<世界視線>について、マトメ
吉本理論の初期3部作の用語として有名になったのが<対幻想>や<共同幻想>という言葉。
その3部作のなかの『言語にとって美とはなにか』を発展させた『ハイ・イメージ論』で登場したキーワードが<世界視線>です。
それは以下のように考えられます。
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世界視線=過視的な世界像・世界観
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「世界視線」は簡単にいえばCG映像のような視覚イメージ。
対象の表も裏も、前も後ろも、上面も下面も側面も自由自在に見ることができるのが世界視線で、すべての方向方角において等価な視線です。それとともに、同時にその視点の在るところそのものも見えている視線です。
「<純粋視覚>について」でも説明しますが視覚像に以下の各レベルがあります。ヒエラルカルな関係であるとともに、それぞれに不可換な属性があり、まったく独立した位相が考えられます。
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対象的視覚像
視覚センサーに入力されたデータ
知覚的視覚像
自己確定(決定)された視覚像
想像的視覚像
経験値データによる範囲内。
世界視線による視覚像
予期データによって拡張形成された想像的視覚像。
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マテリアルなデータの入力から最終的な判断まで、その過程にはいくつかのステップがあり、それぞれのステップでコントロールの構成が違います。また、コントロール不能の状態として<感情>があります。
サヴァン症候群に類似する視覚能力が言語野を抑制することで再現できることから、意識からのコントロールを解除することで世界視線的な視覚像が得られる可能性があり、これは臨死体験による自己客体視からも類推されます。
問題は、CGとサヴァン的な視覚が対称的な理由によっていることです。CGは推論や予期データにより、サヴァンは抑圧のない器官化した身体感覚によりますが、共通するのはサヴァンもCGも入力データそのものが最大のファクターであること。また、推論プログラムにより最小限のデータから無限大へ向けて描画できるとすれば、この場合は当然推論プログラムそのものが最大のファクターになります。この推論プログラムは心的現象では想像力にあたります。また、データ入力は感覚器官による受容そのものです。
世界視線の<予期データ>は動態的な視覚像や運動としての視覚をアフォードする、あるいは想像力という観念の運動をアフォードするためのデータです。
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