« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »

2009年3月31日 (火)

不況はリアルか?

昨日3月30日坂巻ファンドの坂巻氏がCNBCの番組内でホント?のことを言ってしまった。

  まわりに何か買わなくなった人います?
  買えなくて、困ってる人とかいます?

くわしくは覚えてないが驚いたことだけ憶えてる。
言っちゃったよ、言っちゃった…。

  今、買い時ですよ、株は。
  欧米なんて政府がどんどんおカネを出している。
  経済が立ち直ったらインフレですよ。
  今持ってる財なんて価値が6割かそんくらいになってしまう。
  イヤでしょ、そんなの。
  だから、今こそ株を買わなきゃ。

藤巻ファンドの藤巻さんも同じですが、不動産価格が下落し金利が安い今こそ不動産を担保にして資金を投資せよ、と主張しています。

ただ問題はそんな余裕資金がない人の方が多いだろうし、今後予想される実体経済の長期的な低迷は将来への希望や期待を萎えさせるでしょう。90年代のバブルを体験した人には<成功体験>があり、不安や悲観にならない閾値が高く、その点では安定度の高い心理をキープできるだろうし将来を楽観できるかもしれませんが。団塊ジュニア以降のバブル体験(成功体験)がない人間はシリアスな現状をシリアスに認識しちゃう可能性は高いでしょうね。

       -       -       -

 こういったファンドの誘惑やすでに公的資金の返済の目途をつけてしまったゴールドマンサックスのようなポジションとスタンスを可能にしているものは何か?…

 先進国あるいはG7参加国の共通項としてGDPの半分以上が選択消費だという経済社会の構造は、選択消費をしなければGDPは半分以下に縮小することを意味しています。これは同時にバブル崩壊のショックを吸収するアブソーバーでもあって、GDPの半分がバッファとして機能しうる可能性は大きいハズです。実際今回の経済危機に際してそれなりに素早い対応をG7各国がみせているのは<GDP半分>相当の余裕というかバッファがあるからと考えられます。日本でも大企業16社で33兆円の留保金。資本金10億円以上の大企業であれば総計230兆円も留保金があります。さらに国民の預金資産は1500兆円ともいわれています。

 これらは何を意味しているのか?

 バブル(の可能性)が構造として経済に組み込まれた社会経済では、バブルは10年単程度の循環現象として発現していく構造なのだろう…という認識のほうがリアルだと考えれます。

 膨大な量の…社内留保金? 余裕資金? 過剰流動性? アメリカ国債?

 結局これらの管理運用が問題なのであって、すでに構造としての<経済>や<資本><資産>がどうであるかは、しだいにスポイルされていく問題であるのかもしれません。確実なのはすでにバブルは経済構造に組み込まれ構造化してる、ということではないでしょうか。

 その時に本来の意味で<蕩尽>と<贈与>が説得力を持ち、過去とは違った意味でやはり経済にも祭祀の面は小さくなく、<祭政一致>の発現としても、モノを媒介にしながらも人間の心(理)が顕在化する一瞬なのではないかと思います。

 原始共同体では、その共同体構成員(民衆)の生命は王に一任されていますが、それと対称的に王の命も豊穣の約束と疫病の忌避を条件に民衆に一任されています。この<王と民衆>の等価(命の等価交換)な関係は何事もない日常では生贄(王もしくは民衆の命の代理的象徴)として祭られます。この生贄の象徴の度合いが強くなりやがて記号や儀式といった<形態>そのものに抽象化あるいは昇華していくレベルは時代の変遷と進歩の表象そのものです。この原始共同体のレベルを〝歴史外〟として対象化しなかったヘーゲルは単なる〝思念されただけの論理〟に終わりましたが、思念の環界を思索した、つまり思念をアフォードするものを対象化した思索は多種多様(精神分析、認知科学をはじめあらゆる認識の対象としてのあらゆる環境を探究する科学…経済学も含む)に現在進行形です。

       -       -       -

池田blog「シリコンバレーの「核の冬」 の指摘。

マルクスもケインズもシュンペーターも、資本主義が拡大するとともに収穫は逓減し、長期停滞がやってくると予 言した。その予言はこれまでのところ外れたようにみえるが、今回の経済危機はもしかすると、先進国では資本主義の鞘が取り尽くされ、長期停滞に入る前兆か もしれない。

       -       -       -

基本的には長期停滞に入る気がしますが。そこからの脱出は莫大な資本が蕩尽的に贈与されたりすることかもしれません。ありえないか…。願望しちゃいますね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月30日 (月)

TY5000NY5000へ?

株価暴落後の最初の大きなリバウンドが終息?
約2ヶ月を経た下げトレンドから約1ヶ月の上げトレンド。
再び下げトレンドへ?

