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2014年8月31日 (日)

世界視線=イメージの生成

イメージ=心像というと視覚像を思い起こしますが、
視覚像とは全く違うイメージでも、そこには内容と形があります。
イメージは概念と形態にまたがって生成されます。
『心的現象論序説』の最終章であるⅦ章「心像論」の最後の
パラグラフで一度だけ〝心像〟に「イメージ」とルビがふられています)

           
改訂新版 心的現象論序説 (角川ソフィア文庫)

著:吉本 隆明
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Mポンティが“イメージのパルテノンは柱を数えることができない”と指摘しているのが心的現象論序説に引用されています。逆の意味でヤスパースから援用されているのが直観像。サヴァン症候群などとして知られている視覚的直観像というのは、一見してすべてを記憶してしまうような知覚の能力。音楽も一度聴いいただけですべて憶えてしまい、そっくりそのまま再演できるような能力として話題にもなりました。一瞬にして細部まで数えることがきでる能力です。このサヴァンな能力は言語関係の能力と逆立する、シーソーすることも確認されています。一般的にも、この能力は成長すると失われていきます。

ところで、これらの点から考えると、Mポンティは矛盾?した主張をしているようなところがあります。たとえば“イメージの形象は知覚から借りている”という指摘がそれ。知覚したものは数えられるので、イメージは数えられないという先の主張とは矛盾しています…。

この矛盾を解きあかしていくのが心的現象論序説の論考です。序説では、この矛盾を、逆にエビデンスとして新たな探究の成果を獲得されていきます。典型的な弁証法の展開でもあり、方法(論)そのものから思索をめぐらす達成がここにあります。

“数えられない<イメージ>”と“数えられる<知覚>”とのカップリングが成り立つのか?その内容はどういうものであるのかが、序説では考察されていきます。

       -       -       -

イメージが数えられないのは、それが知覚ではないからであり、知覚ではないならば、それは何なのか?ここでもMポンティが引用されるなどして、イメージのラジカルな定義がなされていきます。

  イメージとは、実際には意識全体の作業であって、単なる意識内容ではない…
  想像するということは、不在な対象との或る関係の様式を設定することだ…

                                (『眼と精神』メルロオ=ポンティ)

           
メルロ=ポンティ・コレクション (ちくま学芸文庫)

原著:Maurice Merleau‐Ponty
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吉本理論全体のなかで、この問題は2つの具体として取り上げられており、それぞれがとてつもなくラジカルで重要なことを示唆しています。

それは<夢>と<共同幻想>です。
夢も共同幻想も知覚に依拠しない認識であり、知覚を捨象したところに共通点(共通な基盤)があります。(共同幻想論でのその典型例は<他界>とされています)

入眠中の認識である夢は、入眠中であるために知覚から遮断されています。あるいは知覚から遮断されているので<夢>なのでしょう。知覚的な確認なしでも成立する認識として、そこには幻覚や幻想あるいは妄想への経路があります。

環界とのプラグである知覚が遮断され、外界との関係がない状態。そこでこそ生成する「不在な対象との或る関係の様式を設定することだ…」という事態は何を示しているのでしょう? Mポンティの思索はここまでですが、これほどラジカルな指摘はないともいえます。ここからさらに吉本隆明氏の探究は「不在な対象」へと進み、共同幻想論の他界論へ結実していきます。

これらは<死>といったものへの経路でもあり、共同幻想論では<死>=<他界>をめぐっての思索が展開されていきます。<死>は知覚することが絶対に不可能な現象? 世界に何十億人の人間が生きていても、死を経験する人は皆無。人間は死を経験することなく死を迎えます。そのために<死>について知ることや語ることは、ある種の特権的な意味があり、おそらくは宗教や神という言葉のもとに行使されるそれらは、そういった何らかの特別な意味を帯びているのでしょう。リアルには、特権性を帯びたいがために死について語ってみせたり、死に近づく修行をする…というのが実態になっていますが。マルクスでなくてもある種マジメな宗教者であれば、このことには自覚的であり、虚偽(死の可知性)を生成する機序について客観的に語っていたりします。無いものを見えるとする両眼視野闘争とまったく同じ構造(つまり理由なし)で…(もちろん自己の利益のために)と、正直に語る僧侶や牧師に会ったことがあります。

