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2009年6月16日 (火)

<資本主義>の限界?3

『なぜ世界は不況に陥ったのか 集中講義・金融危機と経済学』で池田氏が指摘している「コーディネーションの失敗」は、とても根源的なことをフォーカスしています。これは資本主義の限界や失敗という問題?だけではなく、共同性の全般にかかわる、個人と共同性あるいは共同体との関係に関する必然的な問題であり、そして最適解があるかどうかもわからない…という問題であり、人類の歴史の全過程を通底してきたテーマだと考えられます。

  「局所最適化」の集計が全体として非効率的な結果を生むのは、
  多くの人々の行動に相互依存性(補完性)がある場合です。
  こういうとき局所解は複数あり、
  そのうちどれが一番いいかは先験的には分からない。
  いま世界が置かれている状況が最悪に近いことは確かでしょうが、
  そこからどうすれば全体最適に到達できるのか、
  そもそも全体最適解があるのかどうかも分かりません。
                                     (P279)

 以下『なぜ世界は不況に陥ったのか 集中講義・金融危機と経済学』の書評の一部を引用

●「コーディネーションの失敗」とは?
 今回の危機を解くキーポイントととして「コーディネーションの失敗」というものが指摘されている。合理的な行動が不合理な結果を生むことだ。たとえば、銀行の取り付け騒ぎでいうと預金の安全に不安を感じた顧客が預金を降ろすのは個人にとって合理的な行動だ。しかし、ある一定以上の人数の顧客がそうするとその結果として銀行は破綻してしまう。残存預金高では残った預金者の預金合計に足りなくなるからだ。残りの人は預金を降ろせなくなってしまう。また銀行も規定の自己資本率を割り込み法規上業務が出来なくなる。

 コーディネーションが失敗してしまう理由は論理(学)的にはクラスの混同なのだが、現実に破綻や恐慌が起こりトラブルのであって、論理がどうのこうのだといっても意味はあっても価値がない。究極的にはコーディネーションの失敗をはじめとするトラブルは個人のエゴにつきあたる。結局は心(理)の問題としてクローズアップされるほかはないのだろう。道徳や倫理はなにやら立派そうだがTPOで異なるものなので一定以上の意味はないし価値もない。問題は心理なのだ。
 個人のオーダー、公的なオーダー、あるいは家族や恋人とのオーダー。これらはそれぞれ異なる心理的な局面を示す。たとえば戦争で敵を殺すのは英雄かもしれないが個人的にやったらただの人殺しだ。この価値観や判断基準の違いの由来がわからないと永遠に「コーディネーションの失敗」は解決しない。とうとう経済(学)はそういうところまで突っ込んだワケだが、解決となるとトホホなのが日本の実情らしい。

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 資本主義の失敗の具体例であり、今回の金融危機、経済危機でもある「コーディネーションの失敗」というものについての考察が最重要ポイントなのは確かだと思います。
 池田blog「資本主義の失敗」で銀行を例に「過剰なリスクテイク」と「それを無視するバイアス」が並列する現実が指摘されています。その原因は「社会に大きな外部性を及ぼすが、それを内部化するインセンティブがないため」だと分析されます。解決策として「システム的リスクを内部化するようにインセンティブの設計を行なう必要」が指摘されています。

 「個別には合理的行動の集計が社会的に過剰なリスクをもたらす」ワケですが…。
これを考えると<個別には合理的行動>の<集計>が<社会的に過剰なリスク>をもたらすわけで、どこかに=(イコール)ではない連関、むしろ対立するような矛盾した連関があることがわかります。

 まず<個>の<集計>が<社会>ではない…ということが類推されるでしょう。

 ほとんどの社会や歴史に対する認識の失敗や陥穽がここにあります。<個>と<社会>がどのように異なり、どのように連関しているかが問われていないからです。
 <社会>は<個>の集計ではないし、<歴史>は<人生>の累計ではありません。そしていちばん大事なのは<個>も<社会>もそれを認識てしているのは具体的な独りの個人だ、ということです。

 

 この<システム的リスク>というのはシステムに必然的にともなうリスク=<コーディネーションの失敗>であり、普遍的なものでしょう。だとすれば、その解を探究する試みも普遍的であると考えられます。結論からいうとあのフランス現代思想の原点である構造主義も、解を探究した、その結果の一つです。そのルーツをたどるとなんとアジアの思想にいきつくというオマケもありますが(荒川幾男氏でもなければそういったことは説明できないのかもしれません)…。

 「大きな物語の喪失」とパリ5月革命後のシブトイ資本主義下で、欧米思想(マルクスも含む)の限界に突き当たった結果は2つの反応を生みました。それは非欧米理論への接近と、理論の破棄です。前者はマオイズムなどへの志向、後者は直接行動へのシフトとなりました。そして理論の破棄あるいは非理論化(のトレンド)としてのチネーズやテロが登場します。<大きな物語>からの散種?は<サブカル>ともなり、高度成長を続ける日本で開花していくことになります。

(追記予定)

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