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2016年6月15日 (水)

心的現象としての言語 自己表現

表現としての言語は、心的な現象としてみれば、
ただ<概念>のこちら側にむかってのみ自己表現をとげようとする傾向にある。
それが外化されて話されるとか書かれるとかは第二次的なもの…

(『心的現象論序説』【Ⅴ心的現象としての発語および失語】P153)

心的にみられた自己表現としての言語、
いいかえれば<概念>を構成する方向に志向する心的な構造は、
対象に対する空間化度を知覚作用からかりることはありえないから、
ただ対自性そのものを空間化度に転化するほかない。したがって
<概念>の空間化度はまったく恣意的でありうるとかんがえられる。
(P153)


☆自己表現としての言語と、コミュニケーションとしての言語はまったく異なります。自己表現としての言語は、自己によって確定できればいいのであり、自己の中で完結するものです。このとき「外化されて話されるとか書かれる」というのは二次的なもの。一次的なものとしては自己が確定する概念の構成ができればいいのであり、その空間性は対自性によることが説明されています。

「対象に対する空間化度を知覚作用からかりることはありえない」というのは<夢>を参考にするとよくわかります。夢という入眠状態では知覚は作用しておらず、そこではすべての対象が対自性そのものの空間化度としてしか発現しません。観念の(運動の)一次対応としての自己言及性がここにあります。

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