレストラン』を書いている高橋丁未子さんのところへ取材に行ったり、村上春樹さん本人はメキシコへ行っていた期間で直接取材できなくて残念でしたが…いくつか想い出があります。八重洲ブックセンターで見かけたステンコートとコッパンのご本人はまるで<村上春樹>でした。当然だけど。w

池田blog「壁と卵」で今回の件を知りました。池田氏のコメントでありましたが、村上春樹さんのプレゼンスは日本の誇りですね。

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2009年2月17日 (火)

ロシアのソフトパワー?

 先週の経済ニュースで驚いたのがロシアのデフォルト(の可能性)。ロシアが40~50兆円くらいのソブリンデフォルトかも、という話をニュースでみました。
 今回もロシアはソフトパワーでクリアするのか、などと考えてみました。といってもアメリカ的なソフトパワーではなくて、どちらかというとロシア正教的なある種プリミティヴ?なパワーです。中沢新一的にはグノーシスなやつ。

 池田blog「アメリカ後の世界」で、今後のアメリカの世界への影響力として「アメリカのソフトパワー」が指摘されてます。今回の金融危機から〝アメリカとドルの終わりの始まり〟が経済ニュースなどでもいわれてきましたが、こういうソフトパワーはある意味で経済より強力に国家や文化や主義主張を支えることがあり、そういった方面への探究も面白そうです。

 

 91年のソ連崩壊でGDPが連邦時代の半分まで下がり、滅茶苦茶になった社会と経済を無事?にやり過ごしたのが、ロシアの一見不思議?なソフトパワーでした。それは割と自発的あるいは創発的なものです。

 ロシアの市場化(資本主義化)はソ連邦末期にモスクワに設立された共産党改革派などが準備した2000社ほどの企業をタネにはじまりますが、そこでもロシア的なものグノーシスなものは活きていたようです。自ら連邦共産党の解散を命じたゴルバチョフ書記長は立派でしたが、市民の中や個別のロシア人(あるいはソ連人)のなかに活きていたロシア的なるものは予想外の働きをしていくことになります。

 ロシアのプリミティヴなソフトパワー?
 それは<贈与>と<物々交換>です。

 ソ連邦崩壊後のTVのドキュメントで見たのは沿道に自動車のタイヤを持った人たちが並んでいる姿でした。企業(崩壊した連邦経営の企業が多い)が給料を払ってくれないので会社の資産の一部を売っているのです。企業サイドも積極的に物品の現物支給をして給料の代わりにしたようです。ピーク時には企業の7割がこの現物支給でしのいだとか。物品を持って配給所に行ったり買い物に行ったりするワケですが、そこでの支払いが当然<物々交換>であり、資本主義に慣れないで混乱した時期に<物々交換>経済で1年ほどはロシア社会が営まれていたというのは不思議な感じがします。こちらから考えるとリアリティがないですが、現実は小説よりも奇なりな現実が旧超大国を救ったという事実は大きいと思います。
 もう一つは<贈与>。ノブレス・オブリージュともいえるもので新興財閥や起業家が相当量の資金や物資を拠出したこと。これで98年の財政危機を乗り切りました。

 今回の危機ではどんなソフトパワーあるいは経済以外のパワーで乗り切るんでしょうか。

 サハリン2の乗っ取りじみたやり方も法治国家?や契約社会からは理解しがたいですが、法外なあるいは超法規的な何かがロシアにあるのは確かですね。日本では個人の内面にまで法規的なものが入り込んでいるせいか法外なソフトパワーや動きはないようで、そのかわりコンスタントな個人のターミネイトというか自殺者が1日で100人もいるのかもしれません。

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