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2016年7月

2016年7月16日 (土)

心的現象としての言語 病気のワケ

心的な失語はただふたつの本質的な態様によってあらわれうる。

ひとつは、<概念>の心的な構成が不全であることによって、
言語が、心的な規範に同調しえないばあいである。

他のひとつは、言語の心的な<規範>の不全に基づいて、
概念の心的な構成が不可能なばあいである。

(『心的現象論序説』【Ⅴ心的現象としての発語および失語】P162)


☆<概念>の構成は自己抽象によるもので、<規範>の形成は自己関係によるものです。失語をはじめ言語にあらわれる心的な障害というものは、概念が不全なために、あるいは規範が不全であるためにあらわれます。簡単にいえば概念という中身がちゃんとしていないか、規範という容器がちゃんとしていないかということになります。

 概念は規範によって表出されて、はじめて言語化します。
 言語の規範というのは、音韻、韻律、文法などの共同性です。
 表現としての言語は表出されないかぎり存在しません。

NOBORUのブログ「2つの認識の基礎」

これらの言語にあらわれる心的な障害は、環界への認識や世界視線そのものの振幅として考えることができます。問題は言語認識とその他の認識との関係、媒介やバイアスとなるものへのアプローチでしょう。

規範としての言語は共同幻想の生成と不可分ですが、そのためにこそ明確に峻別されたアプローチが必要となるもの。『言語にとって美とはなにか』では共同幻想は<社会的幻想>と呼ばれており、その呼称の差分に含まれるものは小さくはないのではないでしょうか。また共同幻想そのものは心的現象論では<幻想的共同性>とされています。
心的現象論序説でみた<自己表出>と<指示表出>

2016年7月 1日 (金)

心的現象としての言語 2つの病気

言語にあらわれる心的な障害は、どんな多種多様な現象形態をとるとしても、
本質的には<概念>構成へ向かう心的な志向性の障害と、
規範としての言語についての心的な障害とにわけることができる…

(『心的現象論序説』【Ⅴ心的現象としての発語および失語】P154)

☆「言語にあらわれる心的な障害」というのはいわゆる精神疾患や精神病。「どんなに多種多様な現象形態」でもそれは2つのタイプであるとされます。概念構成の障害と規範形成の障害の2つです。これらが結果として病だとされるのはある基準からハズれるからです。

<概念>の空間化度はまったく恣意的でありうる(P153)ために他者に理解できない概念構成がされることもありますが、それが自覚できない場合は病気と見なされることがあるでしょう。また、たとえば「…このばあい<灰皿>という共通性は<関係>意識にかかわってくる(P154)ときの、「共通性」や「<関係>意識」からハズれれば他者からの理解は困難になります…。

言語に表象する(社会的幻想としての)病気は以上の2つになります。これ以外に自己の心身との関連からの病気と異常は心的現象論の根源的な認識を示すものとして「Ⅱ心的世界をどうとらえるか」で原生的疎外の思索とともに解説されています。

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