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2009年3月17日 (火)

バブルの理由?2

●先進国ではバブルが構造化?

 バブルの理由は<先進国である>ことそのものだと考えてみました…先進国あるいはG7以上の国家の経済的な特徴であり共通点が<選択消費が5割以上を占めている>からです。バブルはG7あるいは先進国の経済的な特性そのものが生む必然みたいですね。

 バブルが構造化してるのが先進国
 先進国はGDPの半分が選択消費

 選択消費(財)の生産もしくは消費がGDPの半分以上を占める先進国=G7以上の国とその市場ではバブルの危険性?は常にあり、そのプレ・バブルみたいな状況が常態です。この経済構造は先進国の必然的な帰結ではないかとも思います。

 GDPの過半が選択消費なので、この選択消費がストップすればいつでもGDPは半減するとも考えられ、それは同時に大恐慌に対するヘッジにもなっています。

 不況になり経済恐慌が生じ、さらにエスカレートしそうな状況下で、いつでもGDPの50%に相当する調整が可能だからです。ポイントは選択消費をしている主体である消費者(大衆)が、そういった自覚をもっているかどうか。自らの選択が自らの経済状況ならびに時に運命さえ左右しているという自覚があるかどうか。さらに金融に関してはジョージ・ソロスが指摘する再帰性に基づくリスクに自覚的であるかどうか…などではないか…と考えてみました。

 参照したのはバブル期に女性にとっても〝知が商品でありブランドである(つまりニューアカ?)〟ことを示した雑誌「マリクレール」とその後継?雑誌「リテレール」に掲載された吉本隆明の「贈与論」「定義論Ⅰ」「定義論Ⅱ」(『母型論』に収録)です。母系社会である古代日本の贈与からその本源的蓄積の上に成立したバブル期の日本(まで)の経済の根源的な構造を考察したもので、〝潜在的には住民=消費者がすでに(政治)権力を握っている〟という結論は一部で話題になりました。バブル崩壊直後に書かれたもので、バブル崩壊について「それにつづく景気後退「不況」の現象により経済的破綻まで行くとはまったく信じていない」としています。(以上の同趣旨の論考は新聞にも掲載されたことがあると思います)
 「定義論Ⅱ」におけるポイントは以下です。

  先進国では…
  所得の半分以上が消費されている
  消費のうち半分以上が選択消費である
  経済規模を3/4ないし2/4まで縮小してもダメージがない


 話題を呼んだのは〝縮小する分の決定権を消費者がもっている〟という指摘です。〝消費しない〟という決定が権力となる可能性ですね。政治的には生産サイドの政党である自民党の得票率の推移からしても当たっているようです。今後の経済上の大きな問題は選択消費部分での非製造業の割合がどこまで上昇するか(できるか)でしょう。

●バブルのもと<過剰貯蓄>!?

池田blog「贈与論」で「…バタイユの「普遍経済学」は、新興国の過剰貯蓄を蕩尽した世界経済危機をうまく説明しているようにみえる」と紹介されています。「新興国の過剰貯蓄」というのはバブルの原因として「バブルを生んだのはFRBではない」で紹介されている指摘です。

 お米が豊作の時にあらかじめ不作に備えてストックした…このようなリスクヘッジが貯蔵や貯蓄の始まりであり目的でしょう。ストックされたお米が過剰になったりそのまま傷んでしまうよりは、今欲しいところへ売ろうというのが先物取引のはじまりです。公認されたのは280年くらい昔ですが実際にはそれ以前の戦国時代にすでにあったみたいですね。
 すべての保険は将来の危機に備えて今ストックするものですが、それは必然的に余剰でもあるので、危機への予期から推量してムダにならないように過剰な分を今取り引きしてしまうということは考えられるでしょう。

 新興国が過剰貯蓄になるのは経済社会の不安定性ゆえのヘッジの(貯め込む)必要性と、先進国からの積極的な投資によるものの2点だと思います。後者はいわゆるダボス会議などで反グローバリズムのターゲットにされている問題。しかしこれがなければ新興国の発展のスピードは格段に落ちてしまいますし発展そのものが望めないのが実情でしょう。

 何のストックもなかった未開な時代もあります。狩猟や採取だけで生活を営んでいたレベルでは天候など自然力そのものに応じた糧だけで人間は生きていたわけです。雨を呼んだり病を退けたりする呪術力(を信じる)以外には人間力が発揮されていません。
 この次元ではストックがないためにストックへの権利者もいません。王が存在していても呪術にともなう権威以外はなく、そのために天災や疫病を防げなかった場合には王はあっけなく民衆に殺されてしまいます。王は呪術のための生贄など殺生与奪権を持っていますが、民衆に災いが起これば民衆から簡単に殺されてしまうのです。
 ヘーゲルが〝野蛮〟とした世界ですが人類史の始まりであり、呪術力など以外の力の差異が民衆と王(権)の間になく、システムが未熟(存在しないような)な観念的な原始共同体を想定できます。そこにはまだストックがありません。民衆と王が等価であったこの原始共同体に宗教と政治の原型を見出した考察が『アフリカ的段階について』です。やがて生じるストックの所有権や使用権が王権と合致したところから実質的な政治(権力)がスタートするのではないでしょうか。マルクスが示唆したようなアジア的共同体はこの次の段階に位置すると考えられます。

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