<自己抽象>と<自己関係>の2つの系
現存在分析的にアプローチすると、人間の個体は2つの系から構成されています。
<自己抽象>と<自己関係>の2つの系です。
2つの系は、言語に表出するものとしては、
たとえば「は」と「の」という助詞に象徴的に表象していると考えられます。
「ワタシは…」(自己抽象)と「ワタシの…」(自己関係)の、「は」と「の」のようにです。
自己抽象は自己意識そのものであり、対象化されていない自己。
「ワタシは…」の「は」は自己を限定する機能であり、自己以外の何ものも指示していません。
自己関係は対象化された自己であり、その対象と主体にまたがる両価的な自己。
「ワタシの…」の「の」は自己を対象とする機能であり、自己の何ものかを指示しています。
自己抽象は対象のない意識そのものであり、それは時間(性)といえます。
自己関係は自己を対象とする関係であり、それは空間(性)といえます。
この時間性と空間性(の錯合)があらゆる認識のベースとなっていきます。
いっさいの了解の系は
<身体>がじぶんの<身体>と関係づけられる<時間>性に原点を獲得し、
いっさいの関係づけの系は
<身体>がじぶんの<身体>をどう関係づけるかの<空間>性に原点を獲得するようになる。
(『心的現象論本論』「身体論」<11 身体という了解―関係系>P73)
意識の動きそのものである時間性。
対象との関係そのものである空間性。
この2つの総合として認識が構成されていきます。
「対象との関係」の初源の対象は自己の<身体>になります。
人間の現存性を支えている根拠は
<わたしは―身体として―いま―ここに―ある>という心的な把握である。
<いま>は現在性の時間的な言い回しであり、<ここ>は空間的な言い回しである。
このばあいもっとも問題になるのは<ある>という概念である。
(『心的現象論本論』「関係論」<33 <うつ>という<関係>(3)P177)
<ある>に析出する原認識ともいうべきもの。
探究されるのは現存在として既に錯綜している<ある>の内容…。
数理的に追究されそうな定理ともいうべきものが、
心的現象論では数行の論述で把握されていきます。
冪乗、遠隔化、逆立といったファンクショナルな(ものの)動因も、
その構造そのものにある…という思索が可能な根源へのアプローチです。
<わたしは-身体として-いま-ここに-ある>という現存性の識知は、
その次元を自己の<身体>にたいする自己の
<自己了解づけ>と<自己関係づけ>の位相においている。
これは、「自然現象」でもなく「観念現象」でもなく、いわば、自然-観念現象に基づいている。
(『心的現象論本論』「関係論」<33 <うつ>という<関係>(3)P178)
身体(という自然)に依拠しながら、そこには還元できない観念の現象…。
身体への自己言及が不可能だが必然な領域としての純粋疎外…。
自然へプラグしようとする知覚と、対象をリーチングする運動…。
行動と観念が未分化の胎児からはじまる心的現象の自然過程…。
それらを環界として覆っていく言語そのものの展開…。
心的な領域を原生的疎外の領域とみなすわたしたちのかんがえからは、
ただ時間化度と空間化度のちがいとしてしか
<感性>とか<理性>とかいう語が意味するものは区別されない。
心的現象の質的な差異、たとえば精神医学でいう分裂病や躁うつ病やてんかん病は
ただ時間化度、空間化度の量的な差異とその錯合構造にしか還元されない…
(『心的現象論序説』Ⅲ章「心的世界の動態化」P93)
現象学の遁走を追究しながら展開される、心的現象論の異様ともいえるほどラジカルな射程。
難解で有名な思索の、意外にシンプルな論述が心的現象論に結実していきます。
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