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2015年6月13日 (土)

<内コミュニケーション>という無意識

意識的な応答(媒介による間接的な母子交通)である言語による<外コミュニケーション>。
意識では把握できない、無意識下の代謝(直接的な母子交通)ともいうべき<内コミュニケーション>。さらには、<内コミュニケーション>は、無意識を生成し、それに影響を与えるものだともいえます。つまり「現存在の認識をアフォードするもっともラジカルなグランドとして、内コミュニケーションを考える」ことができるワケです。


<内コミュニケーション>は無意識そのものを生成し、左右する機能であり作動ですが、同時に<内コミュニケーション>の表出はイメージであり、ある時間の経過後に言語化される可能性があるもの…ということもいえます。

外コミュニケーションとしての言語化は指示表出(や文法などの規範)を前提とします。では、内コミュニケーションという無意識(の作動)はどのようなものなのでしょうか?


   <大洋>の分節化が言語化への経路であるように、
   内コミュニケーションのデフォルトは、
   器官なき身体としての人間(受精細胞から胎児まで)の存在のデフォルト=全面肯定であり、
   ある時間経過後に<価値>と(認識)されるものではないでしょうか。

 

自己の(存在の)全面肯定というデフォルトの価値=原価値へ向かう志向性を初源のものとする作動…。
この志向(性)や作動を<価値(あるもの)>とするのが初源の志向性そのもの。
これが価値化のパースペクティヴとして、その作動そのものが自己表出(自己確定)だと考えられます。
共同幻想をも射程に入れれば「2者関係(≦対幻想性)における充足をゴールとするのが価値化である」ともいえます。


 無意識そのものが何に制約され、どう規定されていくか…は不可視に見えますが、無意識も意識も身体に依拠しているという限定が、そこにはあります。また、この限定こそが時間(性)が発生するところであり、<固有時>として現存在と心的現象における基礎 となります。

 空間的には、身体は観念や意識(無意識も)という心的現象が依拠するところであり、しかもそこには還元できない、という矛盾としてそれらはあります。また、この矛盾の解消そのものとして観念や意識・無意識があるというラジカルな矛盾こそ<生>そのもの。身体に依拠するが還元できないという関連は、それが既に時間(性)であることそのもの を示してもいます。


       -       -       -

既出の2つのエントリーからカンタンにまとめると以下のようになります。

<外コミュニケーション>と<内コミュニケーション>

 <外コミュニケーション>と<内コミュニケーション>は個体の発達段階に対応し、究極的には<応答>と<代謝>で属性が異なる。
<外コミュニケーション>は音や動作を媒介にし、主に乳児段階のもの。<内コミュニケーション>はホルモンなどの代謝をもベースとし、胎児段階のもの。

 胎児では内コミュニケーション=直接母子交通が全般化していますが、成人しても内コミュニケーション的な位相に絶えず影響されている。その影響は直接的にはイメージとしてしか表出しないものでもあり、不可視といえる。

 内コミュニケーションは身体内のもので、外コミュニケーションは身体外のもの。内コミュニケーションが細胞レセプターなどにより、外コミュニケーションは感覚器による。両者をつなぐのは神経反応と知覚であり、感情と思考がそれらに依拠しつつ発現している。<内コミュニケーション>と<外コミュニケーション>はそれぞれ三木成夫による植物的階程と動物的階程の作動に対応している。

 現存在の認識をアフォードするもっともラジカルなグランドが、内コミュニケーション。
 内コミュニケーションは不可視な来歴でもあり、共同幻想の生成を左右するものでもある。また自己表出を満たすものでもあり、内コミュニケーションによるイメージを外化し、規範化したものとして指示表出を考えることができる。


<内コミュニケーション>のトレードオフ

   <内コミュニケーション>による影響は
   個体の基本的な来歴として
   外コミュニケーション(言語使用)以降を左右する。

乳胎児期の影響が、言語獲得以降を左右していく…という“三つ子の魂百まで”的な認識は、日本では大衆の原像とともにあったありふれたもの。

   リアル体験は、母子関係を前提に、確定する。
   なぜなら<再体験>だからだ。

 “想像できるのは経験したことだけだ”という心的現象論序説における指摘は、母子関係(直接母子交通)における経験が想像(力)をさえ拘束している関係性を指している。極論すれば一次体験である内コミュニケーション=直接母子交通は、その後のすべての体験を再体験せしめるものとして作用する、ということ。

 リアル体験は内コミュニケーション=母子関係(の経験・記憶)に照らして確定される。これが自己表出(自己確定)の初源。

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