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2016年3月18日 (金)

<指示表出>と<自己表出>…文学系に気になる言葉

 <指示表出>と<自己表出>…共同幻想とともに知られているタームですが、これもまた定義をめぐって混沌としたものがあるかもしれません。プロの論者でも初歩の段階で理解に至っていないケースが多く、そもそも吉本用語はまったく理解できないと正直に嘆いてしまったアンファンテリブルがいるほどです。一方で、吉本の用語は理解しやすく現代思想を先駆けているという評価もあり、この両極は何を示しているのでしょうか…。

 言語にはさまざまなアプローチができますが、品詞に分けるのがカンタンです。
 品詞でいえば<指示表出>は名詞、<自己表出>は助詞。前者は<何か>を示していて、後者は<主体の意識>を示しています。前者はそれだけで完結しますが、後者は何(について)の意識なのかは<何か>をいっしょに示さなければわかりません。助詞だけで成り立つ文章や助詞だけで交わされるコミュニケーションはありえないでしょう。意識は絶えず何かについての意識であり、何かとの関係においてはじめて意味をもつもの。助詞が示すのは意識の、何かへ向かっての志向性であって、何かそのものではないからです。意識そのものは志向する対象である何かとともにでなければ具現化=概念化しません。この具現化されるものそのものを指し示すのが指示表出です。

           
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 名詞という指示表出は、名詞を指すことによって示すことができる自己表出とともにひとつにカップリングされたもの。あらゆる言葉は指示表出と自己表出の両価であり例外はありません。吉本は沈黙という指示表出ゼロであるかのような状態さえ、それは自己表出だとして大いなる価値を与えました。これにJケージの「4分33秒」を想起する方も少なくないでしょう。(ハイイメージ論収録の「像としての音階」のJケージ論は、聴覚の受容コードそのものの生成が解かれていて、該当ジャンルの専門家を圧倒するものになっています)。

 言語論として取り上げられることが多い<指示表出>と<自己表出>。文芸批評のツールとして考えられた概念装置なので当然かもしれません。名詞を指示表出、助詞を自己表出のそれそれ両極として解説した図表のせいか、品詞分類のひとつだと誤解されていることもあるようです。

 吉本が大きな影響を受けた三木成夫の最初の著作「解剖生理」にはアリストテレスとビシャの影響で人体を構成する諸器官が植物性器官=内臓系と動物性器官=体壁系の2つに色分けされて記述されている…ということを、文芸評論家の加藤典洋氏が指摘しています。
 この内臓系と体壁系の表出がそれぞれ自己表出と指示表出になるものです。

 ハイイメージ論では内臓へ由来する価値の経路を示した思想家としてA.スミスも取り上げられています。経済学でも限界効用は内臓に規定され、労働価値は体壁に規定されているワケで、考えてもみると興味深いものがあります。

           
ハイ・イメージ論2 (ちくま学芸文庫)

著:吉本 隆明
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 加藤典洋氏が<自己表出><指示表出>についてとてもわかりやすい紹介をしていました。

 吉本は、1960年代に著した言語論の中で、
 言語を書き手の思いを負荷として担っている部分と、
 書き手の意図を負荷として担っている部分との「共存」として考えればいいと考え、
 そのそれぞれの部分を自己表出、指示表出と名づけた(『言語にとって美とは何か』)。

                                                   (「人類が永遠につづくのではないとしたら」P390)

           
人類が永遠に続くのではないとしたら

著:加藤 典洋 , 他
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『言語にとって美とはなにか』…「自己表出」「指示表出」「共同幻想」

心的現象論序説でみた<自己表出>と<指示表出>

指示表出と自己表出の可能性

2つの表出…指示と自己

<内コミュニケーション>という無意識

イメージを生むもの…とは?

言語とイメージが探究される理由は? 2

2016年1月16日 (土)

液性環境の動的平衡からはじまる…『心は遺伝子をこえるか』

 本書はポストモダンの最大の成果である<自己言及>をスタートにもゴールにも基礎にしている。もちろん著者は思想的な運動であったポストモダンに関心などないだろうが、ポスモダの当事者が何らかの解も何も出せなかったのと比べれば、本書の成果はとてつもなく大きいといえる(もちろん浅田彰氏のように何も提出しなかったことでポスモダの解というものを体現したスタンスは貴重だ)。そもそも自己言及というものを問題の基礎に据えたベイトソンなどのクラスを除けば、ここまで到達した思索はない。松岡正剛氏が著者をポアンカレーにたとえるほど評価している理由も、本書を読むと歴然だ。

   自己触媒こそは、生命の系をつらぬいている鍵となる概念であろう。
   『心は遺伝子をこえるか』(木下清一郎・東京大学出版会)
   「第一章 遺伝子は生命を機械になしうるか」「2 「心」の誕生」「(1)動物に心はあるか」(P15)

