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2013年11月 8日 (金)

<美>をミメーシスしようとする五七調?

「ポリリズムと自然音と人声と」で「自らのマザークロック、2拍子から分周し反復されるリズムはマテリアルとなり、逆に規範として自らに作用します…」と書きましたが、『言語にとって美とはなにかⅠ』では言語に即して以下のような説明があります。


  言語の音韻はそのなかに自己表出以前の自己表出をはらんでいるように、
  言語の韻律は、指示表出以前の指示表出をはらんでいる。

                        (『言語にとって美とはなにかⅠ』P47)


 この「指示表出以前の指示表出」とは何のことでしょう?(ラカニアンにも「シニフィアンのシニフィアン」というような表現をする人がいますが)…とても原理的なことだと思われますが、それだけにわかりにくいかもしれません。アフォーダンスであれば<歩みをアフォードしてくれてるのは地球だ>といえるようにラジカルな(関連・関係性の)ことで、立つことをアフォードしてくれるのは重力そのもの…というようなそれ以上は微分できないような根源的な関係となるもののこと、と考えられます。一見奇想天外なトンチな問答みたいですが、現実や真実が意外にシンプルなことなのも少なくありません…。

 「指示表出以前の指示表出」というのは、たとえば「自らのマザークロック、2拍子から分周し反復されるリズムはマテリアルとなり、逆に規範として自らに作用します…」というようなものだと考えられます。価値判断つまり自己表出を捨象した表出として、です。自己表出を捨象しても残る指示表出というのは<生そのもの>あるいは原生的疎外そのものの<形態>ともいうべきものになります。


           
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  リズムが言語の意味とかかわりを直接もたないのに、
  指示の抽出された共通性とかんがえられることは、
  言語がその条件の底辺に、非言語時代の感覚的母斑をもっていることを意味している。
  これは等時的な拍音である日本語では音数律としてあらわれるようにみえる。

                               (『言語にとって美とはなにかⅠ』P47)


 この「感覚的母斑」は心拍や息つぎ、歩行といったものから直接に感受されるような感性(体性感覚)的なもの。そして「これは等時的な拍音である日本語では音数律としてあらわれるようにみえる」という指摘は2つの重要なことを説明しています。それは日本語が「等時的な拍音」つまり2拍子あるいは反復に近い印象を与えるということ。そして、それゆえに「音数律としてあらわれる」ということ、です。前者は後者の理由や因果になっています。簡単にいえば、日本語の音韻としての印象はシンプルであるために(音素の連続としてシンプルであるために)、その単調さから離脱するために音数律が発達した…ということ。なぜ単調さから離脱する必要があったのかというと、それはコミュニケーションのため。対幻想をはじめ共同体を構成する以上必然となる相手や隣人、多くの他者との情報交換をはじめとしたコミュニケーションが大前提となるからです。そこで必要なのは相手に受容されやすい指示性であり、さらには相手の認識(の志向性)を喚起する要素を備えたいからということになります。

 この延長線上で詩歌の五七調の説明ができます。つまり2拍子ではシンプルであり反復するだけですが、奇数の文節を持ち込むことで反復から離脱し、進行し変化する変容のイメージをあたえられるということ。変容のイメージこそ感動であり、感情を喚起する表現こそが詩歌をはじめとするものの価値だからです。もちろん、美と呼ばれるものがそれであり(古代ギリシャミメーシスというのはそれに呼び起こされることなのでしょう)、これはそのまま『言語にとって美とはなにか』というタイトルが示しているとおりの<美>のことです。


  日本語の韻律が音数律となることについて言語学者は、充分な根拠をあたえているようにみえる。

  (金田一春彦『日本語』から)
  日本の詩歌の形式で、七五調とか、五七調とか音数律が発達しているが、
  これも、拍がみな同じ長さで単純だからにちがいない。
  ただし、四や六がえらばれず五とか七とか奇数が多くえらばれたのはなぜか。
  日本語の拍は…点のような存在なので二拍ずつがひとまとりになる傾向があるからだろう。

                           (『言語にとって美とはなにかⅠ』P109~P110)


       -       -       -

 「指示表出以前の指示表出」という説明は「言語にとって美とはなにか」と「心的現象論序説」の取り上げる対象の差異をハッキリわきまえた表現だと考えられます。「以前」の「指示表出」については心的現象として個体の根拠づけにおける言語の定義であり、すでに言語が発生した以後(の位相)をあつかう(社会的共同性における)言語論では対象とならないからです。

           
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 単なる反復から離脱しリズムと化していく(志向する)のは自己表出から指示表出へと遠隔化するということでもあり、プリミティブな鳴き声や叫びなどの単なる発声が言語化していく過程に対応します。

 自己表出というものは自らの価値判断(享受全般)を前提とするもので、いわゆる自分そのものの表出。そのために{<自己>が(自己を)<確定>するもの}という根源的な定義があります。自らの価値判断に基づく表出ということです。その初源を抽象すれば(自己による)<自己抽象(性)>になり、これはあらゆる認識の<概念>形成のベースとなるもの。「感覚的母斑」はその基礎です。

 指示表出というものは自らの価値判断とは無関係に他からやってくるもので、他者によって{<指示>され<決定>されているもの}であり、初源の定義は他からやってくるという(自己による)<関係(性)>だけです。これはラジカルには<自己関係(性)>であり、あらゆる認識の<規範>形成のベースとなります。

「心的現象論序説でみた<自己表出>と<指示表出>」

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