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2014年1月12日 (日)

犬のイメージをつくる形態<犬>、概念<犬>

「犬」という言葉からイメージ(「像」)されるものは、さまざまかもしれません。
でも、Aさんが思い描く<犬>とBさんの想像する<犬>がまったく異なることはありません。
まったく異なっていたら意思の疎通は不可能で、コミュニケーションができません。
しかし、AさんとBさんのそれぞれの<犬>がまったく完璧で同一であることもないでしょう。
デジタル信号ベースでデータをコピーするようなこと以外に、まったく同一の情報というものは
ありえないのではないかとも考えられます…。(アインシュタイン的な固有時ではすべて異なりますが)

現実の実物の犬に対して、それを認識した(された)<犬>にはいくつかの位相が想定されます。
あるいは対象認識が成立するためには、いくつかのステップなりプロセスが必要です。
これらの認識の位相のバランスが、その時の(TPOの)リアルな認識になり、イメージとされます。
また、位相が変転し続ける状態では感情ともなります。

ある対象のイメージが成立するためには、その前提となる要素がいくつかあり、イメージ<犬>(像としての犬)が成立するためには、その要素になるいくつかのステップやプロセスとしての<犬>があります。

       -       -       -

形態としての犬
犬は犬の形態をしています。当たり前のようですが像のような犬やボールのような犬や、あるいは自動車のような犬がいるわけではありません。イメージ<犬>の前提には、犬の形態の把握があります。犬の形をした<犬>という認識があるわけです。

概念としての犬・犬の属性
犬は犬の属性をもっています。鳴き声だったり毛並みの色や模様、走り方、飼い主への忠誠などさまざまな特徴があるでしょう。これらを総合して<犬>の概念がつくられます。

ある形態とそれにともなう概念、あるいはある概念にともなうある形態。
形態は具体から抽象した帰納的なもの、概念は複数の属性から演繹される複合的なもの…と考えられます。

いずれもベースには個別具体的な現実の犬があり、その犬を認知するプロセスでのあるステップだといえます。

認識する主体との関係でいうと(認識論としていうと)、主体が知覚(認知)した<犬>と思念(命名)した<犬>でもあり、感覚の対象としての<犬>意識の対象としての<犬>です。不定冠詞(a)的な<犬>と定冠詞(the)的な<犬>もいえます。

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   概念をつくりあげる過程で、…
   実体に命名する過程が反復されている。

   実体に命名する概念形成の過程は、
   形態を識知する過程とはちがって、…
   かたちは、概念に対応する抽象度をもった
   共通の像として識知されている…

       『ハイ・イメージ論Ⅰ』「形態論」P351

 形態<犬>概念<犬>。この二重の<犬>の認識の上?にイメージ<犬>が成立します。それが一般的な認識上の<犬>であり、普通でいうところの犬です。

 言葉はこの二重の認識のバランスの上に形成されたイメージを指示するものであり、同時にそれは自己確定されるものです。指示表出と自己表出は、認識の動態的な過程としては<指示決定>と<自己確定>としても表さられるもので、心的現象論ではそのような文章表現がとられています。
 多様な環境とその大きな変化のなかを生きてきた人間は、認識(の方法)そのものの柔軟性を育んできたとも考えられます。その具体的な姿である認識の可塑性ともいうべき観念の運動。人間特有の認識であるべき乗化する観念、あるいは自己言及する意識という仕組みそのものがここにあるといえます。

   像は、人間が対象を知覚しているときには不可能な意識である…

   像とは…対象的概念とも対象的知覚ともちがっている…
   言語構造の指示表出と自己表出の交錯した縫目にうみだされる…

                      『言語にとって美とはなにか Ⅰ』P97

 言葉が生成するイメージは「指示表出と自己表出の交錯した縫目にうみだされる」と同時に、イメージと知覚認識が逆立することが示されています。言語による規定や拘束があるものの、このイメージと知覚の逆立や形態と概念の上に生成するイメージの可変的な平衡は動的です。

 形式論理ではない人間の言語構造は、認識を規定するとともに、認識によって言語そのものが変転をきたすという歴史を経てきています。それは過去から現在におよぶ脳と身体の「来歴」の現時点での結果でもあり、マルクスのいう「五感の形成は、いままでの全世界史の一つの労作である」という感覚とその統御にもよるもの…。同じ人間でありながらピダハンには2次元のメディアである写真が読めなかったり、アフリカ的段階では自己幻想と共同幻想の峻別が曖昧だったりします。いま現在の言葉のなかにも、そのフラクタル?な面がいきいきと活きていることを吉本理論は探究してきたのではないでしょうか。

 言語は認識にとってマテリアルな面をもっていますが、自然界のマテリアル(物質)に対する知覚も動的で可変な感受機能によって統合的な認識全般を担保していると考えられます。たとえばモノクロがカラーに見える現象などにそれを見出すことが出来ます。「モノクロをカラーにする<心>とシステム」

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 認識の位相が<心像><形像><概念>の3つに分けられ、それぞれの生成の過程と<形像><概念>にまたがって<心像>が構成されることが説明されます。あらゆる対象がこの3つの認識の位相の統御された構造として把握されて、この把握の仕方、3つの位相の統御のされ方の違いが一般的な認識であったり異常あるいは病的な認識であったりする…ことが解説されています。さらにそこに歴史的な解釈が導入されます。この認識の統御の仕方が未開人と現代人では違うこと指摘されるのです。ベーシックな『序説』 その5 Ⅶ章「心像論」…から)

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