 本書『心は遺伝子をこえるか』でいう細胞間コミュニケーションは<内コミュニケーション>とオーバーラップする。リン脂質の液性環境に浸った細胞には安定と変化という相反するものが可能で、その平衡状態に対応するものとしての心的現象が想定でき、時点ゼロの双数性として設定できる。

           
心の起源 生物学からの挑戦 (中公新書)

著:木下清一郎
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 遺伝子が自己複製するためにはあらかじめ自己を<記憶>しておくことが必要であり、この記憶を<心の起源>とするのが『心の起源』だった。本書はその延長にあり、さらには考察を深め、生命にとっての心が探究されている。


 あらたにはいってくる情報と過去の記憶との照合がおこなわれ、
 ある判断がでてくることになる。それにともなってもう一つ、
 照合にさいしての満足度のようなものとして、感情があらわれてくる。
 判断と感情の最初の出現は、記憶の形成とおなじくしていて、そのあと、
 判断の複雑さが増していくにつれて、感情の複雑さもその度合いを増していくというように、
 心はしだいに複雑になっていく。

             『心は遺伝子をこえるか』(木下清一郎・東京大学出版会)
             「第一章 遺伝子は生命を機械になしうるか」「2 「心」の誕生」
             「(1)動物に心はあるか」(P9)

           
心は遺伝子をこえるか

著:木下 清一郎
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 感情や気分といったもっとも人間らしいものについてキチンとした定義ができない人文科学に対し、本書はハッキリした解を示してもいる。
 過去の記憶と照合したときのズレに対する評価としての<感情>や<気分>「液性環境が気分そのものになる」という明確な定義。ある特定の気分(=状態)というものは、この<液性環境>のある何らかの偏りを示すことになる。これは健康診断で最も重要で基本的な指標となる血液検査からも類推できる。血液環境は液性環境の代表的なものだ。細胞間コミュニケーションをとる液性環境を生成する最大の要因と資源は血液であり、そのさまざまな反応や変化が「内分泌系を主体とする液性の細胞間コミュンニケーション」なのだ。


           
細胞のコミュニケーション―情報とシグナルからみた細胞 (生命科学シリーズ)

著:木下 清一郎
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 この内分泌系の細胞間コミュニケーションとともに個体を構成する情報システムのもう一つが神経系だ。神経系の基本的な作動である<反射>、情報のストックである<記憶>は、自らの安全・安定のために過去の記憶と現在の認識を照合する…。
 照合は判断(環境と世界に対する適・不適などの判断、思考)のはじまりであり、その結果は気分としてその時点での総合判断・統合認識を形成する…。
 具体的にはリン脂質をメインにプロスタグランジンなどの微妙な変化と増減によってその時点での状態が体現される。これがその時点での気分だ。もちろん気分は変化していく…。

 個体というシステムが平衡を維持するように自己変化するのが動的平衡であり、これは自己言及によるフィードバックを前提とするコントロールだ。

 遺伝子の自己複製と、単細胞の多細胞化という進化の過程を仔細に考察しながら、心の発生を探究する本書。

 自己表出として表出する心の由来や生成はどこに求められるのか…?

 動物の鳴声やさまざまな生物の個体間におけるサインによる交換などは機能分析はできても人間の言語の発生のヒントにはならない。

 記憶と現況認識の照合、それらを総合したものとしての概念や情報。これらの膨大なストックから特定の関係を自在に取り出すための言語。ここに情報のタグとしての言葉の生成を見出すことができる。
 詩人は自由に詩がつくれると考え、言語学者は言語があると思っている…という吉本隆明のアイロニカルな指摘。それを背理にするような言語の基本的な定義をここから考えるコトができるだろう。

 大脳新皮質での情報処理が連合野の登場により総合的なものに発展したことは重大な臨界点となる。それまで、個々の感覚からの情報を概念にまとめていたのが、複数の概念を比較し相互に参照するようになったのだ。このことによって、たとえば、猫や犬のように自分の尻尾を追いかける…ようなことがなくなったといえる。個別の感覚が常に別の感覚や認識からチェックされているからだ。
 言語の生成により人間がトレードオフしたものは、母型論的にいえばスキゾフレニックなものだが、それとは別に、ここにも人間の自己に亀裂をもたらす機会が生じたともいえる。複数の中心を産出しうる連合野の登場は複雑な情況を生き抜くための方便であるとともに、人間にスキゾフレニックな認識をもたらしたからだ。

 生物としての種が、個体(の限界)を超えて担保されるための装置として快楽を定義した本書は、ジャンルを超えて先端であることは確かだ。欲望や快楽や誘惑をテーマとしてきた思想や哲学が到達できなかった解さえも、ここにあるからだ。

