無意識の指示表出=<夢>
<夢>のイメージは<視覚像>と関係なく、<記憶>とも関係ない…というのが『心的現象論序説』における夢の定義への導入になります。そこではフロイト式の、あるいは夢判断的な、そしてもっとも世界に流布されてきたような夢への理解が全面否定されています。そこにあるのは共同幻想論をはじめ言語論までを包括する、もっとも吉本理論らしい心的現象論ならではのアプローチです。3部作ほか吉本隆明の全仕事を貫く方法(論)による認識が展開され、ここに“観念の運動”としてヘーゲルから引き継がれてきた方法が際立っています。
夢の形像は、ある時にある場面で実際にみた形像とは
まったく関係がない…
記憶残像が再現されるのでもない。
(『心的現象論序説』【Ⅵ心的現象としての夢】P189)
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<夢>という認識(意識)には外部の対象がありません。当然ですが睡眠中であるために(構造的に)自己の外部に認識対象がありません。感覚器とそれをコントロールする脳の部分は睡眠中なので、外界に対する対象認識をしていません。あるいはそれらへの統御が機能していないか、低下した状態です。つまり、感覚が機能していないために、感覚に関する時空間性が捨象されている認識(意識)が<夢>だともいえます。
対象が<身体>の外部に実在しないことから、
心的な受容の空間化度は、
それぞれの感官に固有な水準と境界をもちえないで、
無定形な空間化度にすぎなくなる…
(『心的現象論序説』【Ⅵ心的現象としての夢】P188)
<夢>では外部への認識の志向性がストップしているワケです。覚醒時であれば感覚器が受容し、意識(無意識を含む)が了解して確定する、というのが認識の過程ですが、<夢>ではこの前段の感覚による受容がありません。
<夢>は、いきなり<了解>の過程だけが対象となっている認識なのです。そこでは感覚器の受容における時空間性がないために、対象の形像も確定もありません。
対象として形のないものを、しかも確定(概念化)できないものとして、認識し続けている…という状態だと考えられます。
これは了解の時間性が空間化し、それが確定せずに継続する<感情>の定義と近似するものがあります。
また、リソースとして外部情報も認識のフレームも与えられていない夢の状態は<指示表出なしの自己表出>ともいえます。正確には自己確定しようとし続ける状態、自己表出にカタチを与えようとする状態といえるでしょう。
概念、形態、論理といったフレームを前提として行使される意識とは異なり、流動する自(己)意識そのものである夢は、<夢を見る>という自己言及性そのものだけを指示表出とした無意識 だともいえます。
「夢に関してはたいていフロイトによる夢判断のように夢に出てきた形象で夢の意味を問うものや、夢の内容を現実の(心理の)隠喩や換喩として捉えれるものが大部分です。それ以外はないといってもいいかもしれません。しかし、吉本理論における<夢>への考察はまったく違います。変幻自在で不定形でもあるような<夢>を厳密な認識の時空間構造として把握しています。そこでは<原関係><固有関係><一般関係>や<原了解>などの基礎概念が幻想論と対応しながら展開されています。」
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