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2016年4月22日 (金)

ゴースト、デジャブ、クオリアを見る吉本隆明

 ノイズキャンセラーとしての人間にはワカラナイということがありません。
 ワカラナイところには、すべてが代入されるからです。
 ワカラナイところに代入される空間性があるワケです。


 たとえば、それは心理学でいう錯覚というものの原因?でもあり、両眼視野闘争の見え方の変化です。
 人間が何かを認識するときに欠落した情報を無意識に補っているのは、両眼視野闘争に現れるような基本的なシステムです。脳幹網様体のスイッチにより身体機能から意識までもがコントロールされていると考えられます。

 見えてない方の目でも「見ている」というウソの認識をします。
 ただし「ウソ」という自覚はありません。ポイントはここです。自覚なしで自然にそういう認識をしてしまうことです。左右の視野を区切り、片目それぞれでしか見えないようにして、一方の視野に対象を置き、他方の視野には何も置きません。でも目の認識としてはどちらの目でも「見える」と認識するのが脳の仕組みであり、ノイズキャンセラー的なものだと考えられます。ある意味で想像(力)の基本的なものがここにあるのかもしれません。


 この「見える」という可視化はフレームアップであり幻想です。
 しかし、問題は幻想にあるのではなく可視化しようとする志向性の強さでしょう。とにかく可視化すればいいのであり、対象がなくても可視化?してしまいます。過視化ともいえるもの…

 つまり対象がなくても「見える」ようになります。
 この時に見えるものがゴーストであり、この見え方が幻想なのです。そうすることによって認識の安定性を維持していると考えられます。認識における動的平衡ともいえるかもしれません。
 ただモノがハッとするようなものに見えたり(思えたり)することもあります。対象を「見ている」ところに判断や感動が加わってしまっているのです。これがクオリアです。

 乳胎児期から人には認識(力)があります。認識の対象があってもなくても、感覚が未熟でも未発達でも、そこには認識しようとする志向性があります。原認識ともいうべきもので、そこでは原了解が反復されていると考えられます。あえて言葉にすればワタシはダレ?ココはドコ?的なもの。すべての生物に共通するレベルで考えれば重力に抗して直立しているか?というような常時はたらいているセルフチェックのようなものかもしれません。
 この原認識の原了解は常同反復していて、そのベースの上に通常の認識や了解が行なわれています。原了解のレベルから通常の認識をみれば、それは2度目の認識になります。これがデジャブです。



 共同幻想、対幻想、自己幻想、の幻想の3つの位相が幻想論ですが、これらは個体の認識の過程では<原関係><固有関係><一般関係>といった位相あるいはレイヤーともいうべきものが設定されていてとても理解しやすいものになっています。もっとも難解な書という評価で有名な心的現象論ですが、システマチックに理路整然と書かれていて、幻想論の基礎であることがわかります。

2016年4月 2日 (土)

<世界心情>…可視化する対幻想2.0

 911の後に安堵した人がいます。それは、胎児が致死量に相当するアドレナリンによる陣痛で生まれてくるように911から産出されたもの…ともいえそうなもの。カタストロフィではあるが、その荒波に放り出された、文芸評論家の加藤典洋氏は、その心情を吐露しています。それは、間違いなく<大洋>でまどろむかのように荒波に身を任せ、回帰したとも再生したともいえるもの。この「安堵」は911で唯一の肯定できる転回かもしれません

 そして加藤氏はポスモダに向き合うことにし移入思想を受け入れるようになります。
 それは、リスキーな現在を超えるスタンスに立った、ということ。リスクを了解してこそ得られる視線をもった立場についた…ということです。
 ポスモダの仕上げのような近代への全否定である911…。ここから得られるものはグランドリセットでありラジカルな更新…

 ポスモダな世界観では「憐れみ」が最期の人間性のようでしたが…。
 東浩紀氏から「吉本派」と呼ばれる加藤氏は、最期の人間性を動物由来の「憐れみ」に見出そうとするポスモダな世界観…に比して、どういう解をだしたのか…。それが<世界心情>です。911の後に安堵したという加藤氏が、それととともに自覚した心情が<世界心情>だったのです。

 <世界心情>とは、ホントは誰もが持っている<心>のハズ。
 すくなくとも人類としての人間には前提になるもの。

           
人類が永遠に続くのではないとしたら

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 加藤氏は<世界心情>をコンティンジェンシーの文脈で説明しようとしますが、911という圧倒的な抑圧(とその後の安堵)から<世界心情>を感受したのであれば、その過程をそのままトレースしてはどうでしょうか? 個人の心情が生まれるのは<公>や<他>による軋轢であることが共同幻想論で解析されているからです。

           
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 共同幻想によって対幻想が抑圧されることが自己幻想が生まれるキッカケである(「共同幻想論」)ならば、すべての自己幻想の前提に「対幻想への抑圧」に対する反発・反動・反作用があるはず。

 アリストテレスやライプニッツに由来する偶有性やコンティンジェンシー(あるいはWコンティンジェンシー)を吉本隆明的に、そして弁証法的に縮減すれば…

   対幻想が否定されることへの否定

…となるかもしれません。すくなくとも科学が抽象であるならば、こう表せるハズです。
もちろん冗長性にしか自己発現を見いだせいないような哲学や思想は相変わらず、その屈折語に由来するせいか婉曲な迂回路を必要とするのでしょうが、ここではそれは無関係。

 この{(対幻想への否定)の否定}…としての対幻想は対幻想2.0ともいうべきもの。<世界心情>とはそういうものとしての心情=対幻想2.0の可視化したものというべきものです。相互に全面肯定されるハズ…という幻想は対の関係を規定するもっとも基本的なもの。この関係が抑圧され否定される時、それへの反作用が起きるのは自然なことでしょう。

 {相互に全面肯定である(はず)}という対幻想の臨界は心的現象論としては母子一体(自他不可分)の認識からはじまりますが、共同幻想論では関係の初源としてはじまります。
 対幻想と共同幻想との緊張をともなう差異(齟齬・軋轢)から自己幻想が析出するという示唆は、歴史(観)と現存在(個人)の関係を探り、(人)類と個(人)を考え抜いたからこその結論ではないでしょうか。またフーコーを世界視線からみたようなイメージもあります。

(*『共同幻想論』・対幻想論から考える・*予期理論やラカン…から・*<内コミュニケーション>のトレードオフ

 問題はそれを不可視にしているものは何なのか?ということ…。

 「高度情報化」の社会像の像価値は、
 ・・・映像の内在的な像価値のように、一見すると究極の社会像が暗示される高度なものにみえない・・・
 それはわたしたちが、
 社会像はマクロ像で、個々の映像はミクロ像だという先入見をもっていて、
 わたしたちを安堵させているからだ。

 社会像の像価値もまたひとつの世界方向と、手段の線型の総和とに分解され、
 わたしたちの視座はひとりでに、世界方向のパラメーターのなかに無意識を包括されてしまう。
 そしてその部分だけ覚醒をさまたげられているのだ。

(『ハイ・イメージ論Ⅰ』「映像の終わりについて」P31,32)(*「イメージ論2.0」のはじまり…現代が<終わってる>ので!?

           
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 ヒントはハイイメージ論のプロローグである「映像の終わりから」にあります。そして、共同体の終わりが告げられるハイイメージ論のエピローグである「消費論」とともに、そこには、現代を見切った<世界視線>があります。

   自己言及の不可能性

   過剰に対応する倫理の不在

 現実には資本主義の商品という指示表出の環界のなかで、<人工の視線>に紛れ溶融してしまう<世界視線>の純粋疎外状態と、過剰に対する倫理の不可能性という状況をクリアする方法が必要だということでしょう。


 金融と民主主義と軍事というグローバリズムによる世界の一体化のなかで、南の主導によってしか世界心情が現われないのはナゼか?

 グローバリズムという規範と化した共同幻想に抑圧されていくもの探れば解はあるハズです。史観として拡張されたアフリカ的段階を逆立して読むこと…別のいい方をすれば、レヴィ=ストロースが敗北者たちの群れと呼んだ、その敗北者から世界を観ること

           
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 フーコーとの対談前後に現象学的歴史観が可能だと考えていた吉本隆明。その後、見田宗介の社会理論に可能性を見いだしていった経緯は、ここに明らかです。
 ポスモダを正面から受けとめた見田宗介のスタンスは、現在を超えるヒントを可視化し、吉本隆明はそれに期待し、加藤典洋はそれを世界心情として了解した…といえるのではないでしょうか…。

           
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