『母型論』の理念型の大胆な展開を支えるのが<大洋>という概念。
羊水ともいえる<大洋>でまどろむ個体=胎児に次々とやってくる現実。その現実との<関係>こそがすべての要因として、その後を決定していく…胎児と環界とのさまざまな関係を空間とし、期間としては約10ヶ月の決定的な時間…。
この<大洋>がメタフォアとなる現実の空間の1つとして胎内環境があります。
もう一つ、<内コミュニケーション>に対応するともいえる生命としてとても重要な環境が、生理的な環境で、リン脂質に満たされたもの。リン脂質の大洋に浮かぶ生命のリアルな姿が多細胞生物としての細胞。そこでの細胞間コミュニケーションは<内コミュニケーション>を支えるものでもあり、そのものでもあるもの、です。
<外コミュニケーション>を具体的にいえば概念によるコミュニケーション。概念(言語)を媒介にしたものであるために言語を記憶したり伝搬できれば、さまざまな形態でのコミュニケーションが可能なので、空間的な距離や時間的なズレを超えることができます。これが外コミュニケーションの特徴であり可能性として、この拡張がメディアとともに文化の拡張そのものだともいえます。
<内コミュニケーション>は<外コミュニケーション>以前のコミュニケーションといえ、そのすべてが自己の心身に依拠するもの。ミクロでは細胞壁のイオンチャネルのレスポンスであり、レセプターの応答、神経の反応など。生物の生理としてその機構が明らかになりつつあるもです。<内コミュニケーション>をはじめとするこれらは、<外コミュニケーション>やあらゆる心的現象のグランドとなるもので、それらをアフォードするものでもあると考えられます。これらに依拠しながら、しかし、そこには還元できないものをターゲットにするのが心的現象論です。
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母型論
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人間の認識を言語のレベルでだけ考えても限界があります…
<内コミュニケーション>は非言語によるコミュニケーションですが、それには2つの次元があります。一つは言葉によらない身振りや態度などの非言語コミュニケーション。もう一つは胎盤を通じた母体との関係に代表される生理的な反応でもある関係。これには母体内で感受する振動や音響など物理的な刺激、母体からの影響である生理化学物質を媒介とする関係まで、さまざまなものが考えられます。陣痛が胎児のアドレナリンで始まるように、この<内コミュケーション>とその究極でもある細胞レベルの関係は人間の生涯に影響を残していると考えられます。
母の声(だけ)に10000分の1秒で脳幹が反応するのは内コミュニケーションの応答として典型的なものかもしれません。これは、もっとも無意識下でおこなわれているイオンチャネルのスピードでの応答です。心身ともに、その根本から人間存在に影響を与えているのが、この内コミュニケーションとその応答。雰囲気や気分や情動…これら感情として、概念規定できない、表現できない状態によって表象され象徴されているものこそ、そのTPOにおける全体像であり、価値や意味のベースになるもの。それは人間存在の根本にある状態そのものを現わしています。
リン脂質に満たされた液状環境からはじまる生命の心はいかにあるか? 受胎の瞬間からのスタートする心。原生的疎外としてアメーバにさえある心、あるいはその起源。多細胞の細胞間コミュニケーションとして、内コミュニケーションそのもでさえある代謝レベルの応答。
確認できるのは、既に形成されてしまった規範としての言語やそのコミュニケーションに、自己確定(表出)そのものは充足的に反映されているか?という問題がクローズアップされてくるということ。
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むしろ表層でしかない言語レベルの認識をどう再把握するか…
あらゆるビョーキが言語に表出とするラカンのような指摘は、既成の指示表出(規範)では充足できないしカバーできなかった場合の自己表出との関係を示しているといえます。規範に引き寄せられるほど自己表出から乖離していくものがあるならば、それは異常事態として発現するでしょう。規範=指示表出と自己表出との差異とその拡大こそ異常の発現でありビョーキです。
規範寄りにしか作動できないことがビョーキの根源であり、異常そのものであることは心的現象論序説で列挙されるエビデンスのとおり。コミュニケーションする以上は規範(指示表出)が必然であっても、個体は規範どおりには発現できません。規範どおりに作動するための学習や訓練が前提であり、それが赤ちゃんから成人するまで、あるいは一生涯の多くの時間を占める営みそのものになっているのが人間という存在です。
ドルゥーズなどが薬の効果やレセプターの受容の意味について何かの興味を持ったとしても、それが何であるか…明確な提起には至らなかった諸々は<内コミュニケーション>が照らし出す問題の一端であり、包括的には心的現象論が思索し探究するなか、並走するように行われてきたいくつかのジャンルでの日本の研究者や思索者の成果に見出すことができる可能性にも包含される問題です。
細胞間コミュニケーションから個体と個体のコミュニケーションに至るまでの過程は、それぞれの段階における入れ子構造を基本にしてカスケード理論の階梯のように上昇していきます。このとき、各過程の入れ子構造の中心点(特異点)に純粋疎外が想定できます。
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“想像できるのは経験したことだけだ”という心的現象論序説の指摘は、「すべての体験を再体験せしめるものとして作用する」「母子関係(直接母子交通)」つまり<内コミュニケーション>による根源的な規定そのものを示しています。細胞間コミュニケーションにフォーカスすれば、リン脂質に浮かぶ平衡状態(純粋疎外)から、カスケードとしての上位のレイヤーに対して「すべての体験を再体験せしめるもの」として作用している可能性です。日本のポアンカレーとも評される木下清一郎の研究と思索を、吉本隆明の母型論から再把握し検討すると生命系すべてにわたる主体と環界との関係性の基本的な姿が顕になってきます。レイヤーごとに内化される情報は、上位のレイヤーにとっては再体験として受容されることを一つの目標としていると考えられる からです。
天才的な解剖学者、三木成夫に多大な影響を受けた吉本隆明の思索。これを木下清一郎のラジカルな探究から再アプローチすると、言語と観念で世界を形成している人間を根本から左右し、そしてその基礎そのものでもある生命としての遠大な本源的蓄積が明らかになってきます。
来歴に左右されるということ…不可知なまま10000分の1秒で反応してしまう母子関係から始まって、神や国家を幻想してしまう人間の心的現象というものの真実の一端が解き明かされていくワケです。
「極論すれば一次体験である内コミュニケーション=直接母子交通は、その後のすべての体験を再体験せしめるものとして作用する」ということの重大な意味と意義がクローズアップされます。
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