2015年12月31日 (木)

言語論をベースにした批評のガイド―『詩人・評論家・作家のための言語論』

戦後最大の思想家が「自信作」だと自賛する、批評するための、あるいは批評家になるためにも役に立つガイドが本書。言語論だが表層の言語表現ではなく、その表現を導き出したものすべてがターゲットにされている吉本隆明らしい言語論。『言語にとって美とはなにか』より深いというか、そもそもの目的が違うので『心的現象論序説』寄りに見え、非言語コミュニケーション=「内コミュニケーション」へのアプローチなど『母型論』との関連が深い。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
戦後最大の思想家によるマニフェスト

 この本は基本的に言語論をベースにした言語批評(文芸批評)のガイドを目指している。しかし、それは通常の言語論ではない。言語論そのものの前提として非言語コミュニケーション=「内コミュニケーション」の分析に重点を置き、言語取得以前の人間=胎児~幼児の心的現象にフォーカスしている。その目的は心的な発展段階に応じた表出のレベルを同定することによって、言語による作品の表現から遡行的に主体の内面=心的世界を解明しようという試みである。
 つまり、本書は吉本隆明の基本的理論である『心的現象論序説』や『言語にとって美とはなにか』の成果を踏まえたマニフェストだといえるだろう。吉本自らが自信作だと自賛しているだけある内容と可能性に満ちた本でもある。
 それは同時に、!再び注目を集めつつある〝戦後最大の思想家〟としての吉本隆明の理論から我々読者が何をどのように展開できるのか?と問われていることにもなるだろうか。思想家の自信作を前に我々はどうするのか?...である。今、吉本隆明の読解が〝可能性の中心〟を可能せしめるかどうかが問われつつある。

2003/7/24

           
詩人・評論家・作家のための言語論

著:吉本 隆明
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母型論

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定本 言語にとって美とはなにか〈1〉 (角川ソフィア文庫)

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2015年11月30日 (月)

2つの表出…指示と自己

 「指示表出」と「自己表出」の2つは「共同幻想」という言葉とともに有名?な吉本ターム。

 沈黙は幹だ…この『「芸術言語論」への覚書』やその講演である『吉本隆明 語る ~沈黙から芸術まで~』で話題になった言葉「沈黙は幹だ」は自己表出を指したもので、幹に対して枝葉である指示表出との関係を示しています。詩人である吉本さんらしい文学的な換喩ですが、思索者あるいは理論家としては『言語にとって美とはなにか』『心的現象論序説』で緻密な考察がされています。特に心的現象論における言語への考察は、『序説』でも『心的現象論本論』でも人間の根源を解く鋭いものになっています。そこでは<自己>と<指示>という2つの概念へのアプローチも用法もより細分化されています。

 それは<自己確定>と<指示決定>という言葉に再定義できる内容となっています。

 自己表出というものは自らの価値判断を前提とするもので、いわゆる自分そのものの表出。そのために{<自己>が(自己を)<確定>するもの}という根源的な定義があります。自らの意志による価値判断に基づく表出ということです。その初源を抽象すれば(自己による)<自己抽象(性)>になり、これはあらゆる認識の<概念>形成のベースとなるものです。
 指示表出というものは自らの価値判断とは無関係に他からやってくるもので、他者によって{<指示>され<決定>されているもの}であり、初源の定義は他からやってくるという(自己による)<関係(性)>だけです。これはラジカルには<自己関係(性)>であり、あらゆる認識の<規範>形成のベースとなるものです。

 意志、価値、関係などのタームは最重要なものでありながら思想や哲学をはじめ一般的にも明確な定義をされていることがあまりありません。『言語にとって美とはなにか』では『心的現象論序説』の言語論などと照応しながら根本的な定義がされています。


     言語の意味とは意識の指示表出からみれば言語構造の全体の関係である。
            (『言語にとって美とはなにか』 第Ⅱ章 言語の属性 「1 意味」P73)

     意識の自己表出からみられた言語構造の全体の関係を価値とよぶ。
            (『言語にとって美とはなにか』 第Ⅱ章 言語の属性 「1 意味」P85)


 自己(身体と場)に対する認識があらゆる認識の原点にあることは発生学的にも遡行できますが、何より三木成夫氏の解剖学によるマテリアルな基礎づけのもとにフロイトやヘーゲルなどを参照しながら思索を深めた吉本理論のオリジンがここにあるといえるでしょう。

 吉本隆明さんの言語論であまりにも有名な指示表出と自己表出という2つのターム、。マルクスで有名になった上部構造/下部構造のように分析や思索するときの機能的なツールとしても便利なものなのではないでしょうか。それらを駆使した分析やクリティークの登場が待たれます。


