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2014年5月 5日 (月)

見させる・聴こえさせる・感じさせるもの…グランド

絵の中央に壺があります。壺に注目すれば、壺が見えます。しかし、注意を壺の両側の空間に向けると、そこには人の横顔が見えます。向かい合った二人の横顔が見え、壺だった部分は二人の顔に挟まれた空間に見えます…。このような錯覚や錯視のサンプルとして有名な「ルビンの壷」という絵や画像に代表されるような現象?に、人々は、さまざまな場面で出会っています。現実には、そういった<現象>を自覚することは少なく、だからこそ錯覚や錯視といったイリュージョン?は自覚的には認識できないものとしてありふれているのでしょう。そもそも自覚できないからこそ錯覚であるワケですが…。その最大のものが、国家や神であることは繰り返すまでもないことかもしれません。つまり共同幻想であり、public-illusionです。

問題は、そのようなイリュージョンそのものではなく、イリュージョンを成立させているものは何か?ということ。一つ一つの個別のイリュージョンを解明?したところで、あまり意味はなく、それが絶えず再生産?されるその仕組みそのもの知ることが大切だと考えられます。誰もが壺と顔を認識できるという、その理由。そしてわかっていてもそう認識してしまうというその理由…といった認識の構造そのもの…。

       -       -       -

   電話では300~3400Hzの帯域しか伝送していないのです。
   300Hzくらいから下の周波数は、すべてカットされています。
   ところが、男性の声の基本周波数というのは100~150Hzくらい…
   それなのになぜ、男性の声が…アクセントや抑揚がちゃんと伝わったりするのでしょう?
   …
   これはまさに、実際に聞きとっている周波数成分から、
   聞こえない基本周波数を割り出し、音の高さを認識しているからなのです。
         (『空耳の科学』第5章「聞こえている音は、すべて空耳!?」P150)

 電話の伝送において物理(学)的には存在しえない周波数の男性の声が、どうやって「男性の声」として聴き取ることが可能なのか? 
 その理由と結論はあっけなく、「実際に聞きとっている周波数成分」から「聞こえない基本周波数を割り出し」て、音の高さなどを想像して認識している…ということになります。そして「知覚しているものは物理的な音とはちがうということです」『空耳の科学』第5章「聞こえている音は、すべて空耳!?」P185)と結論されています。


           
空耳の科学 ~だまされる耳、聞き分ける脳~

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   幻覚と空耳は明らかにちがうものです。
   大きなちがいの一つは、再現性にあります。
   空耳は、個人差はあるにせよ、同一の人には何度でも同じ現象が起こります。
   物理的な情報に対して、同じ知覚が起こり、対応関係があるということ。
   また、個人差はあるにしても、だいたい誰もがそう感じるような一般性がある。
         (『空耳の科学』第5章「聞こえている音は、すべて空耳!?」P186)

 『心的現象論序説』をガイドするかのようなシンプルな事実が明解に説明されています。
 また、この「一般性がある」というのは『心的現象論序説』における「一般了解」そのものともいえます…。
 恣意的で思弁的なナントカ論では未だ到達しえないような現象も、最近のすぐれた知覚心理学認知神経科学の分野では、あるレベルの結論を得つつあります。それは吉本隆明氏の、解剖学と弁証法をベースにした30年以上の思索が探りあてた心的現象の世界をめぐる論考のエビデンスともなるものです。

       -       -       -

 「ルビンの壷」でいえば、「壺」(である)の認識を支えているもの、アフォードしているのは顔と見なせる空間で、逆に「顔」の認識を可能にしているのは壺の空間となります。
 このように対象認識を可能にしているものは非対象となっている領域です。

   …概念の意味内容としては意識の理解が無意識の理解に先立つのに、
   知覚の構図としては無意識的な、
   あるいは意識の周辺の背景(地)なしに意識(図)は生じえない…
            「意識と無意識のありか」「無意識とは「来歴」の貯蔵庫である」P205)



           
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 この無意識や非知覚領域、非感覚領域といった人間の認識(観念)が言及できない領域こそ、認識一般を可能にしてくれるグランドであり、それそのものが「共同観念の世界の代同物」(『心的現象論序説』Ⅶ「心像論」P281)といわれる認識で…“<心的な世界>と<現実的な世界>を<接続する><媒介の世界>として<自己妄想>”を生成していくもの…と考えられます。

 「概念の意味内容」と「知覚の構図」は、現存在分析まで遡行すれば『心的現象論序説』における自己抽象と自己関係という概念装置?(方法として)になります。

       -       -       -

 結論をいうと、自己抽象と自己関係の、この2つの系から人間の個体は構成されていきます。
 これらは自己表出と指示表出として言語(世界)を構成します。言語が主体の表出であるとともに世界そのものであるという矛盾?がここに生成してしまいます。

 『母型論』における「言語の陰画の状態」というものは、ある意味で認識一般を可能にしてくれるグランドであり、「壺」への認識を補償してくれる「顔」の領域(というもの)との経路でもあるハズです。

   言語の陰画の状態はさまざまなあらわれ方をするが、
   いちばん大切なことは、いつどうして陰画は言語の
   陽画(言語そのもの)に転化するのかということだ。
   この過程がどんなに困難でさまざまな障害を伴い、
   全うすることが稀な過程かを今も表象しているのは、
   分裂病と病者の存在そのものにほかならない。
   分裂病こそが言語の陰画が言語の陽画(言語そのもの)に
   転化する過程の病気として発生するものにほかならないからだ。
                         (『母型論』「病気論Ⅱ」P90)



           
母型論

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