『共同幻想論』・他界論から考える

『共同幻想論』・他界論から2

           
共同幻想論 (角川文庫ソフィア)

著:吉本 隆明
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       -       -       -

ところではじめに戻って、数えることができる認識であるイメージとは何なのか?
数えることができる知覚とは異なるもの…イメージでしかないもの。
たとえば、臨死体験では自己客体視し、死んでいる自分を見たりします。周囲には悲しんでいる家族や友だちがいたる光景を見るワケです。

 空を飛び地上を見下ろすことができなくても、ナスカの地上絵は描かれました。それは想像力によって可能になったもの。高いところから低いところを見下ろすなどの経験から演繹?して獲得した認識によるでしょう。想像力については経験したことしか想像できないと定義されますが、経験値から拡張することによって可能になることは小さくはないようです。そしてテクノロジーによる大きな拡張のあとでは、その可能性も飛躍的に大きくなります。それがランドサットによる視野から世界視線を説明するハイイメージ論になります。さらにはデータさえあれば想像どおりに視野は拡大深化できます。
 同じように、世界視線に、純粋に人間存在そのものからアプローチしたのが臨死体験への考察。臨死という身体統御の弱化の過程で、フリー?になった心身が獲得するイメージへの論考です。ランドサットというテクノロジーと臨死という心身の状態…この両者から、日常的な普通の知覚と想像(力)からは生成されることはないような、イメージによる疑似的な視線をフォーカスしていくのが世界視線になります。

通常の知覚に、純粋状態を媒介として、ある志向性にもとづいて生成されるイメージ(疑似視線)としての<世界視線>…。絶対に経験できない不可知な死も、マテリアルには存在しない共同幻想も、見てしまう視線=過視するものとしての世界視線 がそこにあります。(リアリティは<通常の知覚>量に担保されます)

           
ハイ・イメージ論〈1〉 (ちくま学芸文庫)

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2014年8月 5日 (火)

トポロジカルな赤ちゃん…その意味?

赤ちゃんは生まれてしばらくの間、視力が極端に弱い。
すべてがボンヤリとしてしか見えていません。

このボンヤリのなかで赤ちゃんは自分の生命がかかっている母を探します。

母を見つけることができなければ、それは即、死を意味しているようなもの。人間の赤ちゃんはそれほど無力で弱い存在です。

それほど弱いのに、ボンヤリとしてしか見えない赤ちゃん。
その視力はほとんど無力に近いように見えます。
ところがボンヤリだからこそ的確に見えていることがわかってきています。

赤ちゃんの未発達な脳は
情報処理も弱いもの。

その処理能力の低さに合わせて視力が弱いともいえるかもしれないのです。

ディテールまで視認し読み込むのではなく、トポロジカルに全体像をとらえている…
赤ちゃんの認識はそういうものであることがわかってきています。
これはイメージで見ている…ともいえる認識に近似すると思われます。
そこには分節化し、細分化し、詳細に具体的に認識していく以前の原初的な認識が想定できます。
すべてをイメージとしてとらえる認識です。

心的現象論母型論からのアプローチを探究していくと、
このイメージとしてとらえている認識の祖型が、
知覚以前の感受性によるものであることがわかります。

知覚という外感覚によるものではなく、内感覚的なもの。
感覚器による外界らの情報刺激ではなく、
内蔵をはじめとする細胞間コミュニケーションや内分泌系的なもの。
外コミュニケーションではなく内コミュニケーション的なもの。

意味の初源となるようなもの、志向の源となるようなもの…。
イメージの祖型ともいうべきもの、が想定されそうです。
それは、世界視線の源でもあり、そのものでもある認識ではないでしょうか。


誰でもはじめは赤ちゃん
イナイイナイバア
バブバブ・リーチング

ルネ…<他人称化>によっておこなわれるコミュニケーション

<大洋>のTPOとしてのデジャブ…『母型論』

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顔を考える 生命形態学からアートまで (集英社新書)

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