<モノ>と<イメージ>の認識
モノを視るということは、いつも<視る構造>をとおして視ている…ということです。
何を、どこで、いつ視ても変わらない視覚認識の構造があり、常にその構造をとおして視ていることになります。人間のすべての感覚は同じように、それぞれの<感覚の構造>をとおして感覚しています。
認識するということは、すべて同じようになっています。何かを認識するということは、<認識する構造>をとおして認識しているワケです。いつでも、どこでも、認識するということは認識する構造をとおして認識しています。
この構造とその仕組みや仕方を時空間構造で解説したのが心的現象論序説の内容になります。
心像=イメージを見るというのは、イメージを見る構造をとおしてイメージを見ていることになります。
イメージを見るということは想像するということであり、イメージを見る、想像する…ということは、認識の構造のなかでもいちばん複雑で高度なものになります。イメージや想像力について思索をめぐらせた現代思想や哲学の巨匠たちでも、イメージについて充分な考察をできてはいません(サルトルやMポンティは重要なポイントを突いていますが)。
イメージや想像には形があります。そのためにイメージへの思索は現実の視覚像との区別ができていないという初歩的な錯誤も多く、混同したり混乱しがちです(オートポイエーシスなどではその混乱そのものがユニークです)。またイメージにはあらかじめ価値判断が含まれているために大変に複雑な面もあります。
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