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2015年12月31日 (木)

言語論をベースにした批評のガイド―『詩人・評論家・作家のための言語論』

戦後最大の思想家が「自信作」だと自賛する、批評するための、あるいは批評家になるためにも役に立つガイドが本書。言語論だが表層の言語表現ではなく、その表現を導き出したものすべてがターゲットにされている吉本隆明らしい言語論。『言語にとって美とはなにか』より深いというか、そもそもの目的が違うので『心的現象論序説』寄りに見え、非言語コミュニケーション=「内コミュニケーション」へのアプローチなど『母型論』との関連が深い。

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戦後最大の思想家によるマニフェスト

 この本は基本的に言語論をベースにした言語批評(文芸批評)のガイドを目指している。しかし、それは通常の言語論ではない。言語論そのものの前提として非言語コミュニケーション=「内コミュニケーション」の分析に重点を置き、言語取得以前の人間=胎児~幼児の心的現象にフォーカスしている。その目的は心的な発展段階に応じた表出のレベルを同定することによって、言語による作品の表現から遡行的に主体の内面=心的世界を解明しようという試みである。
 つまり、本書は吉本隆明の基本的理論である『心的現象論序説』や『言語にとって美とはなにか』の成果を踏まえたマニフェストだといえるだろう。吉本自らが自信作だと自賛しているだけある内容と可能性に満ちた本でもある。
 それは同時に、!再び注目を集めつつある〝戦後最大の思想家〟としての吉本隆明の理論から我々読者が何をどのように展開できるのか?と問われていることにもなるだろうか。思想家の自信作を前に我々はどうするのか?...である。今、吉本隆明の読解が〝可能性の中心〟を可能せしめるかどうかが問われつつある。

2003/7/24

           
詩人・評論家・作家のための言語論

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母型論

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定本 言語にとって美とはなにか〈1〉 (角川ソフィア文庫)

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2015年12月26日 (土)

対幻想論との緊張が読める―『家族の痕跡 いちばん最後に残るもの』

斎藤環氏はジジェクを通してマルクスにもある程度の理解があり、ラカンの異端派を自称する臨床医であるとともにサブカル論をはじめ各種評論に活躍している。特にひきこもりの問題を提起し公的に認識させた功績は大きい。村上春樹のファンとしても、多くを専門書よりそこから学んだとするほど。デヴィッド・リンチフリークでもあり文芸からサブカル、映画を問わずノンジャンルの批評が人気。『家族の痕跡 いちばん最後に残るもの』は対幻想を意識しつつ書かれたもので、吉本隆明の『家族のゆくえ』と比較すると面白い。第三世代システム論(オートポイエーシス)の影響を受け理論的に詰めた『文脈病』では「可能性の中心」を示しつつポスモダを超える自負をかいま見せてもいる。

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<家族>をめぐる対幻想論との緊張が読める、かも

 06年に刊行された著者の本の中でいちばんいいかもしれない。まず読みやすい。そしてラカン派の臨床医である著者の基本的なスタンスがわかりやすく示されている。クールな著者が自らについて語っているのも見逃せないだろう。
 ところで、本書は、明らかにその基本的な部分で吉本理論が意識されているようだ。
 「家族制度を支えている幻想とは、「対幻想」ではなく、「エディプス三角」なのではないか」(P105)。酒井順子の『負け犬の遠吠え』を援用しつつ唐突に主張されるこの一言は、それだけに印象に残る。
 実をいうと「対幻想」を否定するために「エディプス三角」が主張されたこの構図は『構造と力』の再現でもあり(浅田らは団塊や全共闘世代と決別するために彼らの教科書であった吉本・対幻想を否定する必要があった。よくある世代間闘争だ)、大澤眞幸の〝吉本隆明は踏絵だった〟という指摘を待つまでもないかもしれない。
 社会の構成要素を、それは<対>(2名の関係)なのか<三角>(3名の関係)なのか....というのはフロイト以来の論議なのだろうが、この論議を現代の日本に当てはめると、それが世代間の論争になってしまう。フロイト=対=対幻想論(吉本)という団塊や全共闘世代がフォローする認識があり、ラカン=エディプス△=『構造と力』など(浅田、斎藤、etc)ニューアカ以降に支持されるドゥルーズ・ガタリ的な潮流がある(あった?)ということだ。その他に〝2名以上いれば権力が生じる〟とした宮台真司の権力論(『権力の予期理論』ほか)があり、社会システムの生成と稼働の根源に対の関係を見いだし、2名の関係で一方の人間の他方の人間への認識が一方の人間を自縛するように作用する過程を説明している。相手に対してどう対応するかを選択する時、その選択の自由によってその選択肢の構造に自縛されていく訳だ。

