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2013年12月28日 (土)

たとえば<犬>という指示表出、自己表出

犬はどこでも<犬>で、イギリス人が見ても犬、日本人が見ても犬です。
いつでもどこでも犬は犬、のはずです。
でも、はたしてそれは本当でしょうか?

犬を<dog>と言い表すと、どうでしょう?
イギリス人や英語圏の人は即座に犬を想起するはずです。
一方日本人では、2つの想起の方向がありそうです。
英語を知らない人(実際にはほとんどいないかもしれませんが)には意味不明の音韻<dog>であり、英語を知っている人には<dog>という英語です。そして、脳内では英語である<dog>から日本語である<犬>へ変換されて認識されていきます。

ここに<dos>→<犬>への変換とは何の変換なのか? この写像は何を意味しているのか?…という問題があります。

これは『言語にとって美とはなにか』の現在版であることを目指した『ハイ・イメージ論』のメインテーマにもなるもので、ウイットゲンシュタイン『哲学的孝察』における問題意識と同じもの。(「パラ・イメージ論」として『ハイ・イメージ論Ⅱ』に収録)

           
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 これらの問題へのアプローチとして、子どもが言葉を覚えていく過程をヒントにすることができます。
 子どもは親や周囲の人が発する<犬>という言葉から、<犬>を覚えていきます。<犬>の意味も、発音も、やがては文字としての書き方も覚えていくわけです。この時に子どもが手本にしている親や大人たちの使う<犬>という言葉や文字が子どもにとっての指示表出。そして子どもが自ら<犬>を表そうとする時に行使(発声したり書いたり)される<犬>は自己表出となります。これは、ある位相でフッサール的にノエシス的な<犬>とノエマとしての<犬>といえるかもしれません。

   言語はこのように対象にたいする指示と
   対象にたいする意識の自動的水準の麦出という
   二重性として言語本質をなしている。

           『言語にとって美とはなにか Ⅰ』P26

 上記引用文の「対象」を「犬」として考えると、前述の指示表出と自己表出がリアルになります。
 「意識の自動的水準」というのは<自己表出>のことですが、ここで吉本隆明氏が強調したいのは「言語本質」としての「二重性」としてある<指示>と<意識の自動的水準>という2つの<表出>についてです。言語は常に指示(表出)と自己(表出)の二重性としてある、という事実。さまざまな形で繰り返しこの二重性は言及されていますが、それだけに理解されていないケースも少なくないのかもしれません。心理(学)や表出(論)の専門家でも、文(意味・イメージ)と語(概念・規定)の包含関係や簡単にいえば通時的な順序?や因果関係が認識できていないような場合がそうです。

 指示表出-自己表出という概念が、
 そのまますでに十分複雑な文法構造をもつ言語における品詞の集合に適用されるのは、
 論の運びとして性急というしかない
                               『吉本隆明 煉獄の作法』(宇野邦一)

 言語だけではなく、あらゆる表出においても指示表出と自己表出の二重性があります。特に言語においては、その二重性が際立つわけですが、それは文法に左右されるものでもなく、品詞によって無効となるものでもありません。まったく逆で、二重性のバランスの外延から文法が左右され、品詞の使われ方が制御されているとさえいえる可能性があるほどです。また端的にいって単語ではなく文がはじまりであるように、文法ではなくいかなる形であろうとも言語そのもの先なのはいうまでもありません。

   誰も文法を顧慮して言語をつかうのではなく、
   すでにつかわれた言語の状態が、
   文法をかんがえさせるのだ。

          『ハイ・イメージ論Ⅱ』「拡張論」P71

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   像とは…対象的概念とも対象的知覚ともちがっている…
   言語構造の指示表出と自己表出の交錯した縫目にうみだされる…

                      『言語にとって美とはなにか Ⅰ』P97


 「像」を「犬」に変えると、指示表出と自己表出の二重性から認識論へと大きく展開していく過程が、ここでもリアリティを増し多少ですが理解しやすくなります。


   表現としての言語と規範としての言語とは<逆立>しようとする志向性をもっている。
                                        『心的現象論序説』P152


 子どもが親から言葉を習得していく過程は心的現象論の領域で説明されていますが、それを共時的に見ることは言語の認識上の属性をトーナリティをもって表してもいます。

           
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 「規範としての言語」というのは指示表出へ至る最大のファクターであり、別の言い方としてのそれです。指示表出の強度は所与性の高さや他者性の強度に応じたものでもあり、その面からのアプローチがあればチョムスキーの生成文法を超えるような言語への考察となるのではないでしょうか? 作為できないものを初源とするのが科学であるならば、そこには科学があります。

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 はじめにもどると、ハイイメージ論は以下のように初期3部作からのインテグレートの上にいちばんリアルで包括的な問題を提起しています。

   なぜ言葉の記述が図面(図形)に転換できるかをウィトゲンシュタインのかわりに
   説明してみる。かれが数を概念の外延だとみなしているように、
   図面(図形)は概念の内包とかんがえることができる。
   たとえぱ三角形という図面(図形)をえがけという命題にたいして、
   どんな三角形をえがくこともできる。またえがいてもゆるされる。
   図面(図形)が命題にたいしてもつこの位置は、
   言葉がその概念にもっている位置にひとしい。

                         『ハイ・イメージ論Ⅱ』「パラ・イメージ論」P231

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