東証では大きくロングを保持している外資もありますが、
今日のCNBCのコメントでは最終的に東証が5000円、ニューヨーク市場5000ドルレベルまで下がるだろうという長期予測もでています。
中央銀行との利ザヤという日銭稼ぎはともかく、対企業への貸し出し量の根本的な減少からアメリカの金融市況が再び悪化…。

実体経済の悪化が金融に再帰しているのが3月決算以降顕在化するということでしょう。

これ以上の破綻は回避できても新規事業や融資は望めず、
静かな経済の減退が長期にわたって続きそうですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

<不況>と<不安>が生むもの

『ハイエク 知識社会の自由主義 』のP29・30で「意図せざる結果」というカール・メンガーの重要な認識を池田氏が紹介しています。

…「有機的」な起源をもつ社会現象は国民の個人的努力、すなわち個人的利益を追求する努力の意図されないで合成された結果として現れるという特徴をもっている。

 資本主義が発達し、市場経済下で大量生産・大量消費が日常となる時、さまざまな社会の動向や政治や経済の諸々の決定はどこでどのように生成するのか?…。
 たとえばアルチュセールは「資本論」を数学的な認識から再読し、さまざまな階層や立場からの「決定」が膨大に交錯し積分する結果として社会はあるのだという認識にたどり着き、<重層的決定>と表現しました。ある意味で金融工学がさまざまな変数(ある経済官庁の経済指数算定プログラムは変数が2000以上ある)から解を得ようとするように、現在のこの一瞬である特異点を形成しているのはさまざまな「意図」の錯合だということでしょう。

 しかし、これはメンガー的にいえば、現実はむしろこの「意図」の背理?で「意図せざる結果」ではないかと思われます。また超高度資本主義あるいは消費資本主義ではGDPの半分以上が選択消費ですが、消費者=大衆のひとりひとりが明確な意思をもって生活を営んでいるワケでもないので、その大衆の<決定>ではなく<非決定>という態度の重層こそが社会を形成しているといえます。ここではマルクス主義的な構造による決定論も主体は合理的だと根拠なく設定している一般的な経済学的な決定論も無効です。その情況を吉本隆明は<重層的非決定>と表現しました。そこから導かれるものは「意図せざる結果」でしょう。

 現在の世界の情勢をこの「意図せざる結果」から見れば、その<重層的非決定>からして、世界不況・経済危機のトリガーはともかく〝犯人〟は特定できないということが考えられます。この特定できないところに<不安>の根源もあり、またそれゆえに<不安>は増幅もされます。
 この<不安>を解消するために〝自動的〟に<何か>が代入されます。これは人間の心理的な防衛機制であり、意識せずに常時機能している心的な現象です。<非決定>領域に<何か>が代入され、とりあえず<決定>として仮構されます。
 たとえば吉本隆明がヘーゲルからマルクスへと引き継がれてきたと考えた観念の運動としても、これは一つの作用であり結果です。ヘーゲルは<王>は<ひとり>だったが、やがて<全員>が<王>になるというような歴史の進歩を考えましたが、<王>の定義が単一なところにその限界があり、マルクスはおそらくこの<王>をもっと自由にひとりひとりの<市民>が自己定義できると考えたと思われます。<市民>の<自由>というのはこの<何か>を選択する自由を根拠にしていると考えられます。その物質的な基盤としての経済構造をモデリングし解析したのが「資本論」でしょう。

 近隣に〝市〟が立ち、経済的な状況に変動が及び始める時に、その〝市〟の影響領域との境界付近に〝物の怪や鬼〟の伝説が生じます。この民俗学や文化人類学的な出来事こそ、経済変動による不安を<何か>で埋めようとする観念の行為にほかなりません。吉本隆明はその心理的な根拠をフロイトなどを援用しながら解き明かしました。その成果が柳田国夫や古事記をサンプルにした共同幻想論です。またその心理的な根拠を探究したものが心的現象論ですが、フロイトをベースにハイデガー、ベルグソン、フッサール、ポンティ、サルトルなどを参照しながら展開され、言語化以前と非言語認識(感覚による)の発生や統御をベースに解析され考察される世界はマルクスの基本認識と照応しながら現代の資本主義(の階程)における人間の考察へと進展していきます…。

 

池田blog「ポラニー的不安」で、こういう状況で必ず登場する「市場」批判や「資本主義」批判に関して「安定と成長のトレードオフを無視し、対案を示さない」批判者の自己矛盾を鋭く突いてます。一般的に自己保身意識が強い分だけ他者批判をし国家や宗教(あるいは〝常識〟〝みんながいっている〟)といった<他者が関与しない(できない)>ものを錦の旗にした主張が出てきます。ヒキョーな遠吠えともいうべきものでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月26日 (木)

株価が上げてる理由

 ここのところNYでも東証でも株価が大きく上昇。新興国の株も上がり始めています。
 大きく下げたリバウンドのニュアンスはありますが、ちゃんとしたファンダメンタルな理由があります。バッドバンク構想をはじめとした金融危機・経済危機への対処は別としてファンダメンタルな事実があるのです。

 まず今回の危機が金融から始まったにかかわらず、銀行の足元の業績が回復しています。それは中央銀行の利下げによって、銀行の貸出金利との利ザヤが大きくなって利益がでているからです。それからITバブル崩壊を経験したIT産業がその経験からキャッシュリッチであったために新規の動きに出てきていることです。また東証では外資の売りがピークアウトしたようで、ヘッジファンドなどの5月決算分の売りが終了しつつある可能性があるのかもしれません。

◆銀行に利益が出ている。
中央銀行の政策金利と銀行の貸出金利との利ザヤがでている。

IT産業が動き出している。
ITバブル崩壊の経験からキャッシュフローを大きくしているIT産業がマネーを動かし始めている。

東証で外資の売りが減少した。
ヘッジファンドの5月決算分の処理が終わった?

