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2009年2月19日 (木)

ヘッジファンドが縮小均衡へ?

ヘッジファンド、縮小均衡へ?・・・

 CNBCなどのコメントによると、今日の東京証券取引市場では外資が投資している銘柄で一定の値幅で拮抗する反対売買(裁定決済)がみられたようです。これがポジション解消の動きだとすると…

 インターネットでの投資がはじまったときに老舗のタイガーファンドが25%の利益を維持したまま解散しました。今度は多くのヘッジファンド(HF)が投資銀行がないゆえに清算に入りつつあるようです。アメリカに投資銀行が存在しなくなった今となってはHFも身軽に動くことができません。縮小均衡を繰り返しながらポジションが解消され、場合によっては清算され解散すると考えられます。検索してみたら…

ー 「この度、ヘッジファンド・クルークは2009年3月末日をもって、サイトのニュース配信を終了し、サイトを閉鎖させて頂くこととなりました。」 ー

 ヘッジファンドに何かが起こってるもよう…

ヘッジファンド? とは・・・

 HFの決算は5月と11月に多いようですが、45日前ルールがあるのでHFの動向をポジション解消の45日前までに予測できます。投資市場ではこれを観測するのが重要でした。
 そしてこれは裁定決済される原油などの商品取引と、その調整や調達のバッファでもある為替レートとの関係で、リアルな指標というより世界経済そのものの動きだったワケです。

 政策金利の安い円で資金を調達しドルで運用するという基本的な投資から、日本市場から引き揚げる際には換金した円をユーロやドルなど効率が最もいい為替レートで交換し最小の損失で撤退を戦う殿戦では、いちばんの技量と見極めと決断が必要とされます。株式市場から大きなポジションを解消するときにはその下落率に応じた為替レートの変動が起こります。それは上記の理由によるもの。これを駆使する実行主体こそヘッジファンドでした。

ヘッジファンド清算の理由・・・

 再びこのところの大きな売り(と拮抗する買い)にHFの動きが予測されるようで、これは45日ルールとは違う動きです。
 これはゴールドマンSほか投資銀行が市中銀行に移行(FRBの資金注入を受けるために)したためにHFが投資業務を委託できず、そのために起こっているようです。証券会社にも打診があるようですが規模が違うためにHFは清算を決めつつあるようで一定の値幅での裁定決済を繰り返して縮小均衡しながらポジションを解消しつつあると考えられます。

 ヘッジファンドは契約上簡単に解約できないようで、取り付け騒ぎのように顧客から一度に資金償還を求められると大きな影響があるためでしょう。しかしこの解約の制限も期間的な制約のようで、精算できる時期がせまっている可能性があります。さらには清算するための手続き(取引)を担う投資銀行がなくなってしまったことが大きな問題なのでしょう。今後も、アメリカの大手投資銀行がなくなってしまったためにヘッジファンドそのものを効率よく運営していくことができません。

 よく考えてみると、これはとても危険な側面があります。流動性の問題です。

投資銀行がなくなって、OKなのか?・・・

 世界のグローバルマネーは4京から5京という観測もあるようですが、ファンドオブファンドの重複分があるので2京4000兆円程度が真実に近似だと考えられます。
 これ以上のマネーサプライの供給は危険ではないでしょうか。世界のマネーが2京4000兆円程度とすれば実体経済のほぼ4~6倍くらいと考えられ実体経済と金融経済は均衡してると思われます。今回の危機も、問題は当該者の支払い能力であってマネーの流動性ではないでしょう。しかも投資銀行がなくなった現在マネーの流動性は下がりますが、それはマネー総量が足りないのとは意味が違います。

 今回の金融危機以前、現状のマネー総量でも日本の株式市場の時価総額がアメリカよりも相対的に低すぎました。両国間のGDP比に対応しない異常な低さです。

 日本の属性には、こういったマネーサプライなどで考察できない現象もあり、世界では流動性の低下の可能性もあり、この複合したコンフリクトはやはり大変なものだと考えられます。

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2009年2月18日 (水)

卵のコトバ

村上春樹さんのエルサレム文学賞受賞のコメントはGoodでした! 一言でいうとやっぱり〝勇気〟なんでしょか。作家の特権でもあるでしょうね。ホントにペンや言葉は強いんですよ。春樹ワールドの気に入った言葉を集めて始めたのがWebのキッカケだったのを思い出して引っ張り出してみました。以下…

