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2017年6月30日 (金)

「イメージ論2.0」のはじまり…現代が<終わってる>ので!?(再掲)

フラット化する社会についての思索、共同幻想の最後の論考となったのが『ハイ・イメージ論Ⅲ』でした。過去の歴史と比べて、現代を「過剰や格差の縮まりに対応する生の倫理を、まったく知っていない」と断じたエビデンスは『資本論』の正統な解読から導かれたもの。その過程ではボードリヤールなどのありがちな資本主義批判も否定されていきます…。

  わたしたちの倫理は社会的、政治的な集団機能としていえば、
  すべて欠如に由来し、それに対応する歴史をたどってきたが、
  過剰や格差の縮まりに対応する生の倫理を、まったく知っていない。
  ここから消費社会における内在的な不安はやってくるとおもえる。

                   (『ハイ・イメージ論Ⅲ』「消費論」P288)

クールなハイイメージ論は、最初の章「映像の終わりから」で以下のような宣言がされてスタートします。臨死体験の自己客体視やコンピューター・グラフィックスによる映像をメタフォアに、<現代(以降)>あるいは未来を探るための概念装置として<世界視線>が語られていきます…。情念や倫理によってではない認識を可能にしてくれるものとしての世界視線です。

 情念によって作りだされた反動や意味づけは、
 倫理によって作りだされた絶えまない説教とおなじように、
 社会像の転換にはなにも寄与しない。

          (『ハイ・イメージ論Ⅰ』「映像の終わりについて」P24)

世界視線をもってしても認識を妨げるもの…。それは私たち自身に内在し、私たち自身が気がつかないもの…それを初期3部作のポテンシャルをもってブレークスルーしようするのがハイイメージ論であることが示されていきます…。

 「高度情報化」の社会像の像価値は、
 ・・・映像の内在的な像価値のように、一見すると究極の社会像が暗示される高度なものにみえない・・・
 それはわたしたちが、
 社会像はマクロ像で、個々の映像はミクロ像だという先入見をもっていて、
 わたしたちを安堵させているからだ。

 社会像の像価値もまたひとつの世界方向と、手段の線型の総和とに分解され、
 わたしたちの視座はひとりでに、世界方向のパラメーターのなかに無意識を包括されてしまう。
 そしてその部分だけ覚醒をさまたげられているのだ。

                     (『ハイ・イメージ論Ⅰ』「映像の終わりについて」P31,32)

「マクロ像」「ミクロ像」という言葉に象徴される、幻想のそれぞれ。
「世界方向のパラメーター」に「無意識」を「包括されてしまう」「わたしたちの視座」…。
個を自然過程として組み込んでいく共同幻想への対峙をうながす、詩人吉本隆明の<直接性>がここにあります。

消費社会の不安こそ、その根源そのものを直接に証すものであり、それは受動的な消費者だからこそ可能だというビジョン。これがハイイメージ論で示される、現代だけに可能になった未来への期待です。

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みんなの不安の根源を解き明かし、ラジカルな勇気をくれる一冊!
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現代が<終わってる>ことを宣言してくれた正直な名著! そして社会は動物化?した… だからみんなで何かを探しに行こう! 2014/4/22

By タマ73

現代の日本が大きなオワコンであることが指摘されて、この本は終わります。
いちばん最後の文章が以下です。

  「わたしたちの倫理は社会的、政治的な集団機能としていえば、
  すべて欠如に由来し、それに対応する歴史をたどってきたが、
  過剰や格差の縮まりに対応する生の倫理を、まったく知っていない。
  ここから消費社会における内在的な不安はやってくるとおもえる。」

マ ルクスの理論から消費が生産でもあることを示し、日本が高度消費資本主義社会であると説明されます。これはGDPの半分以上が選択消費になる先進国の共通 の具体的な経済状態です。そしてこの状態こそが動物化した資本主義といえるものだと指摘されます。それは動物は意図的な生産はしないで消費だけをするから です…。

動物化するニッポン…。でも著者は悲観しているのではありません。逆です。象徴交換の神話と死で消費資本主義を激しく批判する ボードリヤールにテッテー的な反論を加えながら、現代だけに可能になった未来への期待が示されています。そして、その立場は<弱者>というもの…。つまり 受動的な一般大衆=消費者のことです。

  「弱者(一般大衆)が受動的である社会が、
  どうして否定的な画像で描かれなくてはならないのか、
  どうしてみくだされなくてはならないのか、
  わたしにはさっぱりわからない。」

必 要なのは現在に通用する倫理がないことをクールに認識することであって、現在を否定することではないからです。現在の大きな<不安>は通用する倫理が無い から…という指摘は、次のステップを示してくれています。現在の不安を解消するのは古びた愛国や平等といったものではないのは当然だからです。

本書は、日常生活の中で、弱者(みんな)が、ちょっとづつ何か(倫理でも何でも)を探しながら生きていくことを全面的に肯定してくれた一冊といえるでしょう。

本 書には<動物>という言葉以外に<幼童>や<子ども>、<女の子><弟><妹>などの概念が幾度も登場し、グリム童話やアンデルセン、高橋源一郎や村上龍 などもサンプリングされています。カットアップされるのは子どもが登場したり幼稚性を示した場面…。そこで解析されるのは瞬間や反復、常同、面白いもの、 残酷、無倫理…です。

動物と幼童が等質等価であるのはヘーゲル以来の認識であり、消費=生産も資本論の範疇です。本書の内容はじつはオーソドック。それらの現況である終わりなき日常の反復にこそ未来の可能性を発見した、巨大な思想家の優しい視線を感じることができます。<大衆の原像>可能性を見いだそうとする視線が、そこにはあります。

    ハイ・イメージ論〈3〉

著:吉本 隆明
参考価格:¥ 1,677
価格:¥ 1,677

   

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