 石油マネーとグローバルマネーのバブルの象徴どころかバベルの塔になりそうなドバイが、どうにかこうにかデフォルトを回避できたり、〝通常の金融工学では100億年に1度しか起こりえない〟(『ハイエク 知識社会の自由主義 (PHP新書) 』)イレギュラーのなかで、なかなかねばり強い全世界の人間の戦いが続いている毎日ですね。

 それにしても〝レクサスの売り上げマイナス63%〟はキビシイ…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月23日 (月)

アメリカの物々交換システム

 マネーなし?で1兆6千億円の市場がアメリカにあります。
 日経CNBCのニュースによるとアメリカで現在拡大中の事業が「物々交換システム」。去年の市場規模が1兆6000億円。おカネ(貨幣)の支払い無しで成立している企業があり、その取り扱い市場規模です。

 ニュースではある企業のオフィスを取材。オフィスではキレイなデスクや椅子、事務用品が使われています。これらのデスクなどは取引先から<支払い>として受け取ったもの。この企業は取引相手の企業からおカネではなくデスクなど物品を受け取っているのです。取引先から200万円相当の警備の仕事を受注し、200万円相当の自動車を受け取る企業…。この支払いの形態は市場として拡大中で去年は1兆6千億円相当ということ…。
 おカネ(による通常のやりとり)そのものは必要最小限のものとして給料や税金として支払うものなどにとどめ、できる限り「物々交換システム」を利用しているということです。

 これは簡単にいえばモノをおカネ(貨幣)の代わりに使っているシステム(≒市場)です。ポイントはモノの価値の査定。たまたま自動車が必要だった企業には自動車で支払いができますが、自動車を必要としない会社に対しては自動車の価値はありません。支払い関係から見たモノの価値が多種多様で多元的なので、あるモノを支払先にマッチングさせる、あるいは支払いにどのようなモノが必要かリサーチする、そういったレアで膨大な情報とその査定が重要でありすべてなのでしょう。支払う段階よりその前段階の支払先とモノのマッチングの段階で市場は形成されており、リアルな支払い=物納の時点では単に手続化していると思われます。
 膨大な量の(供給できる)モノ情報と、日々に変化する支払先(から)の必要物資(個別の需要)の情報をDB化し個別案件にマッチングさせていくという業務は典型的なIT事業。今後日本でも大きく展開する可能性はあるのでしょうか…。

       -       -       -

 「物々交換システム」というのはマネーが介在しないようですが、逆にいえばさまざまなモノがマネーで(も)あるシステムともいえます。あるいは交換という機能の歴史的な発達の成果でもあるマネーが価値の代替象徴としての形態さえ失って消失した市場システム…ともいえるかもしれません。その使用価値だけの市場?というか相対取り引きの共同化というか…そこに近い将来の姿の一端があるのは確かです。

 「ロシアのソフトパワー?」で紹介しましたが、ソ連邦崩壊後のロシアが経済的な破綻を乗り切ることができた大きなファクターとして<物々交換>があったことを書きました。ロシアでは自発的で創発的な<贈与>と<物々交換>が社会を救った面が少なくないワケです。日本の大企業16社で33兆円といわれる社内留保金も、その数%が何らかのかたちで<贈与>でもされたら日本経済のV字回復や中長期的で根源的な構造改革のプラスになったかもしれません…。池田blog「贈与論」に紹介されているようなバタイユ式の<蕩尽としての贈与>の可能性とともに、救済としての<贈与>の可能性や、現在のお金で支払う市場に代わってどこまで<物々交換>(の市場)などが形成されていくのか?
 リナックスをはじめネットには<これから>を示してくれるものがまだまだありそうな気がしますが…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月17日 (火)

バブルの理由?2

●先進国ではバブルが構造化?

 バブルの理由は<先進国である>ことそのものだと考えてみました…先進国あるいはG7以上の国家の経済的な特徴であり共通点が<選択消費が5割以上を占めている>からです。バブルはG7あるいは先進国の経済的な特性そのものが生む必然みたいですね。

 バブルが構造化してるのが先進国
 先進国はGDPの半分が選択消費

 選択消費(財)の生産もしくは消費がGDPの半分以上を占める先進国=G7以上の国とその市場ではバブルの危険性?は常にあり、そのプレ・バブルみたいな状況が常態です。この経済構造は先進国の必然的な帰結ではないかとも思います。

 GDPの過半が選択消費なので、この選択消費がストップすればいつでもGDPは半減するとも考えられ、それは同時に大恐慌に対するヘッジにもなっています。

 不況になり経済恐慌が生じ、さらにエスカレートしそうな状況下で、いつでもGDPの50%に相当する調整が可能だからです。ポイントは選択消費をしている主体である消費者(大衆)が、そういった自覚をもっているかどうか。自らの選択が自らの経済状況ならびに時に運命さえ左右しているという自覚があるかどうか。さらに金融に関してはジョージ・ソロスが指摘する再帰性に基づくリスクに自覚的であるかどうか…などではないか…と考えてみました。