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「私には何もないわ。」
「失くさずにすむ。」

『1973年のピンボール』からクールなハルキワールドしてるコトバ。ゲーデル的決定不能性がポイントになってる典型的な例ですね。これをトートロジーと受けとめる感性の人とはGood-bye!…するのがドーナツ的宇宙のイデオロギーですよん。言葉の展開(論理)を決定不能性に追い込むことによって何を表現してるか? クールで、文学的哲学的芸術的(つまり意味がないとゆーこと)な修辞ではニヒルとか虚無的とかなんとかカッコつけた感じでしょーが、実際の意味はゼーンゼーン違います。言葉(非現実)の決定不能性を明らかにすることで現実(非言葉)をフォーカスし、まず、その現実の全面肯定からスタートすることを表明してるんですね。どっても前向きですよ、コレ。現実やマテリアルな状況、そういったTPOからスタートしなくて、いったいどっからはじめられるんでショーねえ。印象や観念といった色メガネや先入観とかレッテルや夢想からフリーな、とても力強い現実の肯定から起動するタフな人生観・世界観を見出したいですね、こーゆーコトバに。

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「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」

村上春樹の原点にしてスタート、『風の歌を聴け』の最初の1行の言葉。学生に頃に知り合った作家が僕に向かって言った、ということになってます。もちろん、ホントにハルキワールドのコンセプトですね、これは。テキストで表現しようとしてる本人がそのテキストの不完全性を最初に自覚(自らの表現能力も含めて)しながら、しかもその不完全性に対しても絶望しないことをそれそのものにおいて同時に表現しているというある種見事なテキスト表現です。自己言及であり自己充足であり、絶対矛盾の自己同一てな感じ。ニヒルなよーでいて、実はもっとあたたかいものを持ちながら、でもあくまでクールに言い放ってみせるとこは、スタイリッシュでカッコイイもんです。この言葉がどんなシーンで使えるかより、この言葉を使えることが目的になっちゃうよーな魅力があって、不意に思わずつぶやいたりしそーな気がします。(^^;)

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「遠くから見れば、」と僕は海老を呑み込みながら言った。
「大抵のものは綺麗に見える。」

いきなり哲学ちっく。とゆーかそのものですね。ココのポリシーでもありましょー。友人と2人で翻訳事務所を営む「僕」が事務所の女の子に「ねえ、少し相談していいかしら?」と食事に誘われ、「本当に寂しくないの?」という14回目のクエスチョンを最期にそれぞれが帰途につくまでの会話の柱となるお言葉がコレ。女の子の14回の?にこめられた2回の「寂しくないの?」と1回の「恋人はいるの?」の質問ににじむ想いと、それを、あくまで遠ざける「僕」のスタンス。でも、単に遠ざけるんじゃなくて自分の関係性を含めて遠隔対称化するところに、哲学が見えるのがさすが春樹ワールドです。『1973年のピンボール』を読んだ時、最初にノックアウトされた言葉でした。

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「殆んど誰とも友だちになんかなれない。」
それが僕の一九七〇年代におけるライフ・スタイルであった。ドストエフスキーが予言し、僕が固めた。

誰とも友だちになれないんなら、まあ、セイシュンの悩み風だけど、それがライフ・スタイルで、しかもドストエフスキーが予言したことで、自分がそれを実証した、みたいなこの展開にはオドロキました。こりゃ、哲学者の言葉じゃんねえ、と思ったもんです。誰とも友だちになれないクラさを、僕が固めたってゆー強固な自己確認でそれこそ固めちゃうスゴサ。力強い暗さだったりしますね、もう、こりゃ。ニーチェかあ? 『1973年のピンボール』のお言葉。どんな時使えるかなあ?

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ハヴ・ア・ナイス・ゲーム/良きゲームを祈る。

『1973年のピンボール』(村上春樹)の言葉。<ピンボール研究書「ボーナス・ライト」の序文・・・>として書かれてます。まあ、この人はこーゆー作(策)が好きですねえ。傘さしてエンパイアステートビルから飛び降りたり。グッバイの代わりに使いたい気がちょっとします。こーゆー言葉は、誰に対してでも使ってあげたい。ゴッド・ブレス・ユア・ヘッドって使ったら怒った人がいたなあ。昔のこと。アハハハ

