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2010年6月22日 (火)

経済にとってバブルとはなにか?

歴史的にはチューリップバブルから始まって、いまだにバブル(経済)というものの本質は明解にはされていません。欲望の結果だという指摘はありますが、すくなくとも経済問題として解明されるべきだと考えるとき、その解析は充分ではありません。<欲望を欲望する>というラカンの解釈は的確ですが、それが共同性(市場)を形成する過程では全く別の説明が必要です。個人の感情をどんなに積み重ねても共同性には成り得ません。世界や歴史は無数の人生を束ねたものではなく、<世界>や<歴史>としてそこにあるものだからです。たしかに象徴界はそれを通底する可能性を持っています。しかし象徴界が象徴界であるためには想像界と排他的でなければならないのです。この不可逆性と不可塑性をどう把握するかが認識の可能性と不可知との分水嶺になっています。

同じことはお金=貨幣にいえます。お金に対する人間の姿勢は基本的にバブル的だといっていいものがあります。可能性への欲望…それだけにむしろお金への分析がバブルを知る手がかりになるかもしれません。

   今回のクラッシュの本質は何かっていうと、

   レバレッジかけてた部分が、
   結局、正常範囲に戻ったっていうだけ…

        『新・資本論 僕はお金の正体がわかった』(P15,16)

…というホリエモンのシンプルな指摘がクールです。

           
新・資本論 僕はお金の正体がわかった (宝島社新書)

著:堀江 貴文
参考価格:¥680
価格:¥680

   

●バブルとは何だったか…?

 これと同じことを指摘したのは90年バブルの頃にその崩壊とその影響について書いていた吉本隆明だけ。海外では今回の金融危機に際してジョージ・ソロスヘッジファンドを中心に同じような指摘をしてます。大ざっぱにいえば吉本もソロスもバブルは実体経済が金融経済のレバレッジによって数倍まで膨らんだものであるとし、解決はそれがただ凹むことであることを示唆してます。

 数倍に膨らんだのだから、数分の一に凹めばオワリ…つまり元に戻るだけ…なのです。
 具体的には2分の1から4分の1程度まで凹めばバランスし、それ以上の恐慌はない…というもので、これも吉本もソロスも同じ指摘をしてます。

 90年初頭のバブル崩壊以来地価が下落し続けている実態から考えると、今回の金融危機では欧米よりダメージが少なかったように見える日本ですが、まだバランスしていないというか底を打っていないと考えられます。それほどもともとのバブル(73年プラザ合意以降の上げ底)が大きかったといえるワケです。さらには、かつて長銀や三和銀行が指摘したように64年の東京オリンピック以降アメリカの2倍もの設備投資が続いたという調査があります。GDPがアメリカの半分ほどなのに設備投資だけはアメリカの2倍という状態が長く続いたのです。サラリーマンの給料は低いままGDPだけは世界2位まで上昇したカラクリは、この程度のものなのでしょうか…。

 73年のプラザ合意(対ドルで円が240円から120円へ)により約1年で日本の財は倍増しました。この延長に登場するのがバブル経済。ところで1年で倍加したものがあれば2、3年で減少するものがあっても異常ではありません。問題はそのボラティリティに耐えるだけの柔軟性があるかどうかであって、金融やましてや改革(小泉竹中路線)やグローバリズムが問題なのではないのです。情報と分析、対策と一連の対応がスピーディであれば何の問題もないのですが、官僚や自民党、経済界首脳の危機意識の欠如と自己保身、それらをソフトに現実化してしまう決定過程の不透明さと不明な責任の所在…が問題なのでしょう。

●レバレッジのもとは拡大再生産…?

 そもそも経済が<拡大再生産>という前提に立っている理由そのものからしてバブルの可能性がビルトインされていることになります。<再生産>が<拡大>するという部分そのものがレバレッジの起点であると考えられ、当たり前のことですが、<拡大>させているものそのものがレバレッジそのものなのです。
 その代表的なもの=拡大の要因が利益や利子であり、(剰余)価値と呼ばれるものそのものでしょう。マルクスはその基点を商品を存在せしめる<労働>そのものに求めました。それは剰余価値として労働生産物に内在し、現在ではその価値が線形代数のようには算出できません。生産過程の合理化で投下された労働(時間)や資源が高効率でべき乗化し産出がバタフライ効果のように膨張するためです。当然のことですが労働価値を否定するのに援用される限界効用説では本質的にバブルにタッチすることはできません。

●銀行にお金を預けていはいけない…!

 銀行には自己資本率が8%以上という規制(海外取引もする場合)があります。つまり自己資金の10倍以上のレバレッジが認められている事業なのです。レバレッジで成り立っているのが銀行なのです。しかも顧客は自分のお金を銀行に預金しているのに、銀行からお金を借りる場合は利子を払っています。詐欺師やヤクザもここまでヒドイ詐欺はしないのではないか…とさえ思えます。なぜ自分のお金を使うのに利子を払う必要があるのか…?

 FXや金融デリバティブにおいてレバレッジがいけないという批判がありますが、銀行の基礎にあるレバレッジが批判されたことはありません。そもそも投資家はリスクを覚悟していますが、銀行はリスクも取らないし責任も問われない信じられないような気楽な事業なのです。合法的な悪そのもの? 利子をとらないイスラム金融が資本主義を悪と見なす根拠もこの利子にあります。

 まず銀行そのものがレバレッジによって成り立っている事実を誰も問題にしないのはナゼか…?

 勝間和代さんの大ブレークは『お金は銀行に預けるな』からですが、ホリエモンも勝間さんも、そして苫米地さんフリー経済学入門も、皆、同じことを言っているのが面白い。それは<銀行にお金を預けていはいけない>ということです。

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