 参照したのはバブル期に女性にとっても〝知が商品でありブランドである(つまりニューアカ?)〟ことを示した雑誌「マリクレール」とその後継?雑誌「リテレール」に掲載された吉本隆明の「贈与論」「定義論Ⅰ」「定義論Ⅱ」(『母型論』に収録)です。母系社会である古代日本の贈与からその本源的蓄積の上に成立したバブル期の日本(まで)の経済の根源的な構造を考察したもので、〝潜在的には住民=消費者がすでに(政治)権力を握っている〟という結論は一部で話題になりました。バブル崩壊直後に書かれたもので、バブル崩壊について「それにつづく景気後退「不況」の現象により経済的破綻まで行くとはまったく信じていない」としています。(以上の同趣旨の論考は新聞にも掲載されたことがあると思います)
 「定義論Ⅱ」におけるポイントは以下です。

  先進国では…
  所得の半分以上が消費されている
  消費のうち半分以上が選択消費である
  経済規模を3/4ないし2/4まで縮小してもダメージがない


 話題を呼んだのは〝縮小する分の決定権を消費者がもっている〟という指摘です。〝消費しない〟という決定が権力となる可能性ですね。政治的には生産サイドの政党である自民党の得票率の推移からしても当たっているようです。今後の経済上の大きな問題は選択消費部分での非製造業の割合がどこまで上昇するか(できるか)でしょう。

●バブルのもと<過剰貯蓄>!?

池田blog「贈与論」で「…バタイユの「普遍経済学」は、新興国の過剰貯蓄を蕩尽した世界経済危機をうまく説明しているようにみえる」と紹介されています。「新興国の過剰貯蓄」というのはバブルの原因として「バブルを生んだのはFRBではない」で紹介されている指摘です。

 お米が豊作の時にあらかじめ不作に備えてストックした…このようなリスクヘッジが貯蔵や貯蓄の始まりであり目的でしょう。ストックされたお米が過剰になったりそのまま傷んでしまうよりは、今欲しいところへ売ろうというのが先物取引のはじまりです。公認されたのは280年くらい昔ですが実際にはそれ以前の戦国時代にすでにあったみたいですね。
 すべての保険は将来の危機に備えて今ストックするものですが、それは必然的に余剰でもあるので、危機への予期から推量してムダにならないように過剰な分を今取り引きしてしまうということは考えられるでしょう。

 新興国が過剰貯蓄になるのは経済社会の不安定性ゆえのヘッジの(貯め込む)必要性と、先進国からの積極的な投資によるものの2点だと思います。後者はいわゆるダボス会議などで反グローバリズムのターゲットにされている問題。しかしこれがなければ新興国の発展のスピードは格段に落ちてしまいますし発展そのものが望めないのが実情でしょう。

 何のストックもなかった未開な時代もあります。狩猟や採取だけで生活を営んでいたレベルでは天候など自然力そのものに応じた糧だけで人間は生きていたわけです。雨を呼んだり病を退けたりする呪術力(を信じる)以外には人間力が発揮されていません。
 この次元ではストックがないためにストックへの権利者もいません。王が存在していても呪術にともなう権威以外はなく、そのために天災や疫病を防げなかった場合には王はあっけなく民衆に殺されてしまいます。王は呪術のための生贄など殺生与奪権を持っていますが、民衆に災いが起これば民衆から簡単に殺されてしまうのです。
 ヘーゲルが〝野蛮〟とした世界ですが人類史の始まりであり、呪術力など以外の力の差異が民衆と王(権)の間になく、システムが未熟(存在しないような)な観念的な原始共同体を想定できます。そこにはまだストックがありません。民衆と王が等価であったこの原始共同体に宗教と政治の原型を見出した考察が『アフリカ的段階について』です。やがて生じるストックの所有権や使用権が王権と合致したところから実質的な政治(権力)がスタートするのではないでしょうか。マルクスが示唆したようなアジア的共同体はこの次の段階に位置すると考えられます。

| | コメント (0)

2009年3月16日 (月)

バブルの理由?

●世界大恐慌・・・
 1929年の世界恐慌は金本位制と固定相場制で融通がきかない(均衡できない)ところへアメリカがドルを刷りまくり、証券市場では投資熱がバブり、そこへイギリスの金利上げによってアメリカからロンドンへ資本が回帰しはじめニューヨーク証券市場は暴落…ということみたいですね。
 具体的には1929年10月24日木曜日、ニューヨーク証券市場がはじまり10時30分にGM株が2万株売りに出され…コレをキッカケに暴落がはじまったもよう。なんとのこの時もキッカケがGMがだったとは…。

 ところで今回のバブルはアメリカと日本の合作?なので複雑。
 その複雑な現実を見事に分析して解説してくれるのがこの2冊。必読です。

世界経済危機 日本の罪と罰
なぜ世界は不況に陥ったのか集中講義・金融危機と経済学

小飼氏の404 Blog Not Found「経済危機の現況を一冊で - 書評 - 世界経済危機 日本の罪と罰」に必読の紹介があります。

●ジョージソロスは・・・
 池田blog「バブルを生んだのはFRBではない」にグリーンスパンの弁解?が紹介されてます。「FRBがFF金利を引き上げても長期金利が下がる現象」を「謎」としたのは誰にとってもナゾだと思いますが、ホントにどうしてなんでしょ?

