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2012年7月18日 (水)

「像としての文学」から

触覚的なもの、視覚的なもの、聴覚的なものは、
現実には「概念」にかかわることができない。
だが、それらの知覚的なものすべては、
折り畳まれた生命反映を無意識として積みかさねた形で
「概念」のなかに含んでいる。
(『ハイ・イメージ論Ⅰ』「像としての文学」P66ちくま学芸文庫)

自然物の形や姿や景観をえらぶときでさえ
人間は「概念」の規定性である判断によって、
それが最適にみえ、こころよく感じられるようにえらぶ…

『ハイ・イメージ論Ⅰ』「像としての文学」P67ちくま学芸文庫)

■原了解を生成する基礎的な属性と条件。

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