「像としての文学」から2
生命のイメージともいうべきものの姿は、
言葉の「概念」に対応する〔意味〕によって喚起されるイメージではなくて、
…「概念」のなかに折り畳まれた生命の糸が、「概念」から融けだすことで得られるのだ。
(『ハイ・イメージ論Ⅰ』「像としての文学」P70ちくま学芸文庫)
■概念と概念のなかに重畳されたイメージが形作っていく言語の美について。
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生命のイメージともいうべきものの姿は、
言葉の「概念」に対応する〔意味〕によって喚起されるイメージではなくて、
…「概念」のなかに折り畳まれた生命の糸が、「概念」から融けだすことで得られるのだ。
(『ハイ・イメージ論Ⅰ』「像としての文学」P70ちくま学芸文庫)
■概念と概念のなかに重畳されたイメージが形作っていく言語の美について。
触覚的なもの、視覚的なもの、聴覚的なものは、
現実には「概念」にかかわることができない。
だが、それらの知覚的なものすべては、
折り畳まれた生命反映を無意識として積みかさねた形で
「概念」のなかに含んでいる。(『ハイ・イメージ論Ⅰ』「像としての文学」P66ちくま学芸文庫)
自然物の形や姿や景観をえらぶときでさえ
人間は「概念」の規定性である判断によって、
それが最適にみえ、こころよく感じられるようにえらぶ…
(『ハイ・イメージ論Ⅰ』「像としての文学」P67ちくま学芸文庫)
■原了解を生成する基礎的な属性と条件。
“あ、この光景は見たことがある…”と感じたり、はじめて訪れたのに“前に来たことがあるな…”と感じたりするのがデジャブ。
デジャブのロマンチックなものでは、“はじめて出会ったのに、別れの感情のなかで恋をする”というようなものもある。これはキルケゴールという哲学者の日常的な体験だったらしい。実存主義の思索家だが、そこにはクールな一期一会とはちがったセンチメンタルな何かがあるのかもしれない。この失恋感情のなかで恋をするというキルケゴールは時の流れに過剰にセンシティブで、時間というものに対しても深い理解を示している哲学者でもあるのだ。
広告の世界で写真を撮る時には「シズル感だそうか」というようなディレクションがされることがある。“シズル感”は定義しにくいものだけど、“みずみずしい感じ”などに理解されている。冷えたソーダグラスに結露がキラキラ輝いてるようなイメージだ。このシズル感はマテリアルな感じを言い現したものだが、もっと広い意味では“アハっ!体験”ともいわれるクオリアのことにもなるだろう。単なるオブジェ=対象に対して“アハっ!”と感動してしまうクオリアは、感覚の対象性のレベルで価値を感じてしまう錯誤だが、その詳しい機序が吉本では認識論として明らかにされている。
“デジャブ”と“クオリア”。
この2つに、明確な答えを出していたのが吉本隆明だった。
吉本の理論と用語でいえば、どちらも認識の原了解のレベルでのコンフリクトなのだが、こういった明確な定義はどこからも一度もされたことがないのが実情だ。
“デジャブ”と“クオリア”は、どちらも想像された視覚像であり、視覚化した想像力だ。より正確には視覚像に表出した観念性だともいえる。
これだけでも、吉本隆明が最大の思想家といわれる理由がわかるだろう。
どんな微細なデリケートなこともわからなければ、世界や国家など大きなことなどわかるわけがない。ゴーストや、デジャブ、クオリアを見切れる世界視線は、幻覚や幻想はもちろん、隠蔽やゴマカシが通用しないツールでもあるのだ。
結論からいうと、<世界視線>は想像された視覚像だ。
<世界視線>は目で見た視覚像のように感じるが、そうではない。
正確には視覚像ではなくイメージ。感覚の視覚像とは異なる。そこには脳で想像したイメージと視覚が見た映像の違い、つまり“想像”と“映像”という差があるのだ。
<世界視線>はどんなに鮮やかに見え、ディテールまで見えたとしても、それはリアルな映像や画像ではなく、想像によるイメージなのだ。“過視化”した視線ともいえる。
問題は、<世界視線>が日常的な想像ではなく、「死んでる自分を見た」とか「何もないはずなのに見えた」というケースが多く臨死体験というような極端な、あるいは極限状況でしか確認ができないものではないか…といえることだ。そして、ここに<世界視線>が考察されてこなかった隠れた原因がある。死んでるとか何もないとかいう状況のために、日常のリアルな視覚との比較検討が最初から度外視されているからだ。
さらに、逆にいえば、日常的にも世界視線を見ている…イメージしている…想像している…のに、そのことに気がついていないともいえる。そして、ここにも<世界視線>が顕在化しなかったヒントがある。それは「気がついていない」…つまり<世界視線>は気がつかないタイミングで行使されている…ということだ。無意識に行使されているのが<世界視線>の大きな特徴だといえる。吉本隆明はこういった事実にフォーカスして<世界視線>を探究していく。