           
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2015年10月31日 (土)

スタートでありゴールでもある…2つの心的現象論

 『心的現象論序説』は知の巨人が書いた最も難解な本…本書の宣伝コピーを書くなら、こんな風になるかもしれません。共同幻想などの言葉で有名な詩人吉本隆明氏の、原理論三部作のうちの一冊。個人の認識=心的現象からすべてを解き明かしていくもの。『共同幻想論』『言語にとって美とはなにか』とともに原理論を構成しています。

 原理論三部作はある意味で同じテーマをそれぞれ3つの位相から探究したもので、メインのテーマは<関係>。あらゆる意味で人間関係というものが究極のターゲットになっているといえます。マルクスでいう上部構造です。下部構造が生産緒関係という事物の関係=経済そのものであり、上部構造はその事物を媒介項とした人間関係(社会関係)であり、そこには文明や文化、そして商品としてのあらゆる生産物(との意味)が入るでしょう。心的現象論序説はそれらを人間の認識=観念の運動から解き明かしていきます。

 心的現象論序説の用語には原生的疎外純粋疎外などの哲学系のもの、ベクトル変容遠隔対称性などの位相幾何学系のものなど独特の概念が登場します。しかしソーカル事件で問題になったようなアバウトな趣きはなく、東工大出身というバリバリの理系の知見であることがわかります。著者は詩人ですが理論に関しては<水>を<H2O>(エイチツーオー)と表現したいと述べるほど徹底した科学者のスタンスが貫かれています。

 そのために数学や論理学といった理系的なクール?な概念の本質と由来が自然の過程として説明されています。たとえば非ユークリッド幾何学とユークリッド幾何学との認識論的切断があるとしても、それより本質的な同一性があることを自然過程として把握する吉本の思想があります。ライプニッツの神も自然が転換する契機となる変数だ…というのが吉本の認識(ハイイメージ論)であり思想なのです…。

   <概念>としてもっとも高度な整序された系とみなされる数論的な系でも
   <概念>は自然認知の程度にしたがう。

 数学や形式論理は指示表出だけの論理ですが、自然史的な過程を超えた認識はあり得ないことを前提に、数理概念も自然の一部でしかないという当たり前のことが当たり前に認識されています。…吉本の思索がある種無色透明に感じられることがあるのは、こんなところに理由があるのかもしれません。

           
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 吉本隆明の思索は<関係>とういうものをターゲットに、その一点にフォーカスしていきます。初期のマタイ伝をエグザンプルとした探究で<関係の絶対性>という言葉が評判になりましたが、このスタート時点で、ほぼラストまでを見切っていたともいえるのも、吉本隆明の思想家としての大きな特徴なのかもしれません。

           
共同幻想論 (角川文庫ソフィア)

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 原理論である三部作それぞれから<関係>へのアプローチがされています。
 <共同幻想>は吉本理論で有名になった言葉ですが、これには3つの呼び方があります。『心的現象論序説』では<幻想的共同性>、『言語にとって美とはなにか』では<社会的幻想>と呼ばれ、<共同幻想>というのは『共同幻想論』での呼称です。それぞれのスタンスで同じ<関係>への呼び名が異なるようになっています。<公的幻想=Public Illusion>(マルクス)から(の)演繹?あるいは意識したものとしての、概念装置としてディテールまで考慮された用語でもあるといえるでしょう。

           
心的現象論本論

著:吉本 隆明
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 『心的現象論本論』は30年以上かかり未完に終わったとされていますが、吉本自身が想定どおりに終わったとも語っています。この本論はエグザンプルが豊富で、領域もノンジャンル。縄文の土偶からLSD投与実験、錯覚心理学やニューエイジの生命論のようなものまで詳細に思索されていて、同じように資本主義の商品すべてを扱ったハイイメージ論を思わせるものがあります。
 ハイイメージ論は共同幻想論の現代版として、現在に共同性の倫理が不在であることを結語としています。現在はある意味で共同性としては“終わっている”…という認識。しかし固有時をかかえた人間は過剰ななかを生きている…。そこで心的現象論本論はあらゆる症例を、あるいはすべてを症例と捉え、人間の可能性を探究しつつ展開されていきます。最期には心的現象のもっとも共同性をまとったものとして言葉の可能性が示され、日本語の自由な造語の可能性に期待を寄せているという印象のラストになります。

           
ハイ・イメージ論3 (ちくま学芸文庫)

著:吉本 隆明
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 国家や社会という大きな共同性の倫理の不在を結論として示した『ハイイメージ論Ⅲ』。
 そういった情況のなかで、大きな共同性への最期の論考でもある『第二の敗戦期 これからの日本をどうよむか』では、「そういうことでしか可能性はない」という強力なプッシュで「三人ぐらいでつくる集団」に期待すると宣言されています。吉本さんの若い世代へ向けた言葉が印象的です。シェアハウスという言葉は出てきませんが、ネットや小さな共同性への期待は<大衆の原像>とオーバーラップさせることも出来るものではないでしょうか。まったく新しい世代に読まれているのも、吉本隆明の思想らしく、その可能性への探究もまだまだこれからだと思われます。そのスタートにもゴールにもあるのが2つの心的現象論ではないでしょうか。そこには、固有時をめぐる無限の思索がありそうです。

           
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2015年3月20日 (金)

言語とイメージが探究される理由は?

