了解の予期から権力…
システムの社会理論―宮台真司初期思考集成
編集:現代位相研究所
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宮台真司さんの理論(<了解>を媒介にした)や吉本隆明さんの理論(幻想論=上部構造論)を参考に権力の簡単な説明をしてみます。
AはBにプレゼントしようとする…
という状況で何が生じるか?
Aには「Bにプレゼントしよう」という気持ちがあり、Bが何も知らない現段階ではBがそれを受けとるかどうかはAには解りません。
この時、Aを拘束する判断が生じます。それはBの対応が未知であるからです。
Bが「受けとる」か「受けとらない」かは、Aには予期できません。
受けとってくれればウレシイし、受けとってくれなければ気まずくなる。Aは自ら意図したプレゼントによって自らがワクにはめられてしまいます。
しかも、この未知の可能性(Bが受けとるかどうか)は現段階ではA自身が想像するものであって、Bそのものの意志とは何も関係ありません。
つまりAは自分で描くBの対応像によって自縛されるワケです。そして、Aは事実上Bに関係なくB像によって左右され、支配される立場に置かれてしまいます。
どこにも支配の意図はなく支配者であろうとする者もいないのに、Aは拘束され支配されてしまいます。Aは自ら支配されていくことになります。
Aの「プレゼントしよう」という意志と意図された行動が自らが拘束される発端となるワケです。
ここに支配者なき支配がはじまると考えられます。
誰も権力者などいないのに権力が充満する状況。つまり、現在の状況?(情報自由論by東浩紀さん)が生まれるワケです。
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宮台真司さんは『権力/何が東欧改革を可能にしたか』(91年)という社会学の論文の中でその2年前に刊行した『権力の予期理論』(89年)の手法を応用し「草の根の権力」といった「正統な権力」を成立せしめるファクターについて説明しています。
「どんな人間同士でも、2人が出会えばそこには必ずといっていいほど権力関係の萌芽を見出せる」
と「草の根の権力」について喚起し、
「国家権力や企業などの組織権力のような、強力で組織に裏打ちされた権力も、
実はそうした草の根の権力を、独特の技術を用いて選別し、集約した上で、安定化
させたものなのだ」
と「正統な権力」について説明しています。
これを読んで咄嗟に思い浮かべたのが埴谷雄高をはじめとするいくつかのファシズム論。ファシズム論は究極の権力論でありナチスやスターリンはもとよりポルポトから現代の官僚の権力を保障する制度まで分析できる可能性を持っています。身近なところではワンマン社長の存立する理由から家族における父性・父権まで説明することもできるでしょう。
それらを含めて“力の場”を構成するものを微分すれば支配‐被支配、権力‐被権力といった2項に収斂すると考えられます。そればかりかフロイトにおける対幻想から吉本さんにおける幻想論まで、この2項というファクターは基本単位でもあります。宮台さんはそれを社会システムを構成する最少単位として抽出し、その機能関係から解き明かすことを試みているワケです。
「2人が出会えばそこには必ずといっていいほど権力関係の萌芽を見出せる」と宮台さんが指摘するとおり、政治や企業といった「正統な権力」からコギャルとオヤジの関係までを透徹して認識する権力論。「2人」であり「出会い」であればそれは吉本さんの対幻想論やマルクスの『経済学・哲学草稿』でいう男と女の関係も同じ…。そこには「悪魔の理論」とも呼ばれるらしいルーマンを含めて、宮台真司さんの方法の可能性を探る楽しみもあるでしょう。
(1997/9/10~12/20,2010/12/26)
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