心的現象としての<夢>6 形像のある/ない
夢は、いうまでもなく<特殊な>心的な自己疎外である。
…
それが眠りへの心的な世界でだけ可能だということである。
覚醒時の心的な領域にとって身体は、<自然>に属している。
そしておなじように、
夢にとっては、覚醒時の心的な領域が、第二次的な<自然>に属している…。
そして、
覚醒時の心的な領域を、どこまで第二次的な<自然>に転化しうるかという度合いが、
夢の形像の強さ、鮮明さの度合いを左右する…。(P198)
…形像的な夢は、覚醒時の心的な領域をよりよく<自然>化しえた場合であり、
非形像的な夢は、この<自然>化があまり巧くゆかなかった場合にあたっている。(P198)
☆夢の形像がある/ないの差異はどこからくるのでしょう? 覚醒時のあらゆる認識が対象と背景のカップリングであるように、夢という認識にもターゲットとグランドがあります。「覚醒時の心的な領域」にとっていちばん基本的なグランドは<自然>としての<身体>。同じように「入眠時の心的な領域」である夢にとって基本的なグランドとなる<自然>は「覚醒時の心的な領域」そのものなのです。それは既に<身体>から疎外されているために「第二次的な<自然>」になります。<自然>化が巧くいくというのは、「覚醒時の心的な領域」が巧く対象化されたということであり、別のいい方をすればその空間性や時間性がハッキリしたということでしょう。
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