 言語が自己表出と指示表出の二面をもつものだとして、その生成から探究していく論考は他にはないのではないでしょうか…。なぜその生成そのものが問われたのか? 誤解を招く可能性も承知のうえでいえば、それはイメージを探究するためだと考えられます。

  言語にイメージを与えているものは何か?
  あるいは
  言語がイメージさせるものは何か?
  といった問題を
  言語にとって美とはなにか?…と吉本隆明は問い続けています。

 端的にいえば「言語にとって美とはなにか」言語とイメージの関係を探究したもの。そしてそのために言語の生成からトレースしていったもの…になります。別の言い方をすれば、結果として優れた言語論なのであっても、それが目的ではなく、ましてや言語を追究すればイメージが解明できる…という安易な認識によるものではありません。

 イメージを追究するためには言語について考察するしかなかった…ともいえるものであり、言語(だけ)を追究しても平凡な哲学の域をでないことは予め確認されたうえでの言語論としての「言語にとって美とはなにか」になります。
 言語における指示表出を、資本主義のプロダクト全般=作品にまで拡張したイメージ論では、当然ですが、特定ジャンルでしかない言語論のままではフォローできません。「言語の概念をイメージの概念に変換する」…という吉本隆明の企てがどれほど多くの論者を振り切ったのか。マス&ハイのイメージ論に至って大部分の論者が吉本に言及しなくなったのは、その一つの証拠かもしれません。正確には言及できなくなった、ということでしょう…。


           
マス・イメージ論 (講談社文芸文庫)

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ハイ・イメージ論〈2〉 (福武文庫)

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 ラジカルな問題として<イメージ>とは何でしょう?
 イメージとは?…と、漠然と思索する前に、吉本の論考はきわめてシステマチックに構成されていることがわかります。

   言語の概念をイメージの概念に変換することによって
   三部作に分離していたものを総合的に扱いたい。

大和書房の全撰集7・『イメージ論』には以上のような説明があります。「イメージという概念に固有な理論、その根拠をつくりあげる」ことを目指し、哲学や現象学が定義しきれないできた<イメージ>について問い、それを根拠に現在を把握していこうとする作業です。

 

           
イメージ論 (吉本隆明全集撰)

著:吉本 隆明
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       -       -       -

 言語分析だけで人間が探究できるならば、精神分析も分子生物学も必要ありませんが、事実はむしろ逆で、吉本の思索はイメージを探究するために言語からバイオリズムまで、生命に関わるほとんどずべての知見が求められているという認識にもとづく展開になっています。

           
【合本版】定本 言語にとって美とはなにか (角川ソフィア文庫)

著:吉本 隆明
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 もっとも基本的なところでは三木成夫の発生生物学(「胎児の世界」)、解剖学的(「ヒトのからだ―生物史的考察」)見地から、呼吸によるリズムや発声という延長に言語についての思索がめぐらされていきます。その延長では言語外の母子関係である内コミュニケーション が考察されています。外コミュニケーションは言語による関係であり言語論や社会学的な対象となるものですが、内コミュニケーションはそもそも無意識的なものであり、内分泌系や生理反応的なもの、レセプターやイオンチャネルなども関係する分子生物学や細胞学的なものです。

           
胎児の世界―人類の生命記憶 (中公新書 (691))

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母型論

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心とは何か―心的現象論入門

著:吉本 隆明
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 さらに「母型論」「心的現象論入門」では人間の睡眠・覚醒と月や潮汐の25時間周期のリズムと地球と太陽の関係である24時間周期のリズムを取り上げ、この2つの周期のリズムのズレが人間の睡眠や覚醒の障害の原因であると指摘されています。共同幻想論などで取り上げられてきた幻想の生じる契機である夢幻様や入眠状態というのは、睡眠と覚醒の純粋状態であることを考えると、リズム(時間性)を基礎とした最もラジカルな環界といういうものが可視化されてきます。身体の時間性が心的現象を統括しているとする心的現象論のいちばんの基本的な認識の基礎になるものがここにあります。

 社会的な環界としての言語の第一義的な意味とは別に、個別的現存たる個体の環界の基礎は自然のマテリアルであることが明白です。水をH2Oと表現したいという吉本の願望は、その理論全体によってはじめて顕在化するのかもしれません。固有時に普遍的なものを求めた、あるいは探そうとしたスタンスが、そこにはあります。マルクスが類の根拠を個体に求めたのと同じようなもの…。

           
海・呼吸・古代形象―生命記憶と回想

著:三木 成夫
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2015年2月28日 (土)

イメージを生むもの…とは?

