「瞬間論」から7
わたしたちの国で鬱病の精神現象学者としてよく知られているテレンバッハは、
ここでわたしたちが純粋の言語行為の起源としてみなしているものを、
口腔の感覚運動行為の根底にあるものとして、とても具象的に解明している。
(『ハイ・イメージ論Ⅲ』「瞬間論」P47~48ちくま学芸文庫)
■嗅いだり味わったりする嗅覚、味覚と触覚を「一つの生物学的行為として融合している」とするテレンバッハ。吉本隆明は、そこから「感覚することが行為すること」だとし、その「瞬間に成り立っている意識の現在性」は「純粋な言語行為のはじめとおわりにある」ものと同じものなのだと思索していく。「純粋瞬間が成立させるドラマ」として文芸作品がフォーカスされていく…。
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