<世界視線>の問題?でもあり特徴は2つにまとめられる。普通は見えないものが見えてしまう<過視化した視線>であること。そして<無意識に行使される視線>だということだ。
ひとことでいえば世界視線は、ゴースト(Ghost)を見ることができる視線なのだ。文字通りそれは“あの世(他界)”を見ることができ、“リバイアサン(怪物)”といわれた国家をも見過ごさない視線でもある。
『共同幻想論』では「遠野物語」の幽霊の話から“他界を見ることができる認識”を抽出している。それは現実とは関係なくても共同性は成立することを論証するもの。これは、まったく現実とは関係なくても国家や宗教が成立する機序を論理的に分析したものだ。国家論(宗教論も)は機能分析か信じることによる帰依…といったものを取り扱うものが大部分だが、『共同幻想論』は共同性(家族から国家、宗教まで)の生成を認識論をベースに論理的に解析して、ふつうは見えないゴーストまで見させてくれる本だといえる。世界で唯一、国家の生成を論証したものでもある。
『ハイ・イメージ論』で提出された<世界視線>は、すべてを可視化する神のような視線が人間そのものの想像力として、日常の中で行使されていることを示している。
ハイ・イメージ論2 (ちくま学芸文庫)
著:吉本 隆明
参考価格:¥1,365 価格:¥1,365 |
ランドサット (LANDSAT)やGoogleEarth(グーグルアース)のようにすべてを可視化するのが<世界視線>だ。『ハイ・イメージ論』で有名になったターム。
ランドサットやGoogleEarthはテクノロジカルにすべてを可視化しようとするもの。そのデータは一般に公開されていて、誰もが利用できるようになっている。プライバシーや機密保護の問題でカバーされている画像データもあるが、テクノロジカルには数センチの大きさのものまで識別できるようになっている。ただカメラ視線の影になるものは映像化できない。可視光線は直進しかしないので当然だが、これが光学カメラによる映像の限界かもしれない。物理的なテクノロジーの限界ともいえる。
CG(コンピュータグラフィック)は、物理的な光学カメラの映像をカバーするテクノロジーだ。データさえあれば何でも描くことができる。可視光線では影になって見えない部分も、データさえあれば描画できる。CGの弱点はデータの有無だけだ。
<世界視線>というのは人間がオリジナルにもっている視線のことだ。生物学的な視線ではなく、動物にはない想像力による視線だと定義できる。吉本隆明が3DのCGを体験して、それをヒントに考察したものだ。CG体験だけならばデータの有無と描画するプログラムが問題になるだけだが、彼は臨死体験の映像について考え、それを参考にしている。また映画『ブレードランナー』の映像からもヒントを得ている。
臨死体験では、自分の死体の姿を見るという経験が多いようだ。それはナゼなのか? 吉本の思索はこの“自分の死体を見る”ということ、自己客体視に集中していく。そこで大きな2つの矛盾に突き当たるが、その解そのものが<世界視線>なのだ。
人間は自分を見ることができないし、人間は自分の死を知ることができない…この2つの不可能を可能にしているのが<世界視線>だ。
そしてもう一つのナゾがある。臨死体験者は、ナゼ同じようなイメージの風景を体験するのか?人種や性別、年令に関係なく、同じようなイメージの体験が多いのはナゼか?という問題だ。<世界視線>は誰にでも同じものを見せさせている視線でもあるのだ。
吉本の思索は、これらのラジカルな疑問に一挙に、しかもトータルな解をだしている。
それが<世界視線>であり、そこへたどり着くまでの<共同幻想>といったテーマだ。
人種が異なっても、人間というものは同じ人間であるように、共通点がある。身体の大きさや、バランスや、機能は宇宙人でもなければ人種間の差異は無い。それらと同じように観念のはたらき、心の作用にも差異は無いはずだ。いわゆる普遍性とか普遍的とかいわれるもの。哲学のテーマのようだが、普遍というものはもっと広く、一般的に追究されてきたものだろう。人類が長い歴史からさまざまなものをサンプリングして考察してきたのも、そのベースのテーマには、この普遍性がある。学問というのもは神学から科学まで、この普遍性を追及してきたものだ。
吉本隆明も、ほとんど世界レベルの質と量で、この普遍性について思索してきた思想家だといえる。
戦後最大の思想家というのは、最強の思索者でもあるのだ。
その思索の結論の一つが、<世界視線>だ。
ハイ・イメージ論〈1〉 (ちくま学芸文庫)
著:吉本 隆明
参考価格:¥1,365 価格:¥1,365 |
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