  言語における像がなぜ可能となるか、を社会的な要因へまで潜在的にくぐってゆけば、
  意識に自己表出をうながした社会的幻想の関係と、
  指示表出をうながした生産諸関係とが矛盾を来たした、
  楽園喪失のさいしょまでかいくぐることができる。

          (『言語にとって美とはなにか Ⅰ』「第Ⅱ章 言語の属性」「3 文字・像」)

 「意識に自己表出をうながした社会的幻想の関係」というのは、『共同幻想論』によれば共同幻想と共同幻想(あるいは対幻想)の軋轢などから自己幻想=自意識を析出させられるような事態のことになります。こういった認識、何かをブレークスルーしなければならないようなアプローチは、「ソシュールのプログラムには自己表出としての言語は存在していない」(『言語にとって美とはなにか』「第Ⅱ章 言語の属性」「1 意味」)という鮮やかな見切りをはじめ、自己表出=価値(論)を追究していく吉本理論の凄みと破壊力によるところが大きいものかもしれません。


           
共同幻想論 (角川文庫ソフィア)

著:吉本 隆明
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  原始人の叫びごえが特定の律動をもち…
  特定の音の組み合わせが、特定の対象にむすびつき、
  その象徴としてあらわれたことは、たれも否定することができない。
  この過程は…
  そのなかから個別的な音の響きをききわけて個別的なちがいをみとめるとともに、
  抽出された音声の共通性を認知できるようになったことを意味している。

  (『言語にとって美とはなにか Ⅰ』第Ⅰ章 言語の本質 3 音韻・韻律・品詞)

 音声の「特定の律動」と「特定の音」が「特定の対象」に結びつき、音声そのものが「その象徴」として現わされ、それへの感受性が知覚から解釈へと展開していく過程がシンプルに説明されます。「音の響きをききわけて」「個別的なちがい」を知り、そこから逆に「抽出された音声の共通性を認知できる」ようになっていくことが示されています。感覚よる受容から共同性までのステップはこの程度にシンプルなもの。


  自己表出は現実的な与件にうながされた現実的な意識の体験が累積して、
  もはや意識の内部に幻想の可能性として想定できるにいたったもので、
  これが人間の言語の現実離脱の水準をきめるとともに、
  ある時代の言語の水準をしめす尺度となることができる。

  言語はこのように対象にたいする指示と
  対象にたいする意識の自動的水準の表出という
  二重性として言語本質をなしている。

  (『言語にとって美とはなにか Ⅰ』「第Ⅰ章 言語の本質」「1 発生の機構」)

 言語が対象を指示していることと、その対象への認識のレベルという2つの位相が、言語の二重性としてあることが示されています。指示表出と自己表出の二重性です。指示表出と自己表出は言語にとって不可分であり、その不可分さだけをフォーカスすれば、理念的にはそのカップリングは純粋言語として言語の本質をなしていることになります。現実にはTPOによりあらゆる言語は個別的現存において何らかの機能や意味を帯びており、その固有時間における一回性のものであることが第一義的な事実でしょう。


           
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 人間がなぜ像=イメージというものをもつのか? このもっとも人間らしいナゾは、それこそナゾそのものとしてあります。もちろん、このナゾにもさまざまな位相があります。眠っていて、あらゆる感覚が現実を感受する能力を失っている時でも人間は夢=イメージを見ますが、吉本理論やここでの思索では、夢は「現実を感受する能力を失っている時」だからこそ見るものであり、それは実験心理学でも明らかな、まったく刺激がなければ覚醒していても幻覚を見るというような実験をエビデンスとすることができるものです。神はいないからこそ、国家もないからこそ、これらは「ある」ものとして認識され、事実その連続が歴史として、その関係が世界として、人間の生きている環界をつくってきました。クオリアに象徴されるような認識のリアリティも、そのミニマムなもの。あらゆる錯覚も同じ理由によるでしょう。

  音声は、現実界を視覚的に反映したときの反射的な音声であったとき、
  あきらかに知覚的な次元にあり、指示表出は現実界への直接の指示であった。
  しかし、音声が意識の自己表出として発せられるようになって、
  指示性は現実にたいするたんなる反射ではなく、対象性としての指示にかわった。

           (『言語にとって美とはなにか Ⅰ』「第Ⅱ章 言語の属性」「3 文字・像」)

