「像としての文学」から5
触覚的なもの、視覚的なもの、聴覚的なものは、
現実には「概念」にかかわることができない。
だがそれらの知覚的なものすべては、
折り畳まれた生命反映を無意識として積みかさねた形で
「概念」のなかに含んでいる。
(『ハイ・イメージ論Ⅰ』「像としての文学」P66ちくま学芸文庫)
■概念にかかわらないが、そこに含まれている(ハズの)知覚的なもの…という矛盾。マルクスが「五感の形成は、いままでの全世界史の一つの労作である」と評した知覚形成と、言語概念の生成を架橋するものとして、イメージを手がかりにアプローチするハイイメージ論のコアが、ここにあります。
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