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2016年1月

2016年1月28日 (木)

心的現象としての<イメージ>10 動物性

関係意識に関与しない嗅覚・味覚・触覚の敏感さは
対象を<近隔化>し自己の<身体>の外延に転化しているといえる。
ここでは感覚の空間化度は低く等質性がなく対象ごとに異なる空間性をもっている。
それは動物のレベルの感覚である。
(P125)

猫や犬の嗅覚は、べつの対象に対しては異常に鈍感でありうる…。
ここでは感覚の空間化度は低く、等質性をもちえない。
極端にいえば、対象ごとに異質な空間性をもっているだけである。
(P125)


『心的現象論序説』「Ⅲ.心的世界の動態化」「6.聴覚と視覚の特異性」を参考に…


☆身体の時間性に転化しない嗅覚・味覚・触覚の空間性は敏感さとして<身体>の外延に転化し、対象を<近隔化>します。これが動物性対象(への認識)を遠隔化し、空間化度を高め、その等質性から概念化し、時間とともにインテグレートされるそれら了解情報のストックにタグをつけて言語化する人間性との違いがここにあります。

2016年1月21日 (木)

心的現象としての<イメージ>9 了解作用

具体的に確認できない対象を自己と関係づけようとする意識こそ、
関係という空間性を時間性として了解する意識そのものである。
(P124)


関係意識の多様化は感覚の空間化度を高度化した。
この高度化が了解作用の時間性とむすびついて空間概念を高度化し、
対象を想像することができるようになった。

この想像力は空間概念の抽象的な等質性が媒介になっている。
(P125)


『心的現象論序説』「Ⅲ.心的世界の動態化」「6.聴覚と視覚の特異性」を参考に…


☆存在するだけで<多様化>し<遠隔化>していくのが意識の自然過程。これをコントロールするのは<意志>です。関係意識の多様化は必然的に聴覚や視覚の空間化度を高度化しました。高度化にともなう空間性の均質化は了解作用の時間性との相互転換を可能にします。共感覚はその一つであり、またスキゾフレニックな症状も人間固有のものとしてここに登場します。クオリアもゴーストも感覚や了解作用の時空間変換(融溶)によるもの。その可能性の場が純粋疎外であり時点ゼロの双数性として、あらゆる認識のスタートするところです。高度化し均質化された空間概念を自在に組み合わせたり生成する作動が想像力であり、ここにイメージが顕在化します。

2016年1月15日 (金)

心的現象としての<イメージ>8 空間化度

純粋概念としては、嗅覚・味覚・触覚における空間化度は、
そのまま(即自的に)時間性としては感じることはできない。
対象との関係の幻覚としてはありうる。
(P122)


具体的な接触によって確認できない空間に在る対象は、
そこからの延長された空間性によって対象化される。
それが可視光線と音波である。

このために聴覚と視覚は対象化作用そのものに本質的に関係している。
このことから聴覚と視覚の空間化度はそのまま時間性として受容されうる。
(P123)


『心的現象論序説』「Ⅲ.心的世界の動態化」「6.聴覚と視覚の特異性」を参考に…


☆時空間性の融溶が<純粋疎外>ですが、嗅覚・味覚・触覚の空間性は時間性に転化しません。それは身体性そのものだからと考えられます。身体の空間性はシステムクロックという時間性を媒介に心と世界に関係しています。聴覚と視覚はコントロール可能な感覚としてあり、その可能性の特異点として世界視線による可視化と過視化があります。この世界視線化による了解作用そのものが聴覚と視覚の空間化度が了解の時間性に転化することを示しています。「空間概念の抽象的な等質性」はシステムクロックによって生成するものです。

2016年1月 8日 (金)

心的現象としての<イメージ>7 他者性

幻聴や幻視は聴・視覚の空間化度が
そのまま時間性として了解されるために
<身体>の時間化度と関係ないかのように成立する仮象である。
(P122)

<身体の時間化度>=マテリアル感と無関係であるかのように成り立つ了解作用は、
必然的に他者性としてあらわれる。
それが幻聴であり幻視である。
(P122)


『心的現象論序説』「Ⅲ.心的世界の動態化」「6.聴覚と視覚の特異性」を参考に…


☆感覚というものは身体(性)の表出であり、心=観念の入り口でもある重要なもの。感覚を媒介に心は世界と接触しています。そのために世界の時間性と空間性は感覚をプラグとして心身に影響を与えています。身体の時間性システムクロックとして心と世界の関係を調節しています。異常というのは、この身体の時間性からの逸脱です。逸脱の度合いが他者性の度合いであり、たとえば、それが幻聴や幻視になります。

2016年1月 3日 (日)

心的現象としての<イメージ>6 志向性

イメージの要素は知覚ではなく、概念が知覚化しようとする志向性そのものである。(P248)


『心的現象論序説』「Ⅶ.心像論」「2.心像の位置づけ」を参考に…


☆想像(力)についてはサルトルやMポンティのすぐれた論考があり、ここでもそれが参照されています。しかし、イメージの要素はMポンティが主張するような知覚による形象ではなく、「知覚化しようとする志向性」そのものだとされます。この“知覚による形象ではなく、知覚化しようとする志向性”…という空間性から時間性へのフォーカスのシフトは『心的現象論序説』のオリジナルな思索そのものでしょう。そもそもMポンティ自身がイメージのパルテノンは柱を数えることができないとも指摘しています。これは、イメージがサヴァン症候群などの直観像資質(主観的視覚的直観像)などとはまったく異なることをも示していると考えられ、このイメージと視覚はまったく関係がない…という分別があってこそ次のステップへの大きな可能性が開けてきます。「志向性」という運動性こそが世界視線を作動させるものだからです。


           
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