「像としての文学」から
触覚的なもの、視覚的なもの、聴覚的なものは、
現実には「概念」にかかわることができない。
だが、それらの知覚的なものすべては、
折り畳まれた生命反映を無意識として積みかさねた形で
「概念」のなかに含んでいる。(『ハイ・イメージ論Ⅰ』「像としての文学」P66ちくま学芸文庫)
自然物の形や姿や景観をえらぶときでさえ
人間は「概念」の規定性である判断によって、
それが最適にみえ、こころよく感じられるようにえらぶ…
(『ハイ・イメージ論Ⅰ』「像としての文学」P67ちくま学芸文庫)
■原了解を生成する基礎的な属性と条件。
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