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(「クールな、お言葉」1997.12~.)より

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卵のプレゼンス

 最初にWebをはじめたのが村上春樹作品を自由に語りたかったからで、今回のエルサレム文学賞受章で初心?に戻りデジャブのようなものを楽しむことができました。件の感想は…

 今回のエルサレム文学賞受賞のスピーチは、
 はじめて踏み出したような一歩に見えました。
 自分のジャンルの外へ、
 自分の方法でもって初めて歩み出た、という…。

 <小説家という嘘の紡ぎ手>から<ライターという事実の記述>へのシフトとチャレンジは「アンダーグラウンド」でトライされましたが、今回は具体的な行動としての一歩だと思います。これからも別に何かしてくれというワケじゃありませんけど。

 以前に読んだ雑誌か本で、村上春樹さんのコメントで印象に残っているのが学生運動の時代の人であることをたずねられた時のコメント。〝心情的には支持できても人と組むのがイヤだし、デモで手をつないだりするのもイヤだ〟というようなコトを言っていたと思います。何かすごく共感できて、同じ感覚の人がいるんだ! とちょっとウレシクなったのを憶えてます。

 

 1979年  『風の歌を聴け』
 1980年  『1973年のピンボール』
 1982年  『羊をめぐる冒険』

 呆れるほどリピートして浸ったのがこの3部作。形容に数字を使うクールさとそのリアリティ。社会の原形みたいに3名だけといっていい登場人物。僕と鼠と女の子。独白がダイアローグになっているような不思議な言葉と文章。
 何よりも、内容ではなく、文体そのものがこれほど魅力をもった作品はいままでなかったような気さえします。世界的にも安部公房以来の日本文学のプレゼンスだと思います。当初日本では、村上春樹作品への激しい批判がありました。村上龍作品も同様で、表現の世界では新しいものが生まれつつあったんですね。高橋源一郎の登場も衝撃だったし。10年かけて文体を変えた柴田翔のような純文学の重鎮もいますが、村上春樹の3部作は当時コピーライターご用達でした。仕事で『羊のレストラン』を書いている高橋丁未子さんのところへ取材に行ったり、村上春樹さん本人はメキシコへ行っていた期間で直接取材できなくて残念でしたが…いくつか想い出があります。八重洲ブックセンターで見かけたステンコートとコッパンのご本人はまるで<村上春樹>でした。当然だけど。w

池田blog「壁と卵」で今回の件を知りました。池田氏のコメントでありましたが、村上春樹さんのプレゼンスは日本の誇りですね。

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2009年2月17日 (火)

ロシアのソフトパワー?

 先週の経済ニュースで驚いたのがロシアのデフォルト(の可能性)。ロシアが40~50兆円くらいのソブリンデフォルトかも、という話をニュースでみました。
 今回もロシアはソフトパワーでクリアするのか、などと考えてみました。といってもアメリカ的なソフトパワーではなくて、どちらかというとロシア正教的なある種プリミティヴ?なパワーです。中沢新一的にはグノーシスなやつ。

 池田blog「アメリカ後の世界」で、今後のアメリカの世界への影響力として「アメリカのソフトパワー」が指摘されてます。今回の金融危機から〝アメリカとドルの終わりの始まり〟が経済ニュースなどでもいわれてきましたが、こういうソフトパワーはある意味で経済より強力に国家や文化や主義主張を支えることがあり、そういった方面への探究も面白そうです。

 

 91年のソ連崩壊でGDPが連邦時代の半分まで下がり、滅茶苦茶になった社会と経済を無事?にやり過ごしたのが、ロシアの一見不思議?なソフトパワーでした。それは割と自発的あるいは創発的なものです。

 ロシアの市場化(資本主義化)はソ連邦末期にモスクワに設立された共産党改革派などが準備した2000社ほどの企業をタネにはじまりますが、そこでもロシア的なものグノーシスなものは活きていたようです。自ら連邦共産党の解散を命じたゴルバチョフ書記長は立派でしたが、市民の中や個別のロシア人(あるいはソ連人)のなかに活きていたロシア的なるものは予想外の働きをしていくことになります。

