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2009年5月 8日 (金)

<資本主義>の限界?

 何種類もの経済原論の講義を受けたところで経済や資本主義はわからないシロモノ…。
 学生になった頃の不思議?な疑問は〝経済学を習ったら金持ちになるんだろ?〟だったり、教授を見ても〝ビンボウそうだな?〟というショックのよーな、そーでないよーな、真理を見たよーな…そんなもんでした。w

 ところで長い間、資本主義の限界はどんなところにあるのか? 具体的にどんな現象が資本主義の限界を示しているのか? と考えてきましたが、バブル経済やマネーゲームは資本主義の特徴そのものであって、それが限界的な現象だとは思えません。暴力革命でさえ資本主義の歪の必然から生まれたものであって、革命そのものが資本主義の限界を示している…というのとはちょっと違う気がします。この辺がマルクスでもニーチェでもムヅカシイところなのでしょう。あるいは弁証法というもののムズカシカシサなのかもしれません。

 

   もしバブルや恐慌が資本主義の限界ならば、
    どうしてその後も資本主義は続いているのか?

    もし資本主義が間違っているならば、
    社会主義独裁体制はナゼ崩壊して資本主義に戻ったのか?

 

 「個別には合理的行動の集計が社会的に過剰なリスクをもたらす」という池田blog「資本主義の失敗」の指摘に象徴されるように〝個人にとっては合理的〟なことが〝社会にとってはリスク〟というのはよくあることだと思います。そしてそれが繰り返されているというのもよくあることでしょう。(たとえば犯罪。個人のオーダーとそれに対する他者あるいは社会によるその全面否定という関係が犯罪の根本的な定義であるはずです。)

 経済(学)関係でいちばん疑問だったのはそういうところです。

 剰余価値のムズカシサや、労働価値への疑問はありますが、考えてみればよくわかることでした。労働に投入された時間を価値のスケールにするのは限界効用からみて説得力がないですが、現代社会が時間で労賃を計算しているのも事実ですし、またボタン一つで生産ラインが稼働する現在は投下される労働に対して冪上化した生産(量)があるワケで、単一の時間性では労働の価値を測れません…というのもますます普遍化する事実です。
 それでも、これらは計算できる事象でしかなく、いかに複雑になろうとも数値把握が可能な可算的な現象です。ジャック・アタリが現在の社会と経済を情報から検討したスタンスでも、それは変わっていません。
 しかしノーベル賞を10数人も受賞しているアメリカの金融工学のありさまくらい理論や特に数値表現への適合性?などというものに意味や価値があるのか考えさせられたものはありません。ノーベル賞受賞者2名が代表だったLTCMの破綻とひきこもりだったBNF氏の150万円→170億円という投資の結果など、統一して説明できる理論があるのでしょうか?w

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