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2011年1月10日 (月)

白熱教室・トロッコ・ミメーシス

ポリス・遠野物語・国家

『「正義」について論じます THINKIG O 第8号』が評判になってます。ひさしぶりに読み応えのある1冊かもしれません。メインは大澤真幸さんと宮台真司さんの対談。内容はミメーシスをキーワードに共同体や正義について。白熱教室で人気のサンデル教授へのラジカルな評価があったり…。なかなか見つからない現代の問題のあらゆる解のヒントがありそうな内容です。特にミメーシスは恋愛から友だち、仲間、ヒーロー、サブカル、オタク…いろいろな問題のメインとなるテーマだと思います。それに吉本さんの共同幻想論や対幻想(ミメーシスの要件)と照応させると驚くほど一致することが多く、その点でも面白く読めそうです。

           
大澤真幸THINKING「O」第8号

著:宮台 真司 , 他
参考価格:¥1,050
価格:¥1,050

   

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ダイヤローグ・・・

 サンデル教授の白熱教室で行われているのは対話。教員と学生の対話で進める授業形式で「ソクラテス方式」と呼ばれているギリシャ(のスコラ)哲学の時代から続くダイアローグ=<対話>。これを日本語に訳した(直した)のが<弁証法>ですが、誰もそうは思いそうにないところに、難解な専門用語で構築された日本の専門家=プロ(フェッサー)の立場の特徴があるかもしれません。

デッドロック・・・

 「トロッコ問題」(番組内では路面電車)は…トロッコのブレーキが壊れてしまい停止できない。線路を直進すれば線路上で作業している5人が死ぬ。待避線へ入ればそこで作業している1人が死ぬ。どちらを選ぶべきか…というもの。これはどちらに行っても死者が出るデッドロックであり、ポスモダで流行ったダブルバインド(ベイトソン発の柄谷・浅田による)といわれる設定の、論理的な限界を示した問題です。正義や倫理に論理的な限界を突きつけることによって何かを顕在化しようとするもの。でも、別の言い方をすれば論理的にしか意味が無い問題でもあります。(柄谷行人さんはあらゆる論理的な限界を考察しつつ、最後にカントの<公共>に行きつきました。カントの<公共>は現実(利害)の規定を受けません。それは<他界>と同じ観念の冪乗化したものであり、現実へ還元できるルートを見つけることができません。そこには現実からのジャンプがあり、現実に依拠しながら現実には還元できないものとして顕在化したカントなりのU/TOPIEな概念なのだと考えられます。<公共>概念はカントにおける<他界>(論)だと考えることができるものです。)

ミメーシス・・・

 塩狩峠や打坂地蔵尊で知られている事故のように身を挺して列車やバスを止めた人たちがいたり、宗教的に倫理的に論理的限界など超越してしまっているケースは少なくはなく、論理的な限界というものは現実にはそれほど意味が無いかもしれません。「卓越者であれば超えられる程度の壁」と宮台さんが『「正義」について論じます THINKIG O 第8号』P24で指摘するとおりです。また『権力の予期理論』でアローの社会選択理論などに触れながらもそれを重要視していないスタンスが示しているものはそういった現実を踏まえているからでしょう。彼はミメーシスや近接性に解を求めようとしているのであり、それは現実的でしかも唯一の解である可能性は大きいと考えられます。少なくとも現実に実効性のある解はこの範疇にしか無いハズ。論理的な問題の効能はその主張者の自己発現になっているという程度のことに過ぎない例がネットや一般的な状況では少なくなく、酷ければ“論理”そのものが神と化している信仰に過ぎないし、信仰がなければ何もできない病に過ぎない例もあるでしょう。

 「神は、いません」というあるキリスト教の牧師の話を聞いたことがあります。たぶんその牧師は神がいないことを知っていて、そのうえでなお神がいると信仰している…のだろうと思いました。そこにはミメーシスを起こしそうな何かがあります。シーシュポスの神話にミメーシスしたら最強かも…などと思えるようになったのはいつ頃からだったか。

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