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2012年7月10日 (火)

すべてを可視化する、<世界視線>

 ランドサット (LANDSAT)GoogleEarth(グーグルアース)のようにすべてを可視化するのが<世界視線>だ。『ハイ・イメージ論』で有名になったターム。
 ランドサットやGoogleEarthはテクノロジカルにすべてを可視化しようとするもの。そのデータは一般に公開されていて、誰もが利用できるようになっている。プライバシーや機密保護の問題でカバーされている画像データもあるが、テクノロジカルには数センチの大きさのものまで識別できるようになっている。ただカメラ視線の影になるものは映像化できない。可視光線は直進しかしないので当然だが、これが光学カメラによる映像の限界かもしれない。物理的なテクノロジーの限界ともいえる。

 CG(コンピュータグラフィック)は、物理的な光学カメラの映像をカバーするテクノロジーだ。データさえあれば何でも描くことができる。可視光線では影になって見えない部分も、データさえあれば描画できる。CGの弱点はデータの有無だけだ。

 

 <世界視線>というのは人間がオリジナルにもっている視線のことだ。生物学的な視線ではなく、動物にはない想像力による視線だと定義できる。吉本隆明が3DのCGを体験して、それをヒントに考察したものだ。CG体験だけならばデータの有無と描画するプログラムが問題になるだけだが、彼は臨死体験の映像について考え、それを参考にしている。また映画『ブレードランナー』の映像からもヒントを得ている。

 臨死体験では、自分の死体の姿を見るという経験が多いようだ。それはナゼなのか? 吉本の思索はこの“自分の死体を見る”ということ、自己客体視に集中していく。そこで大きな2つの矛盾に突き当たるが、その解そのものが<世界視線>なのだ。
 人間は自分を見ることができないし、人間は自分の死を知ることができない…この2つの不可能を可能にしているのが<世界視線>だ。
 そしてもう一つのナゾがある。臨死体験者は、ナゼ同じようなイメージの風景を体験するのか?人種や性別、年令に関係なく、同じようなイメージの体験が多いのはナゼか?という問題だ。<世界視線>は誰にでも同じものを見せさせている視線でもあるのだ。

 吉本の思索は、これらのラジカルな疑問に一挙に、しかもトータルな解をだしている。
 それが<世界視線>であり、そこへたどり着くまでの<共同幻想>といったテーマだ。

 人種が異なっても、人間というものは同じ人間であるように、共通点がある。身体の大きさや、バランスや、機能は宇宙人でもなければ人種間の差異は無い。それらと同じように観念のはたらき、心の作用にも差異は無いはずだ。いわゆる普遍性とか普遍的とかいわれるもの。哲学のテーマのようだが、普遍というものはもっと広く、一般的に追究されてきたものだろう。人類が長い歴史からさまざまなものをサンプリングして考察してきたのも、そのベースのテーマには、この普遍性がある。学問というのもは神学から科学まで、この普遍性を追及してきたものだ。

 吉本隆明も、ほとんど世界レベルの質と量で、この普遍性について思索してきた思想家だといえる。
 戦後最大の思想家というのは、最強の思索者でもあるのだ。
 その思索の結論の一つが、<世界視線>だ。



           
ハイ・イメージ論〈1〉 (ちくま学芸文庫)

著:吉本 隆明
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