「像としての文学」から6
言葉の「概念」と、それによって喚起されるイメージ(像)との関係は、
ほんとうはグラフィカルな映画や画像にはまったく存在しないもので、
言語の表現に特有な「概念」とその喚起するイメージ(像)との関係といえる。
(『ハイ・イメージ論Ⅰ』「像としての文学」P70ちくま学芸文庫)
■言語の「概念」と、何らかに喚起されるあるいは想像される「イメージ」の関係に、まったく視覚像が介在しない…または視覚像には「概念」と「イメージ」の関係が存在しない…。言葉の「概念」をイメージ=像(心像)の生成の構成素との関係(無関係性)として把握した、ある位相での説明になります。ここでは知覚が予め捨象されていることが指摘されています。
« <意味>のはじまるところ | トップページ | 「像としての文学」から7 »
「世界視線」カテゴリの記事
- 無自覚がはじめる(2015.03.11)
- 無意識がはじめる2(2015.03.02)
- 無意識がはじめる(2015.02.20)
- 「像としての文学」から9(2015.01.15)
- 「像としての文学」から8(2015.01.06)
「ハイイメージ論」カテゴリの記事
- 「像としての文学」から9(2015.01.15)
- 「像としての文学」から8(2015.01.06)
- 「瞬間論」から8(2014.12.30)
- 「瞬間論」から7(2014.12.25)
- 「瞬間論」から6(2014.12.22)
「文学」カテゴリの記事
- <イメージ>のはじまるところ2(2015.02.09)
- <イメージ>のはじまるところ(2015.01.22)
- 「像としての文学」から9(2015.01.15)
- 「像としての文学」から8(2015.01.06)
- 「瞬間論」から8(2014.12.30)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント