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2015年7月28日 (火)

指示表出と自己表出の可能性

ジル・ドゥルーズの直弟子でもあった宇野邦一氏は、吉本隆明の幻想論を根本から認めないという立場ながら、多くの問題意識を共有するために、以下のように吉本のファンクショナルな意義と可能性を指摘しています。

     たとえば自己表出を強度として、
     指示表出を外延として、
     考えてみることができないだろうか。

      『世界という背理 小林秀雄と吉本隆明』P196「Ⅲ <美>と<信>をめぐって」
      (『外のエティカ』(宇野邦一)からの孫引き)

機能分析の方便として心的現象論序説でGradeの概念が導入されているように、自己表出を強度とし、指示表出を外延として考えるのは有用な指摘でしょう。しかし、思想としての本質はその先にあり、竹田青嗣氏はドゥルーズ系そのものをズバリと見切ってもいます。

   じつは、言語の問題に関しても
   吉本の一見古い考えの方がドゥルーズ流より進んでいるのである。

   『世界という背理 小林秀雄と吉本隆明』P196「Ⅲ <美>と<信>をめぐって」P197

           
世界という背理―小林秀雄と吉本隆明 (講談社学術文庫)

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情報環境論集―東浩紀コレクションS (講談社BOX)

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『構造と力』『逃走論』などで紹介され、「脱コード」などの先端思想を示してもくれたドゥルーズ=ガダリ…ですが、ゼロ年代思想(具体的には東浩紀氏の「情報自由論」の段階)では既に超えられてもいました。「大きな物語」の代わりに、<社会>や<世界>のワクが意識されてきたからです。ゼロ年代思想でメインターゲットにもなってくる<公共(性)>などの意味合いも、「自意識を極限化する」小林秀雄的な思想からすれば類似点があるのですが、吉本隆明では、そこに位相の違いと各位相ごとのレイヤーが用意されています。しかも、この位相同士の連環は未分化なまま重層性としてはマルクスの「ユダヤ人問題によせて」「ヘーゲル法哲学批判序説」などで明らかにされてもいます。

           
ユダヤ人問題によせて ヘーゲル法哲学批判序説 (岩波文庫)

翻訳:城塚 登
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また、情報(の経路)としては外部から来るものとしての指示表出、内部からの認知である自己表出は、それぞれ外感覚と内感覚(内臓感覚)でもあり、この外部からの感覚認識による情報の在り方に依拠する「日本の言説」を「生物学的」「システム論的」と評した柄谷行人の、常に<外部>を意識してきたゆえの指摘というものもあります。

これらを踏まえて、指示表出と自己表出という言語論でのタームに志向性などを加味すれば、指示決定と自己確定という「心的現象論序説」での先進性と普遍性も、まだ有用には駆使されていないのが現実なのでしょう。

心的現象論に即していえば、以下の<受容>と<了解>には、それぞれ指示表出と自己表出が対応しています。

   一般的に感官による対象物の<受容>とその<了解>とは、
   別の異質の過程とかんがえることができる。
   ある対象物がそのように<視える>ということと、
   視えるということを<了解>することとは別のことである。

                         (『心的現象論本論』P10)
入力が無い時の<受容>と<了解>

           
心的現象論本論

著:吉本 隆明
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『言語にとって美とはなにか』で有名になった指示表出と自己表出ですが、吉本(理論)の中では言語論に特定されるタームではありません。『心的現象論序説』の指示決定や自己確定といった概念装置のように認識(了解)の基礎として志向性(対象性)も含むもの。東浩紀氏が「吉本派」と呼ぶ文芸評論家の加藤典洋氏は以下のようにチャート化?した説明をしています。

   …言語を概念化すると、中央部に言語が来て、
   両端に音楽(自己表出100、指示表出ゼロ)と、
   絵画(自己表出ゼロ、指示表出100)がくる図が得られます。

   音楽、絵画は、そういう言語的にいえば「極端な本質」を
   逆手に取った表現メディアなんだと思った。
   そこから中也の詩の音楽性ということなども考えさせられた。
   以前は、野暮だなんて思ったのに、
   実はブリリアントな頭脳、非常にスマートな考え方だったんです(笑)。
   …
   で、いま出ている角川文庫版の『定本・言語にとって美とはなにか』の
   第一巻解説は、実は僕が書いているんですよ。

               文藝別冊『さよなら吉本隆明』P94
               加藤典洋「吉本隆明―戦後を受け取り、未来から考えるために」

指示表出と自己表出の位相の設定が本来の意味とは異なっていますが、静態的に見るためのあるレイヤーだとすれば大変わかりやすいものかもしれません。

           
さよなら吉本隆明 (文藝別冊/KAWADE夢ムック)

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   音声反応が有節化され…自己表出の方向に抽出された共通性をかんがえれば音韻となる…
   現実的対象への指示性の方向に抽出された共通性をかんがえれば言語の概念をみちびくことができる…

   言語の音韻はそのなかに自己表出以前の自己表出をはらんでいるように、
   言語の韻律は、指示表出以前の指示表出をはらんでいる。

   リズムが言語の意味とかかわりを直接もたないのに、
   指示の抽出された共通性とかんがえられることは、
   言語がその条件の底辺に、非言語時代の感覚的母斑をもっていることを意味している。
   これは等時的な拍音である日本語では音数律としてあらわれるようにみえる。

                  『言語にとって美とはなにか Ⅰ』「第Ⅰ章 言語の本質」P47

           
【合本版】定本 言語にとって美とはなにか (角川ソフィア文庫)

著:吉本 隆明
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<美>をミメーシスしようとする五七調?

「心的現象論序説でみた<自己表出>と<指示表出>」

かつて万能のようにあるいは汎用性、普遍性の高さを評価されたはずの上部構造と下部構造という着想も、マルクス自らが本気ではなかったと述べるのを吉本隆明が引用しています。上部構造とか下部構造とかいう峻別は、観念と身体のような関係であり、そのようなカップリングとして考察されるべきもの。そのもっとも最適化した概念装置として指示表出と自己表出は考えられそうです。自己表出は指示表出に依拠しますが還元はできません。また指示表出も主体の志向(性)を離れてあるものではなく、たとえ物象化された(と表現される)ものであっても個別的現存に関係します。指示表出と自己表出を駆使した探究は、いろいろなところでこれから始まるのでしょう。

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