 以前は投資市場を観ていると<株価が上がると金利が下がる。逆に、金利が下がると株価が上がる>というセオリーがあったのですがこれが通用しなくなった頃から<投資対象の広がり>や<投資内容の複雑化=デリバディブ>があったと思います。しかもヘッジファンドの基本であるショート/ロングもさらにオプション取り引きに発展し、全体として複雑になっていきます。今回の危機で露わになったのは原油と株の裁定だろうし、バイアスとしての為替も大きく変わってきています。
 〝為替では1日に40兆円が日本の主婦によって動かされている…〟というアメリカでの誰かのコメント(議会証言?)はニュースにもなりました。ネットによるFX取り引き市場の急速な拡大ですね。株では〝ブラックマンデー〟がシステム(のオート)トレードのせいだったのも明らかにされています。

 ジョージ・ソロスはグリーンスパンを住宅バブルを回避できなかった時点で批判してますが…。投資家の一部は04年にサブプラムローンが急増するのを見てチャンスとその後の危機を予期したと思います。もちろん06年の住宅価格のピーク(アウトも)を観て次の事態を予想するのは投資家にとっては当然(まともであれば)のことだろうし。
 しかし、ファンドとしては投機(投資ではなく)を行い、個人としては市場にモラルと安定を求める…ソロス自身のスタンスも大いに矛盾しています。ところが本人にとっては矛盾ではないらしく、ダブルスタンダードのようなものを示唆しています。実をいうとポイントはココにあります。人間のポジションが二重であるのは本来的に間違いではないから、ですね…。(公的なオーダーと個人的なオーダーが別々なのは人間の本質だからです。しかもこの<公的><個人的>は心理的なシステムとしては相互に排他性があり<自覚できない>という特徴があります。)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月12日 (木)

「レクサス問題」マトメ?

レクサスが売れない理由?
レクサスが売れない理由?2
上記のレクサス問題についてちょっと説明がヘタでした。いくつかの問題を〝レクサスが売れない理由〟(ひとつだけ)から導こうとしたのでわかりにくい?文だったと思います。いやあ企画立てたり情報誌がくれたアナリストという肩書が…泣く。(^^;)

 池田blog「イノベーションの経済学 講義録」にとても実効性のありそうな講義録の紹介があります。企業人も起業人も必読必聴でしょうが官僚の方にこそ知ってほしいもの。もともとアタマがキレるハズの官僚ならばコレらを実行し実効させるのが役割のハズ…。それにイノベーションてシュンペーターが好きなハズのテクノクラートには人気でしょ?

 ところで市場ベースでの問題では〝まともなものが売れない〟という事実があります。商品なども企画の段階でできたものをレベルダウンさせて商品化する現実が少なくなく、特に大衆消費の現在では価値感もさまざまで〝いいものが売れる〟とは限らず、〝いいだけでは売れない〟現実があります。その具体例としてレクサスの問題が浮かんだワケです。

      -       -       -

   ブランドとは何か?
   レクサスはブランドか?
   レクサスはブランドの定義に合致したものか?
   日本ではブランドの定義が転倒しているが、
   そのためにレクサスは売れないのではないか?

   …などと考えてみましたが。

 マトメると…

「レクサスが売れない理由?」では以下を説明・・・

・レクサス・トヨタはブランド力がある。

販売初期に売れるのは<せきたて>心理の効果だ。
 <せきたて>心理を起こすのがブランド力だ。

・ではなぜレクサスは中長期的に売れないのか?
 アメリカでは売れている。


「レクサスが売れない理由?2」では以下を説明・・・

・ブランドは〝堅牢性や高性能〟を集約して象徴し高価だ。
       ↓
  <ブランドものは高価>

日本では一般的に〝高価なもの〟がブランドだと逆転している。
       ↓
  <高価なものはブランド>

<高価なものを買うワタシは…>とか<…なワタシは高価なものを買う>というトレンドがある。ある意味<…>で形容される<ワタシ>の物語だ。


◆<レクサス>について考えてみると…

 ハードとしてクラウンと同じ、
 ソフトとしては一般販売と同じ、
 コストとして高い、

 …という問題がある。

・これでは<ワタシ>の物語にならない…ソフトの欠陥
・そしてドイツ車あるいはGT-Rのような特徴がない…ハードの凡庸
・安定したハードに単にラグジャリーな味つけではプレミアムが無く、わざわざ高額なレクサスを購入する意味が無い…。

◆結論

 つまり…
 顧客に<主人(公)>としての位置づけがない。
 顧客は他者に対して<物語る>ことができない。


 経済的状況からもレクサスの今後はわからない。

 ただしトヨタは建築の方面で大きなイノベーションを起せる可能性がある。
 この意味ははてしなく大きいかもしれない…。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009年3月 7日 (土)

レクサスが売れない理由?2

 なぜレクサスは売れなかったのか?

高性能であっても、ラグジャリーやブランド?といったイメージ的なものをコンセプトとしたレクサスには説得力がなかったのではないでしょうか。

      -       -       -

 ブランドとは?

 そもそもブランドは、堅牢性や高性能を集約して象徴するもの。だから高価で当たり前でした。<ブランドものは高価>だったのです。

 それが現在の日本での一般的なブランドイメージでは<高価なものはブランド>という逆転?が起こり、そのためブランド品を購入するという本来の意味(価値)とは異なるトレンドでのブランド消費が広がりました。

 それは<高価なものを買うワタシは…>とか<…なワタシは高価なものを買う>とか、そんなトレンドです。

 この<…>に入るのは〝セレブ〟だったり〝リッチ〟だったり〝こだわり〟だったりするハズです。いずれにせよ<ワタシ>を形容する何かが<…>に入ります。
 一般的なトレンドとして<ワタシ>を形容し装飾するものが求められているのでしょう。

(それが何を意味しているのかについては別の機会に…)

      -       -       -

 で、なぜレクサスは売れなかったか?
 その理由は…

 レクサス購入者のうち外車からの乗り換えは、わずか2割。この時点でレクサスの基本戦略の失敗がわかります。アメリカでも10年上連続で受賞しているレクサスおよびトヨタ車が〝いいクルマ〟であることは間違いがありません。しかし…

 問題は…

 ・性能やパーツがクラウンと同レベル。
 ・販売方法が店頭販売で、外商に象徴される高級百貨店のようなリッチ層への訪問販売がない。
 ・トヨタからレクサスへブランドを独立させたら価格が100~200万円も高くなった。

 他に…

 ゴルフやカメラなど道具や機材が重い趣味や仕事の人はボルボを買うし、地味だけど質実剛健なドイツ車ならアウディもあり、また自動車そのものに詳しい(クルマ関係の仕事やレーサーなど)とスバルという選択もあります。これらすべてにレクサスの戦略は対抗できていない感じがします。ポルシェを凌駕した日産のGTRなど他の日本車メーカーには何らかの特徴がありますが、ある種の優等生であるトヨタはヨクもワルくも大衆車であり大量消費時代に最適化したプロダクトとプロモーションなのではないでしょうか。少なくとも消費者にはそういうイメージがあります。

 なので…

 レクサスを買っても自慢できない…
 他人がレクサスを評価してくれるかどうか、不安…

 結論、レクサスがターゲットにして狙う層こそ、他人からの評価を意識する人たちであり、この点でこそレクサスにメリットはない、ということではないでしょうか?

(この層こそ中間層あるいは中流層であって、その動向は大きな意味があります。その点でもレクサス問題に象徴される問題にはいろいろなヒントがあると考えられます。)

―――――――――――――――――――――――――――――
池田blog「不可能な経済政策」にまともな経済政策があげられ政治的には実現しない旨が書かれていますが、いいかげんに官僚の抵抗も自民党(どの党も)の傲慢もどうにかならないのか…焦るというよりワケがわからない世の中だなあ、とつくづく考えちゃいます。
企業レベルでも〝イイものを作っても売れるとは限らないリスク〟があり「レクサス問題」はその典型的な例でしょう…。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年3月 6日 (金)

レクサスが売れない理由?

100年に一度のナントカでタイヘンらしいですが・・・
でも・・・
世界でベンツが売れてます。
そして・・・
日本ではアウディが売れてます。
しかし、レクサスは売れてない・・・?

こうなる以前から?だったのが売れないレクサスの問題? 世界中がタイヘンな時に売れるベンツやアウディに興味はつきませんが、日本中が〝ナントカ景気〟を超えるとかいって浮かれてる時にさえ売れなかったレクサスとはナンだ?という興味もあります、でしょ?

      -       -       -

 直近の発表では、先日発売されたレクサスは予想の2.8倍売れているというニュースがありますが、当初は予想の5倍売れたという過去の例もあり楽観はまったくできないと思います。好景気時も売れなかったということは、いったい何が原因なのか…

 レクサスは販売開始直後に予想の5倍売れたとか予約が5倍あったとかいわれています。しかし、その後1年の販売数が予想の半分だった、中長期的に見て販売成長が期待できない…というレポートもあります。これがレクサスの問題。

 これには、シンプルに以下の前提を考えてみます。

   車はステータスシンボルです。
   高級車は特にこの傾向が強まります。

 そして消費者(ターゲット)の特徴として以下があります。

   トヨタ(レクサス)にブランド的価値を見出している人。
   トヨタにブランド的価値を見出してない人。

 まず、販売開始前後の5倍売れたとか5倍の予約があったというのは、トヨタ(レクサス)にブランド的価値を見出している人(いわゆるトヨタファン・レクサスファン)の購入行動によるもの。
 この5倍という数字はブランド価値の強さと、それによる<せきたて>心理の効果だといえます。逆にいえば<せきたて>心理を起こさせる強さがブランド価値の強さでもあるワケですね。
 トヨタやレクサスの場合は強力なファンがいるからこそ当初は5倍も予約が入ったと考えられます。その後1年平均で目標の半分しか売れなかったというのは、時空間的に想定したターゲットエリアにレクサスファンはいなかった、というシンプルな事実を示しているだけではないか?と考えられます。そして、トヨタやレクサスのファン以外には関心を持たれていない…ということでしょう。