 ロシアのプリミティヴなソフトパワー?
 それは<贈与>と<物々交換>です。

 ソ連邦崩壊後のTVのドキュメントで見たのは沿道に自動車のタイヤを持った人たちが並んでいる姿でした。企業(崩壊した連邦経営の企業が多い)が給料を払ってくれないので会社の資産の一部を売っているのです。企業サイドも積極的に物品の現物支給をして給料の代わりにしたようです。ピーク時には企業の7割がこの現物支給でしのいだとか。物品を持って配給所に行ったり買い物に行ったりするワケですが、そこでの支払いが当然<物々交換>であり、資本主義に慣れないで混乱した時期に<物々交換>経済で1年ほどはロシア社会が営まれていたというのは不思議な感じがします。こちらから考えるとリアリティがないですが、現実は小説よりも奇なりな現実が旧超大国を救ったという事実は大きいと思います。
 もう一つは<贈与>。ノブレス・オブリージュともいえるもので新興財閥や起業家が相当量の資金や物資を拠出したこと。これで98年の財政危機を乗り切りました。

 今回の危機ではどんなソフトパワーあるいは経済以外のパワーで乗り切るんでしょうか。

 サハリン2の乗っ取りじみたやり方も法治国家?や契約社会からは理解しがたいですが、法外なあるいは超法規的な何かがロシアにあるのは確かですね。日本では個人の内面にまで法規的なものが入り込んでいるせいか法外なソフトパワーや動きはないようで、そのかわりコンスタントな個人のターミネイトというか自殺者が1日で100人もいるのかもしれません。

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2009年2月11日 (水)

GMが生んだサブプライム破たん

 NHKスペシャル「アメリカ発世界自動車危機」(2009年2月2日放送)ではGMの子会社GMACがサブプライムローンを作ったことが明かされてました。売れないGMの自動車販売をカバーするために考え出されたビジネスモデルがクレジットを使った自動車販売の金融商品。それを不動産にそのまま適用したのがサブプライムローンだったとは。

 GMACは販売会社に厳命します。5項目以外は尋ねていはいけない…。
 契約書類にあるのは以下の5項目だけ。

 氏名、住所、年令、社会登録番号、勤務先の名称

 なんと収入は尋ねてはいけないことになってる…

 GMは自社の自動車が売れなくなってからも平気でいたワケです。なぜなら自動車リースを始めたから。新車を中古になった時の下取り価格を差し引いてリースする。500万円の新車を中古価格200万円分を差し引いて300万円でリースし、そのローンを証券化し金融商品にしてウオール街で売る…。GMの営業子会社GMACが新しいビジネスモデルとして考え出したのがコレ。日本でもこういったカーリースが伸びるだろうということを大手のクレジット会社で聞いたことがありますが、日本の場合はリース期間が長いと5年くらいありGMACの2年で新車と借り換えさえるのとはズイブン違います。この違いがバブルとその崩壊の分水嶺なんでしょう。

 簡単に考えてもGMACのリースには2重のリスクがあります。元来支払い能力がない人にもクルマをリース販売できてしまうし、2年で新車と取り換えるために中古車が増えてしまい結果新車販売のキャパが狭まっていく危険性があるということ。

 このビジネスモデルを考えた当事者はその後解雇され、彼はいまサブプライムローンの救済NPOで働いています。
 そしていまやローンやリース代を払えなくなった客から自動車を取り返す商売が急成長。夜中に客の家に行って自動車の鍵を開けレッカーでもってくる商売で、自動車販売会社はその車を中古で売り換金するワケです。これも支払い能力がない客に無理に売った結果でしょう。

 ビジネスモデルの考案者もディーラーの店長も悪びれずに語っていました。

 〝われわれは最初から自分たちを騙していたんだよ〟と…。

 自動車産業のBIG3の労働者の平均像は…

     時給3000円
     保険の自己負担が7%

     (アメリカのある自動車企業は従業員の医療費だけで
     日産の売上くらいあるとまでいわれた。)

 アメリカには珍しい〝アメリカ共産党〟さえ存在する自動車産業とデトロイト。そのアメリカの終わりの始まりとまでいわれた今回の危機はこんなところから始まっていました。たしかに何でも証券化してしまいレバレッジで幾何的に増幅されたボラティリティゆえにバブルにも破たんにもなるんでしょう。

 根本にはどんな問題があるんだろう。

〝人間は解決できる問題しか起こさない〟というK,Marxの言葉がちょっとありがたかったりするかも…。

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池田信夫blog「金融危機の引き金はリーマン倒産ではない」に今回の金融危機の真相についてのコメントがあります。〝問題は流動性ではなく支払い能力〟という池田さんの指摘はジョージソロスとも共通するもので説得力があります。

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