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2012年7月12日 (木)

<世界視線>とは、何か?

 結論からいうと、<世界視線>は想像された視覚像だ。

 <世界視線>は目で見た視覚像のように感じるが、そうではない。
 正確には視覚像ではなくイメージ。感覚の視覚像とは異なる。そこには脳で想像したイメージと視覚が見た映像の違い、つまり“想像”と“映像”という差があるのだ。
 <世界視線>はどんなに鮮やかに見え、ディテールまで見えたとしても、それはリアルな映像や画像ではなく、想像によるイメージなのだ。“過視化”した視線ともいえる。

 問題は、<世界視線>が日常的な想像ではなく、「死んでる自分を見た」とか「何もないはずなのに見えた」というケースが多く臨死体験というような極端な、あるいは極限状況でしか確認ができないものではないか…といえることだ。そして、ここに<世界視線>が考察されてこなかった隠れた原因がある。死んでるとか何もないとかいう状況のために、日常のリアルな視覚との比較検討が最初から度外視されているからだ。

 さらに、逆にいえば、日常的にも世界視線を見ている…イメージしている…想像している…のに、そのことに気がついていないともいえる。そして、ここにも<世界視線>が顕在化しなかったヒントがある。それは「気がついていない」…つまり<世界視線>は気がつかないタイミングで行使されている…ということだ。無意識に行使されているのが<世界視線>の大きな特徴だといえる。吉本隆明はこういった事実にフォーカスして<世界視線>を探究していく。

 <世界視線>の問題?でもあり特徴は2つにまとめられる。普通は見えないものが見えてしまう<過視化した視線>であること。そして<無意識に行使される視線>だということだ。

 ひとことでいえば世界視線は、ゴースト(Ghost)を見ることができる視線なのだ。文字通りそれは“あの世(他界)”を見ることができ、“リバイアサン(怪物)”といわれた国家をも見過ごさない視線でもある。

 『共同幻想論』では「遠野物語」の幽霊の話から“他界を見ることができる認識”を抽出している。それは現実とは関係なくても共同性は成立することを論証するもの。これは、まったく現実とは関係なくても国家や宗教が成立する機序を論理的に分析したものだ。国家論(宗教論も)は機能分析か信じることによる帰依…といったものを取り扱うものが大部分だが、『共同幻想論』は共同性(家族から国家、宗教まで)の生成を認識論をベースに論理的に解析して、ふつうは見えないゴーストまで見させてくれる本だといえる。世界で唯一、国家の生成を論証したものでもある

 『ハイ・イメージ論』で提出された<世界視線>は、すべてを可視化する神のような視線が人間そのものの想像力として、日常の中で行使されていることを示している。



           
ハイ・イメージ論2 (ちくま学芸文庫)

著:吉本 隆明
参考価格:¥1,365
価格:¥1,365

   

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