ご近所から社会や国家、宗教まで シームレスに読める…『共同幻想論』
吉本隆明関連でいちばん有名なコトバだと思われるのが<共同幻想>で、いちばん有名な著作といえば『共同幻想論』でしょう。個人的には距離をおいて読んできたもので、通読も3回ほどです。<共同幻想>の生成する機序は『心的現象論序説』にたった一箇所記述されているだけですが、この共同幻想とは無関係には存立しえないのが吉本さんのあらゆる主張だったと思われます。別のいい方をすれば、あらゆる言辞から共同幻想を明かそうとしてきたのがその思想や思索のすべてだったのかとも思われます。原点であり目的でもあったと思われる<関係の思想>がそこにあるのではないでしょうか。
<精神>は台座である<身体>とはちがった<自然>である現実的環界の関数で…この関数は、…<精神>の問題としては人間の個体とじぶん以外の他の個体、あるいは多数の共同存在としての人間との<関係>の関係である。(『心的現象論序説』「Ⅰ.心的世界の叙述」P45)
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共同幻想とは<関係>である…物語から神話、国家の解明まで。今読むと面白い一冊。
有名な<共同幻想>はマルクスの<上部構造>のこと。それを特に観念上の問題だけを抽出して<共同幻想>としています。観念上の問題に限定したのは、<関係>というものが観念上のものだから。人間の一対一の関係は性をはじめとして身体的関係でもあるけれど複数者の関係、公的な関係は観念上のもの。もちろん <関係>を構成したり保障するものは法律的なものや交通的なものなどさまざまなものがありますが、それらを認識しているのはほかならない人間の観念。<関係>というのもは観念上でしか成立しない。観念から生成し、観念によって形成され、観念によって認識されるのが<関係>の本質だ…。丸山真男が指摘し、宮台真司が問題視する<作為の契機の不在>とは、この関係を意識することそのものの不可能を示しています。より正確には“関係の主体を意識することそのものの不可能性”でしょうか…。
なおマルクスは<関係>の基盤を物質的な連関構造(下部構造)に見出しましたが、吉本は<関係>の基礎を<関係>そのものの中に見出したといえます。その始源としての母子関係、胎児・幼児の自他不可分な認識から次第に観念が分化して他者や社会を認識をするまでを考察しているのが、本書とともに原理論を構成する「心的現象論」系の論考で、認識・観念の展開の過程を観念の弁証法とし、人間の成長の自然過程として探究されています。そのために心的現象(個人の心理)がベースなのですが、それを規定(抑圧)する共同幻想との関連で全体像が把握されていきます。並行して、 ダイレクトに個人の心的現象と共同幻想を媒介(規定)するものとして機能する言語も分析され、こちらは「言語美」系の言語論として展開されていきます…。
関係そのものである「共同幻想」はアプローチする位相によって呼称も変わります。(共同幻想はクールに言い換えれば公的関係(公的オーダー)ともいえるものですが)。共同幻想は『心的現象論序説』では「幻想的共同性」とされ、『言語にとって美とはなにか』では「社会的幻想」とされています。
壮大ながら真にシステマティックに構築されている吉本隆明氏の代表作として、今読み直すことは、時代に対する新たな解答を見つけるにも等しいことではないで しょうか。かつてのように国家論として読まれるのではなく、今こそ本来の読み方…あらゆる関係の解としての、人間関係やご近所から社会や国家、宗教までを シームレスに読ませてくれる稀有な著作だと思います。
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共同幻想論 (角川文庫ソフィア)
著:吉本 隆明
参考価格:¥620 価格:¥620 |
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