      -       -       -

 ポルシェがやっかむ日産のGT-Rやアメリカでスポーツカーの大衆化に貢献したフェアレディにはテクノロジーや商品の位置づけとしての価値が明確です。ホンダマツダスバルも、テイストがハッキリしているということでは共通点しています。
 その点、高性能であっても、ラグジャリーやブランド?といったイメージ的なものをコンセプトとしたレクサスには説得力がなかったのではないでしょうか。

 そのどこが問題なのでしょうか…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月 5日 (木)

ヘーゲル・マルクス・スミス

 マルクスの経済学的なリソースにはA・スミスがいますが、全般的なそれはヘーゲルなので、そこに加味すると面白いことが考えられます。マルクスの目的がヘーゲルから引き継いだ「市民社会」の止揚だとういう指摘が池田blog「資本主義と市民社会」にあり、インスパイアされますね。

       -       -       -

『資本論』で圧倒的に多く使われる概念は、資本主義ではなく市民社会(burgerliche Gesellschaft)である。これを「ブルジョア社会」と訳すのは誤りで、これはヘーゲル法哲学からマルクスが受け継いだ概念である(最近の言葉でいえば市場経済)。ヘーゲルにおいては「欲望の体系」としての市民社会の矛盾は国家によって止揚されるが、マルクスは国家は市民社会の疎外態だと考え、それを廃止することによって真の市民社会を実現する革命を構想した。

マルクスが「資本主義」ではなく「市民社会」を分析対象としていたことは非常に重要です。マルクスの中心テーマは「階級闘争」ではなく、近代的市民の疎外というヘーゲル的な問題だったからです。

                     「資本主義と市民社会」より

       -       -       -

 A・スミスは価値論からすると<価値>を人間に内在させて<市場>を「神の手」として棚上げしてしまいました。マルクスはスミスをヘーゲル的に再把握し、その矛盾を止揚するために<価値>を<労働>として外在化させる<剰余価値>を想定したのではないか?と考えられます。マルクスの経済学が「経済学批判」だというワケもここにあるのではないでしょうか。
 スミスは価値を内在した<個人>と価値を外在的に判断する<市場>との間に<コーディネーションの失敗>を予想して市場に<神の手>を想定して事実上棚上げしたのではないか…。マルクスはそこにヘーゲルを援用することで<市場>の失敗やコーディネーションの失敗を回避あるいは止揚できると考えたのではないか? ということを想定すると面白くなります。

 この<個人>と<市場>のコーディネーションの失敗という必然?は、歴史的必然でもあるでしょう。

 マルクスの 『経済学・哲学草稿 』(岩波文庫 白 124-2)にこの<必然>である<コーディネーションの失敗>が人類と人間の基本として取り上げられています。<人類>と<個人>の関係です。〝人間は<個別的現存>でしかないのに、なぜ<人類>が成り立つのか?〟という疑問です。そこでは〝男と女の関係の中に全てがある〟とも示されています。

 これをダイレクトにターゲットにした論考として吉本隆明の理論があり、一般的には『共同幻想論(前提は「対幻想」論)として有名です。この<共同幻想>は「マルクス・エンゲルス全集」から着想した言葉だと説明されています。A・スミスへの論考は「拡張論」(『ハイ・イメージ論Ⅲ』収録)などで経済から哲学を見出すスミスの視点と、その後半でソシュールの言語論から価値の表出を、それらを包含し発展させるものとしてマルクス(の価値形態論)が検討されています。

 この吉本理論のマルクス理解はヘーゲル→マルクスという連続と継承・継続を前面に押し出したもの。<ヘーゲル→マルクス>で<市民(社会)>とされたものは<大衆>として、資本主義は<超高度資本主義=消費資本主義>として再把握され、消費が生産そのものであることがマルクスから援用されています。とても現在的な論考です。
 マルクスにとって経済学が<経済学批判>だったように吉本においては<経済学>は<支配の学>だとされているのですが、これは権力や政治的な意味というよりは抽象(理念・理論)から現実をみている、という意味ではないかと思われます。吉本理論はそれを逆転して具体・具象といった大衆の生活から抽象(観念・精神から法や国家、システムまで)をみているようです。
 そこにはH・ルフェーブルが消費者のことを〝受動的だからこそ革命的〟と評価したのと同じようなニュアンスがあります。G6またはG7のように選択消費財が生産の半数以上を占める、あるいは選択消費が消費の半数以上を占める先進国では基本的な決定権や権力が消費者=大衆に左右されるという認識が吉本(理論)のベースにあります。ここにマルクス主義者や左翼とは違う<市民社会>や<市民>がどうなっていくのか?という根本的な?があり、その認識のフレームにはヘーゲルが活かされているようです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月 2日 (月)

