心的現象としての<夢>4 形像化
本来的な<受容>が、夢においてどう変化するかが問題となる。
もしも夢が形像化してあらわれるならば、
この形像化に関与した意識の空間化度を除いたほかの<受容>は、
時間的な構造に擬似的に転化する…だろうということである。(P190)
夢において<了解>作用は、夢の形像とつぎつぎにおこる形像の場面の移動や結合や短絡といったような、形像の移動する場面の<了解>の時間化度をのぞいた時間性を、擬似的な空間性に転化する…。(P191)
☆夢の形像とは何なのでしょう? いかなる意味でも視覚像ではありえない夢の形像はイメージそのものである可能性があります。くり返しますが夢には外部に対象がありません。つまり感覚が受容する空間性がありません。そのために夢の形像=空間性は夢を見ているコトそのものの空間性なのです。夢を見ているという認識(行為)そのものの空間性が夢そのものなのです。ここに冪乗化する観念があります。
さらに、感覚が受容する空間性がないために、本来ならばそれを了解する時間性もありません。すると了解の時間性はどうなっているのか…。この時間性こそが擬似的に空間性に転化していると考えられます。認識の時空間構造が転化し変換しているのが夢なのです。この観念の純粋状態ともいえる夢の全体像はいかなる思想や哲学あるいは科学からもアンタッチャブルなままです。
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