 P173には本書の理論的な成果が要約されている....
 「二者関係の空間こそがプレ・エディパル(前エディプス期)の空間なのである」
 「さまざまな自明性」は「プレ・エディパルな二者関係において形成される」
 「二者関係は幼児期だけのものではない」「成人して以降も、常に個人の自明性を支える空間として機能し続ける」「しばしば反復する」
 「「家族」こそは、この種の反復における、もっともありふれた器のひとつなので
ある」

 ....プレ・エディパル(前エディプス期)な二者関係による自明性は生涯反復され、家族はその器なのだ....という説明だ。ある種の読者はここでデジャブを感じぜざるを得ないだろう。なぜならこれこそが28年前に吉本隆明がフロイトを徹底的に読解しつつ独創した<対幻想>概念そのものだからだ。
 人間は「エディプス三角」を通過することで「社会化」されるが、「自明性」はそれ以前に二者関係において形成される、という説明は、そのまま対幻想論であるし、そして自明性の揺らぎこそが典型的な精神の病ではなかったか?
 ことさら吉本隆明を贔屓するつもりはないが、本書の結論は対幻想論と同じであり、それはフロイトを丹念に読んできたものなら当然にたどりつくものだ、ということにつきるのだろうか。
 著者のオリジナルな見解を読む機会は多々あり、精神分析とシステム論の融合を略るなど期待したくなる試みは少なくなく、今後も注目していきたいが、個人的には吉本理論との関係が気になった。

2006/12/26 18:47

           
家族の痕跡 いちばん最後に残るもの (ちくま文庫)

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家族のゆくえ (知恵の森文庫 a よ 4-2)

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文脈病―ラカン・ベイトソン・マトゥラーナ

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2015年12月21日 (月)

<大洋>がメタフォアとなるベースが明かすもの

 『母型論』の理念型の大胆な展開を支えるのが<大洋>という概念。
 羊水ともいえる<大洋>でまどろむ個体=胎児に次々とやってくる現実。その現実との<関係>こそがすべての要因として、その後を決定していく…胎児と環界とのさまざまな関係を空間とし、期間としては約10ヶ月の決定的な時間…。

 この<大洋>がメタフォアとなる現実の空間の1つとして胎内環境があります。
 もう一つ、<内コミュニケーション>に対応するともいえる生命としてとても重要な環境が、生理的な環境で、リン脂質に満たされたもの。リン脂質の大洋に浮かぶ生命のリアルな姿が多細胞生物としての細胞。そこでの細胞間コミュニケーションは<内コミュニケーション>を支えるものでもあり、そのものでもあるもの、です。

 <外コミュニケーション>を具体的にいえば概念によるコミュニケーション。概念(言語)を媒介にしたものであるために言語を記憶したり伝搬できれば、さまざまな形態でのコミュニケーションが可能なので、空間的な距離や時間的なズレを超えることができます。これが外コミュニケーションの特徴であり可能性として、この拡張がメディアとともに文化の拡張そのものだともいえます。

 <内コミュニケーション>は<外コミュニケーション>以前のコミュニケーションといえ、そのすべてが自己の心身に依拠するもの。ミクロでは細胞壁のイオンチャネルのレスポンスであり、レセプターの応答、神経の反応など。生物の生理としてその機構が明らかになりつつあるもです。<内コミュニケーション>をはじめとするこれらは、<外コミュニケーション>やあらゆる心的現象のグランドとなるもので、それらをアフォードするものでもあると考えられます。これらに依拠しながら、しかし、そこには還元できないものをターゲットにするのが心的現象論です。

           
母型論

著:吉本 隆明
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 人間の認識を言語のレベルでだけ考えても限界があります…

 <内コミュニケーション>は非言語によるコミュニケーションですが、それには2つの次元があります。一つは言葉によらない身振りや態度などの非言語コミュニケーション。もう一つは胎盤を通じた母体との関係に代表される生理的な反応でもある関係。これには母体内で感受する振動や音響など物理的な刺激、母体からの影響である生理化学物質を媒介とする関係まで、さまざまなものが考えられます。陣痛が胎児のアドレナリンで始まるように、この<内コミュケーション>とその究極でもある細胞レベルの関係は人間の生涯に影響を残していると考えられます。