<不等価><不均衡>という原動力

 池田blog「資本主義と市民社会」にマルクスの資本主義認識の要点が必要最小限かつ最良な表現で書かれています。左翼であれば「剰余価値」や「労働価値」が不可侵のセントラルドグマとしてあるのでしょうが、もっとラジカルに、つまり資本主義の形態そのものとしての説明がここにあります。

 資本主義は、等価交換によって利潤(不等価交換)を生み出すシステムであり、この矛盾がさまざまな軋轢を生んできた。
                      「資本主義と市民社会」より

 

 「不等価交換」というのは「剰余価値」をも含む不均衡?な交換ですが、これを広義に<情報>の交換や<人員>の交換も含むと考えると、そのまま歴史認識の説明にもなりそうです。そしてそれは、全体像として本源的蓄積が行われていく不均衡累積過程そのものでしょう。
 本源的蓄積が不均衡に行われていく過程には、とても大事なポイントが2つあります。

それは…
  不均衡そのものが発展の動因であるコト。
そして…
  不均衡であっても破綻しないコトです。

 不均衡そのものはモノの交換であっても情報の交換であっても人間の交換であっても、それぞれに大きな意味があります。それは<不均衡>を解消する(均衡させる)ために、さらに<交換>そのものの<反復>とその<固定化>を誘引するコトであり、この総体が本源的蓄積だということです。簡単でシンプルなコトですが諸学に散逸してしまった個別の諸科学では把握しにくいことでもあり、またそれらを貫くように統計や抽象化した数値をもちだしても参考項目以外の意味はないでしょう。科学でさえ蓋然性でしかないことはサルトルが元シュールレアリストでマルクス主義者に転向したP・ナヴィルを論破した時の「方法の問題」に明らかですが、池田blogの「経済に「関数」なんて存在しない」にも同じように「数学的に厳密な意味での関数=写像が実証的に観察できるようなマクロ経済データは、世界中に一つもない。」「まず経済が合理的な「関数」で構成されているというワルラス以来の迷信を捨てることだ。」という鮮烈な指摘があります。こういう認識こそ今必要なものでしょう。

 何かの全体像をつかもうする時に認識そのものが個別であったり、勇んで抽象であったり極端だと宗教的あったりするブザマな模様こそが現代だという悲喜劇があります。たとえば現況では数値をいじればOKというリフレ派や売上目標を設定して満足してる社長まで同じようなもの。また統計を根拠に労働の配置・配分を強制した壮大な実験はスターリン主義として破綻した歴史的事実もあります。

 現在、<不均衡>とそれを調整・調節しうる契機としての<市場>とその<自由>は、あらゆる面で不適切、不当な評価を受けつつあるのかもしれません。経済危機が何らかの世界的な危機に発展してしまわないためにどうすればいいのか? マルクスによると歴史の繰り返しが3度目以降は喜劇らしいので、自分ももっぱら楽天主義ではいますが…。w

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月 1日 (日)

新しくはじまった危機?のタネ。

無傷でも清算を強要されるヘッジファンド・・・

 CNBCなどによると今週もヘッジファンドの清算が続いてます。原因は投資銀行がなくなったため。投資銀行がなくなったために今後は素早い対応ができないと判断したヘッジファンドが清算しつつあるようです。
 つまり、今回の危機に巻き込まれることなく無事だった資金までもが市場から撤退しつつあり、この経済危機を金融危機の段階ではクリアしていて無事だった資金でさえ、投資銀行がなくなったために運用のスピードや効率をはかることができず、不本意ながら撤退する…ということでしょう。

 ゴールドマンSのような投資銀行はFEDからの資金供給を受けるために普通の銀行に移行しましたが、ヘッジファンドの清算はその(直接的な)影響です。これは世界的なレベルのものでもあり、今回の経済危機のなかでも大きな意味?があるでしょう。ヘッジファンドの弱体化や消滅の可能性があります。ヨーロッパ勢の一部の投資会社やヘッジファンド、アメリカでも無傷の大きなファンドもあり、それらの動きは続いていますが、ヘッジファンド全体にとって大きなダメージであるのは確かです。

 アメリカでも世界4位のヘッジファンド(スティーブ・ダバー)は無事ですし、カラ売りで利益を上げ続けている個人の有力トレーダー(スコット・クレア)などもいます。彼らは2006年頃からサブプライムの危うさを見抜き安定したポジションとカラ売りを行使しているワケです。しかし、多くのファンドは資金の償還を求められ、さらに無事だった資金さえも投資銀行がなくなったために撤退しつつあります。この縮小均衡の影響はどのようにでるのでしょうか? これから実体経済の悪化、縮小が長きにわたって予測される中で、本来それを補償する資金の行方がわからなくなっていることそのものが一つの危機ではないでしょうか。

―――――――――――――――――――――――――――――
 投資銀行をはじめグローバルなマネーと金融システムの本来の重要性は、ほぼ唯一ともいえる『なぜ世界は不況に陥ったのか 集中講義・金融危機と経済学』池田blogで知ることができます。「金融危機と「ナイトの不確実性」」などその辺りのソースも豊富でクイックです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »