「像としての文学」から8
この作者の文体はさり気ないようで、じつはイメージ(像)の喚起力がつよく、
それは作品をすぐれたものにしているおおきな要素になっている。
(『ハイ・イメージ論Ⅰ』「像としての文学」P69ちくま学芸文庫)
■村上春樹がイメージの喚起力が強い作家だと分析評価されています。サンプルは「蛍」。
「言葉の「概念」とそれが喚起するイメージ(像)」について思索され、特徴として言葉の意味に対応するイメージではなく「〔意味〕にむかって直交する」ものから生成するイメージであることが指摘されています。
- - -
彼女の求めているのは僕の腕ではなく、誰かの腕だった。
彼女の求めているのは僕の温もりではなく、誰かの温もりだった。
少なくとも僕にはそんな風に思えた。
彼女の目は前にも増して透明に感じられるようになった。
どこにも行き場のない透明さだった。時々彼女は何の理由もなく、
僕の目をじっとのぞきこんだ。
そのたびに僕は悲しい気分になった。
(村上春樹「蛍」より)
(『ハイ・イメージ論Ⅰ』「像としての文学」P68ちくま学芸文庫)
■幻想の3つの位相としては以下のようなことがいえるかもしれません。AAA(アンダーライン)は「僕」の対幻想の否定としての共同幻想。AAA(強調)は反復固定化する自己幻想。AAA(斜体)は共同性ではない純粋本質。読者の判断がシフトする、第一義的な判断が停止している純粋本質のパートが<時点ゼロ>として、次の方向と強度を決定するものとして作用します。トレンドの志向とその強度は<シンクロ>する場や対象によることになります。
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螢・納屋を焼く・その他の短編
著:村上 春樹
参考価格:¥1,404 価格:¥1,404 |
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