「像としての文学」から4
像(イメージ)としての言葉といったら形容矛盾にしかならないが、
作品が文学として表現するのは、極論すればこの形容矛盾いがいではない。
(『ハイ・イメージ論Ⅰ』「像としての文学」P65ちくま学芸文庫)
■言語のイメージを探究した『言語にとって美とはなにか』は、その現代版として『ハイイメージ論』に発展します。それはイメージの文法ともいうべきものの追究です。イメージから言葉にアプローチしていく過程で、それを見る<世界視線>がフォーカスされ、自己の表出であるとともに環界そのものでもある…という矛盾と、矛盾そのものである資本主義と、それを可視化する世界視線とが同定されていきます。
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