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2015年12月

2015年12月30日 (水)

心的現象としての<イメージ>5 関係意識

非感性的な対象を感性的に受容しようとする志向性は非感性的な世界に対する不安による。(P246)

非感性的な対象を感性的に受容しようとする時に生じる差異は感性的な反応=応答の形で表出する。
この表出は知覚や記憶に基づくのではなく関係意識の矛盾による。


『心的現象論序説』「Ⅶ.心像論」「2.心像の位置づけ」を参考に…


☆現代の不安の根拠を共同性に関するあらゆる倫理の無さ…としたのが、共同幻想への最期の論考だったハイイメージ論でした。心的現象論序説の「Ⅶ心像論」「心の位置づけ」では「不安」は「非感性的な世界に対する」ものとされています。「非感性的な世界」というのは理性的(論理的・概念的)「世界」ということであり、思考によって認識され受容される世界です。ここには、感性的に受容する場合と非感性的に受容する場合のギャップがクローズアップされ、均衡を求める生命にとって、このギャップに対する自覚が不安です。<不安>は<不安を解消>しようとする作動を誘発します。それが生命というものだからです。<イメージ>というものは志向性そのものから生成し、知覚や記憶とは関係がないという指摘は認知心理学や神経生理学や哲学を超えて最重要なポイントになるでしょう。


           
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2015年12月25日 (金)

心的現象としての<イメージ>4 感性的

未開人にとって感性的な世界は、世界のすべてである。
現代人にとって非感性的な世界は、
非感性的な意識によって把握(理解)される概念(意味)の世界である。
(P245)

感性にとらわれることのない非感性的な世界では
多数な<関係づけ>が可能であり、それが自由である。
この自由は物的な感性の世界の不自由さに対するものであり代償である。
(P245)


『心的現象論序説』「Ⅶ.心像論」「2.心像の位置づけ」を参考に…


☆世界を五感で感受するのが未開人とすれば、現代人は世界を意味あるものとして把握します。そこでは世界は概念で構成された環界です。現代人が概念によって非感性的に認識(認知)することが多いのに比べて、未開人にとって感性的な受容がすべてである可能性があります。非感性的な了解と感性的な受容の比率の変化が歴史の進行だといえるかもしれません。感性的な世界観に非感性的なものの析出を見出し、そこに権力=政治の姿を読み取る思索が『アフリカ的段階ついて―史観の拡張』です。ヘーゲルを解剖するフーコーのような知見がそこにはあります。


           
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2015年12月19日 (土)

心的現象としての<イメージ>3 心像

<幻覚>は本人の意志に左右されないが、
<イメージ>は本人が思念することによって出現する。

<イメージ>は自由さに欠け、形象の完璧さ(完全性)さにも欠けている。
(P242)


<イメージ>では不鮮明な部分や曖昧な輪郭は非形象的な周囲や背景に溶け込んでしまう。
この背景はあらゆる概念によって構成されいる<場>である。(P244)


『心的現象論序説』「Ⅶ.心像論」「2.心像の位置づけ」を参考に…


☆<幻覚>と<イメージ>の違いは、とても重要なものがあります。それは意志の有無であり、ハッキリした形象の有無です。<幻覚>は意志に関係なく出現し、<イメージ>は可視的でないものを可視化しようと出現させます。前者は無意識の作動、後者は意識的な作動だといえます。<イメージ>が「形象の完璧さ」に欠け、「不鮮明な部分」が「周囲や背景に溶け込んでしまう」のは最重要なポイントになります。その背景や周囲にはいままでの経験がインテグレートされており、来歴そのものとして現存在をアフォードしているからです。そこには「あらゆる概念によって構成されている<場>」なのです。

2015年12月 6日 (日)

心的現象としての<イメージ>2 二重性

対象Aを想像することと、
対象Aについて思考することの二重性は
指示決定と自己確定の二重性を意味している。
(P240)

対象Aについて知っているというのは、
感覚的あるいは感情的に知っていることと、
概念的に知っていることの総合的な認知である。


<イメージ>は何らかの意味で
知っている対象に関してだけ出現する。
(P241)


『心的現象論序説』「Ⅶ.心像論」「1.心像とはなにか」を参考に…


☆「知っている」ということは2通りあり、どういう場合でもその2通りがカップリングされて「知っている」ということになっています。「知っている」という総合的な認知は非概念的なものと概念的なものから成り立っています。非概念的な感性的(感覚的・感情的)な認知と概念的な知性的(理性的・名辞的)な認知です。
重要なのは非概念的な認知と概念的な認知の関係。この2つの関係は<地><図>グランド対象の関係であり、自己確定(表出)と指示決定(表出)の関係でもあることです。この二重性のギャップやバッファーに共同幻想世界視線のシーズがあります。

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