 『言語にとって美とはなにか』という吉本隆明の代表作は、言語が像=イメージをもつことへの探究です。言葉については哲学から言語学まで、宗教も含めて、さまざまな考察や思想が古今東西あるのでしょうが、いずれも大きな陥穽やヌケがある可能性があります。それは考察するときの対象としての言語の形態の把握からしてアバウトなため。表音文字と表意文字では全く異なる位相があるし、発声されている言葉か、書かれた文字かでも大きな違いがあります。吉本隆明は、そういった属性の違いをていねいに整理しながら論を進めています。ラカン派の精神分析医が漢字は別物だ…とその著書で指摘していますが、形態や属性への考察、基本的な峻別がなくては説得力のある探究は困難。逆に、たとえば書くもの書かれたものとしての現場からは、白川静 のように書くという行為(の常同反復)から何かを感得しようとするアプローチにカントの思索のような可能性があるかもしれません。


           
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2014年12月16日 (火)

「韻律がふくんでいる指示性」とは?

どんな表現も、あるワク組・規範がないと成立しません。当然ですが、何かを必死に訴えたところで、それが言葉にも声にも、あるいはサインや記号にもなっていなければ、それが何だかはわかりません。その必死の表現は、単に何かの表出であって、他者にまで伝わる表現(意味の伝達)ではありえないものとして終わってしまいます。

ある表出が表現と化す臨界を、吉本隆明は簡明に、鮮やかに描いています。

   <ウ><ワア>と<ウワア>が、もしちがった意味をあらわすとすれば、
   ふたつの韻律のちがいにその理由をもとめなければならない。
   すでに、韻律がふくんでいるこの指示性の根源を、
   指示表出以前の指示表出の本質とみなしてきた。

      (『言語にとって美とはなにか』第Ⅲ章 韻律・撰択・転換・喩P108)

           
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 ここではワク組や規範の機能それ自体が意味を表象させる根源であることが微分されています。単にシンプルな分節あるいは韻律の違いが、それだけで意味の違いを現しているというその根源について、指摘されています。この「指示性」はノエシス的なものも含意するもの。

 同じページにヘーゲルによる、詩についての有名な解説が『美学』から引用されています。

   詩は韻文で書かれることを本質的要件とする。
   …
   韻文を聴くひとには、それが通常の意識において気ままに語られたものとは
   別種のものなのだということがすぐわかる。
   それに固有の効果は内容にあるのではなく、対象面にあるのではなくて、
   これらにつけられた規定にあるのであり、
   この規定はこの内容にではなくてもっぱら主観に帰属することを直接に明示している。
   ここに存する統一性・均等性によってこそ、
   規則的な形式は自我性に諧和するひびきを発するのである。

   (『言語にとって美とはなにか』第Ⅲ章 韻律・撰択・転換・喩P108~P109。
                                     ヘーゲルの『美学』から引用)

           
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 「本質的要件」というのは音楽と同じで、分節されている、リズムがあるということ。
 「規則的な形式」が「自我性に諧和するひびきを発する」というのは、直截?にいえば自我のリズムがシンクロする規則的な形式があることを示していて、日本語でいえば五・七の音数律がその規則性であり形式になります。五・七の音数律が奇数なのは、偶数では心拍をはじめとして基礎が2ビートである人間にとって安定的であり運動や行為の終息には適していますが、継続や前進には奇数がいいワケです。奇数には安定を求めてさらに進行するという属性があるといえるでしょう。

 韻律についてのヘーゲルの考察を評価するところでの指摘が以下。「みている」というのはヘーゲルがそうみているということです。
 「内容とも対象とも異なった」ものだけども「主観に帰属するもの」で、「意識それ自体」と不可分なもの…。いかにも吉本隆明らしく、ヘーゲルやあるいはマルクスとオーバーラップするようなポイントがフォーカスされています。しかもそれは「完全に対象的に固定化されない」といいます。

   …韻律としての言語が内容とも対象とも異なった「主観に帰属するもの」、
   いいかえれば意識それ自体に粘りついてはなれないもの、
   完全に対象的に固定化されないものとみている…

      (『言語にとって美とはなにか』第Ⅲ章 韻律・撰択・転換・喩P109)

 「対象的に固定化されない」つまり可変性のあるもの…。韻律の定義のこの部分は重要なことを示していそうです。認識のワク組の生成として“ベイトソンの学習”的なものがありますが、同じように表出から表現へ至る時のワク組の生成として固定化されないもの=ワク組の可変性があるワケです。

 このワク組の可変性には、環界への根源的な関係性が影響していると考えられます。

2014年11月20日 (木)

「ノエシス的な自発性」…とは?

