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2014年12月30日 (火)

「瞬間論」から8

嗅ぐという感覚は呼吸するという根本的な生命行為にまで関連づけられ、
味わうという感覚は飲むとか吸うとか、なめらかとかざらざらしているとかいう
乳児期の触知の全体的な感覚と不可分なものとして
生命がじぶんを維持する根拠になっている快感の発生点に結びつけられる。

わたしたちが純粋な言語行為のはじめとおわりにあるとかんがえているものもまた、
感覚することが行為することだという瞬間に成り立っている
意識の現在性とおなじものとかんがえることができる。

『ハイ・イメージ論Ⅲ』「瞬間論」P49ちくま学芸文庫)

■解剖学的に、栄養(外部からor外部を)を摂取するチューブである腸管=消化器官をメインとするのが生命の形態。外部を捉えようとする「触知の全体的な感覚」のもとに統合されつつ、チューブはその運動や軋みから音を発していきます。声も、言葉も、奏でることも「意識の現在性とおなじもの」として、そこにあり、摂取と運動、内臓と筋肉の交換領域としての体壁が生命活動そのものとしての音を発てていきます。

           
生命形態学序説―根原形象とメタモルフォーゼ

著:三木 成夫
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