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2009年3月 5日 (木)

ヘーゲル・マルクス・スミス

 マルクスの経済学的なリソースにはA・スミスがいますが、全般的なそれはヘーゲルなので、そこに加味すると面白いことが考えられます。マルクスの目的がヘーゲルから引き継いだ「市民社会」の止揚だとういう指摘が池田blog「資本主義と市民社会」にあり、インスパイアされますね。

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『資本論』で圧倒的に多く使われる概念は、資本主義ではなく市民社会(burgerliche Gesellschaft)である。これを「ブルジョア社会」と訳すのは誤りで、これはヘーゲル法哲学からマルクスが受け継いだ概念である(最近の言葉でいえば市場経済)。ヘーゲルにおいては「欲望の体系」としての市民社会の矛盾は国家によって止揚されるが、マルクスは国家は市民社会の疎外態だと考え、それを廃止することによって真の市民社会を実現する革命を構想した。

マルクスが「資本主義」ではなく「市民社会」を分析対象としていたことは非常に重要です。マルクスの中心テーマは「階級闘争」ではなく、近代的市民の疎外というヘーゲル的な問題だったからです。

                     「資本主義と市民社会」より

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 A・スミスは価値論からすると<価値>を人間に内在させて<市場>を「神の手」として棚上げしてしまいました。マルクスはスミスをヘーゲル的に再把握し、その矛盾を止揚するために<価値>を<労働>として外在化させる<剰余価値>を想定したのではないか?と考えられます。マルクスの経済学が「経済学批判」だというワケもここにあるのではないでしょうか。
 スミスは価値を内在した<個人>と価値を外在的に判断する<市場>との間に<コーディネーションの失敗>を予想して市場に<神の手>を想定して事実上棚上げしたのではないか…。マルクスはそこにヘーゲルを援用することで<市場>の失敗やコーディネーションの失敗を回避あるいは止揚できると考えたのではないか? ということを想定すると面白くなります。

 この<個人>と<市場>のコーディネーションの失敗という必然?は、歴史的必然でもあるでしょう。

 マルクスの 『経済学・哲学草稿 』(岩波文庫 白 124-2)にこの<必然>である<コーディネーションの失敗>が人類と人間の基本として取り上げられています。<人類>と<個人>の関係です。〝人間は<個別的現存>でしかないのに、なぜ<人類>が成り立つのか?〟という疑問です。そこでは〝男と女の関係の中に全てがある〟とも示されています。

 これをダイレクトにターゲットにした論考として吉本隆明の理論があり、一般的には『共同幻想論(前提は「対幻想」論)として有名です。この<共同幻想>は「マルクス・エンゲルス全集」から着想した言葉だと説明されています。A・スミスへの論考は「拡張論」(『ハイ・イメージ論Ⅲ』収録)などで経済から哲学を見出すスミスの視点と、その後半でソシュールの言語論から価値の表出を、それらを包含し発展させるものとしてマルクス(の価値形態論)が検討されています。

 この吉本理論のマルクス理解はヘーゲル→マルクスという連続と継承・継続を前面に押し出したもの。<ヘーゲル→マルクス>で<市民(社会)>とされたものは<大衆>として、資本主義は<超高度資本主義=消費資本主義>として再把握され、消費が生産そのものであることがマルクスから援用されています。とても現在的な論考です。
 マルクスにとって経済学が<経済学批判>だったように吉本においては<経済学>は<支配の学>だとされているのですが、これは権力や政治的な意味というよりは抽象(理念・理論)から現実をみている、という意味ではないかと思われます。吉本理論はそれを逆転して具体・具象といった大衆の生活から抽象(観念・精神から法や国家、システムまで)をみているようです。
 そこにはH・ルフェーブルが消費者のことを〝受動的だからこそ革命的〟と評価したのと同じようなニュアンスがあります。G6またはG7のように選択消費財が生産の半数以上を占める、あるいは選択消費が消費の半数以上を占める先進国では基本的な決定権や権力が消費者=大衆に左右されるという認識が吉本(理論)のベースにあります。ここにマルクス主義者や左翼とは違う<市民社会>や<市民>がどうなっていくのか?という根本的な?があり、その認識のフレームにはヘーゲルが活かされているようです。

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