 母の声(だけ)に10000分の1秒で脳幹が反応するのは内コミュニケーションの応答として典型的なものかもしれません。これは、もっとも無意識下でおこなわれているイオンチャネルのスピードでの応答です。心身ともに、その根本から人間存在に影響を与えているのが、この内コミュニケーションとその応答。雰囲気や気分や情動…これら感情として、概念規定できない、表現できない状態によって表象され象徴されているものこそ、そのTPOにおける全体像であり、価値や意味のベースになるもの。それは人間存在の根本にある状態そのものを現わしています。

 リン脂質に満たされた液状環境からはじまる生命の心はいかにあるか? 受胎の瞬間からのスタートする心。原生的疎外としてアメーバにさえある心、あるいはその起源。多細胞の細胞間コミュニケーションとして、内コミュニケーションそのもでさえある代謝レベルの応答。

 確認できるのは、既に形成されてしまった規範としての言語やそのコミュニケーションに、自己確定(表出)そのものは充足的に反映されているか?という問題がクローズアップされてくるということ。

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 むしろ表層でしかない言語レベルの認識をどう再把握するか…

 あらゆるビョーキが言語に表出とするラカンのような指摘は、既成の指示表出(規範)では充足できないしカバーできなかった場合の自己表出との関係を示しているといえます。規範に引き寄せられるほど自己表出から乖離していくものがあるならば、それは異常事態として発現するでしょう。規範=指示表出と自己表出との差異とその拡大こそ異常の発現でありビョーキです。

 規範寄りにしか作動できないことがビョーキの根源であり、異常そのものであることは心的現象論序説で列挙されるエビデンスのとおり。コミュニケーションする以上は規範(指示表出)が必然であっても、個体は規範どおりには発現できません。規範どおりに作動するための学習や訓練が前提であり、それが赤ちゃんから成人するまで、あるいは一生涯の多くの時間を占める営みそのものになっているのが人間という存在です。

 ドルゥーズなどが薬の効果やレセプターの受容の意味について何かの興味を持ったとしても、それが何であるか…明確な提起には至らなかった諸々は<内コミュニケーション>が照らし出す問題の一端であり、包括的には心的現象論が思索し探究するなか、並走するように行われてきたいくつかのジャンルでの日本の研究者や思索者の成果に見出すことができる可能性にも包含される問題です。

             
細胞のコミュニケーション―情報とシグナルからみた細胞 (生命科学シリーズ)

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細胞間コミュニケーションから個体と個体のコミュニケーションに至るまでの過程は、それぞれの段階における入れ子構造を基本にしてカスケード理論の階梯のように上昇していきます。このとき、各過程の入れ子構造の中心点(特異点)に純粋疎外が想定できます。

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 “想像できるのは経験したことだけだ”という心的現象論序説の指摘は、「すべての体験を再体験せしめるものとして作用する」「母子関係(直接母子交通)」つまり<内コミュニケーション>による根源的な規定そのものを示しています。細胞間コミュニケーションにフォーカスすれば、リン脂質に浮かぶ平衡状態(純粋疎外)から、カスケードとしての上位のレイヤーに対して「すべての体験を再体験せしめるもの」として作用している可能性です。日本のポアンカレーとも評される木下清一郎の研究と思索を、吉本隆明の母型論から再把握し検討すると生命系すべてにわたる主体と環界との関係性の基本的な姿が顕になってきます。レイヤーごとに内化される情報は、上位のレイヤーにとっては再体験として受容されることを一つの目標としていると考えられる からです。

 天才的な解剖学者、三木成夫に多大な影響を受けた吉本隆明の思索。これを木下清一郎のラジカルな探究から再アプローチすると、言語と観念で世界を形成している人間を根本から左右し、そしてその基礎そのものでもある生命としての遠大な本源的蓄積が明らかになってきます。
 来歴に左右されるということ…不可知なまま10000分の1秒で反応してしまう母子関係から始まって、神や国家を幻想してしまう人間の心的現象というものの真実の一端が解き明かされていくワケです。

 「極論すれば一次体験である内コミュニケーション=直接母子交通は、その後のすべての体験を再体験せしめるものとして作用する」ということの重大な意味と意義がクローズアップされます。

           
心は遺伝子をこえるか

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