研究のために自分でレヴィ=ストロースの「親族の基本構造」を翻訳(日本では初?)し、その原稿を吉本隆明に求められてわたした橋爪大三郎氏。その橋爪氏は『永遠の吉本隆明』で以下のようにいう。

     フランス現代思想と並行する知的営為であり、
     それとは独立であり、あるところでは先んじている。

             (『永遠の吉本隆明』「第二章 吉本隆明の仕事を読んでみる」P78)

           
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       -       -       -

フランス現代思想といえばニューアカのベースでもあるし、そのポストモダンぶりは旧来の思想を超えたとされていた。構造主義は弁証法を超えたのであり、フランス現代思想の多くの思想家もマルクスを超えた?のだろう…という幻想まであったかもしれない。また、大澤真幸氏のように吉本隆明こそポストモダニストだと指摘する向きもある…。

ところで…以下のような解釈は可能なのだろうか?


           
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純粋な差異化のエレメントとしてノエシス的な自発性の動きというものがあると考える。
それがノエマ的な自己に逆規定されてはじめてノエシス的な自己になるのだと。
この、自発性の場における差異化の運動というものは、まさしくスキゾフレニックな運動そのものですね。
『逃走論』<対話>「ドゥルーズ=ガタリを読む」(今村仁司浅田彰)より)

                      ↓

純粋な差異化の要素として指示表出的な自発性の動きというものがあると考える。
それが自己表出的な自己に逆規定されてはじめて指示表出的な自己になるのだと。
この、自発性の場における差異化の運動というものは、まさしく分裂病的な運動そのものですね。

                      ↓

純粋な差異化の要素として自己関係性の動きがあると考える。
それが自己抽象性の力動にドライブされてはじめて自己関係的な対自的な自己になるのだと。
この、自己意識の場における差異化の運動というものは、まさしく分裂病的な運動そのものですね。


           
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2014年2月28日 (金)

母音も虫の音も言語野で聴く日本人とポリネシア系…

 日本語では母音の「あいうえお」のどれにも意味ある言葉をあてはめることができる…
 ポリネシア語にもこの特徴があるが、そのほかに近隣の言語でこの特質をもつものはない…
 日本人とポリネシア語圏の諸族だけがこおろぎの鳴き音を脳の言語優位の半球で聴いている…

                                     (『母型論』「連環論」P41から)

 以上は『母型論』で吉本隆明氏が角田忠信氏の『脳の発見』から援用しているものです。
 かんたんにいえば、自然音と声が同じように感受されることが日本語やポリネシア語の特徴として説明されています。単なる母音に意味を見出し、単なる虫の鳴き声も言語野で聴く日本人やポリネシア人。そこには子音の微妙な発音(の差異)に意味を見出すインド・ヨーロッパ語などとは異なる言語感があります。単なる発声でしかないようなシンプルな母音にも意味づけをする日本人やポリネシア系の人々。これらは何を示しているのでしょうか。

           
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 発音の仕方に左右されないということは、対象となる音声の質に左右されることなく感受することが可能なことを意味しています。相手の発音(あるいは自然音の属性)に左右されない感受性…。吉本理論で重視される主体としての受動性には、人間の原点でもあるその在り方そのものの大きな可能性がありそうです。(受動性のファクターとして考えられるものの一つは、セロトニン・トランスポート能力が低いs遺伝子の多さやドーパミン第四受容体多型の少なさというポリネシア系の遺伝的特徴があります。*「セロトニンとドーパミン」 そしてその生体のシステム(*「ポリリズムと自然音と人声と」) に還元できない特徴や属性への探究として心的現象(論)があるワケです)

 吉本理論の文脈でいえば、そこには、指示表出と自己表出(指示決定と自己確定)に分岐?する以前の音からも感受しているといえるものが示されています。別のいい方をすれば、規範と意味(概念)の渾然一体となったものを自然音や母音に見出しているともいえます。極論すると、日本人やポリネシア人のこの特徴は、すべてを自己表出だとするような繊細?な感性の現われでもあり、そこに人間という現存在の直接性の意味や価値=美があるのかもしれません。

 ある種、どんな自然音からも意味を見出せるなら、それは、どんな自然音を模倣してもコミュニケーションができる…ということを示唆しています。たとえば以前のエントリー*「規範に引き寄せられた言語、さえずるピダハン族」で取り上げたピダハンの言語がそれです。「「環境との緊張関係がないために対自意識そのものが表出すること」…つまり自己関係性の空間性がダイレクトに規範を生成する」と書きましたが、これは自然と自己の不可分性でもあり、以下のように吉本隆明氏が指摘するものに関係があると考えられるものです。



   旧日本語的な特性は、個体の言語の発達史からいえば、
   乳児期の「あわわ言葉」を離脱した直後の言語状態に対応している…

                          (『母型論』「起源論」P204から)



           
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