鳥のように鳴いてコミュニケーションする少数民族ピダハン
去年のクリスマス・イヴに面白いドキュメントをTVで見ました。アマゾンの少数民族を布教のために訪れた宣教師が、やがてキリスト教を棄教し、信仰を捨ててしまう。キリスト教圏の、しかも牧師が棄教するという事態がどれほどのものかは日本人にはそう簡単には想像できないかもしれません。それどころか彼は離婚までして家族を失う。でも彼には確固たる信念があり、そのために言語学者になります…。それは、その少数民族をもっと深く知り、そして彼らを守るため。現在進行形の彼の研究はチョムスキーをはじめとする言語学の無効を宣言するものともなりつつあります。言語学者ダニエル・エヴェレットです。
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ブラジル・アマゾンの奥地に、不思議な言語を持つピダハンと呼ばれる少数民族がいる。ピダハンの言語には数や色を示す言葉がなく、過去や未来の表現もない。アマゾンの豊かな自然の恵みの中で、「過去」を思い患うことも「未来」を憂うこともなく、充実した「現在」を生きているのだ。心豊かなピダハンの暮らしを、長年にわたって彼らと共に暮らした元宣教師のアメリカ人言語学者の目を通して見つめる。
『地球ドラマチック「ピダハン 謎の言語を操るアマゾンの民」』
2012年12月24日(月) 午前0:00~午前0:45(45分)
1000例あまりの言葉(音声)を解析する。磁気テープに録音されたピダハンのオシャベリだ。音声を解析して何らかのパターンがあるか調べる。しかし1000例からは何の共通性もパターンも見つからない。普遍的なパターンがない?のだろうか。それは文法がないことを示しているのではないかと考えられる…。
時制がない、色がない、数がない…わずか数百人の少数民族ピダパンの言語。母親は自分の子供を知っているが、子供が何人いるのかは知らない。映像をみるとピダハンと一緒にいるのがサル。ピダハンの子どもの隣で食べ物を手にとったりしている黒いサルがいる。また家のなかで白いサルがピダハンの隣で焚き火か何かをつついたり…。
結論からいえばピダハン族にはチョムスキーのいう普遍文法がない。しかし、小鳥のように鳴いたり口笛で喋ったりすることもできる。さらには言葉から子音も母音を取り除いてもコミュニケーションできる?という従来の言語学の想像を絶する言語でもある。文法がない発音がない? toneと韻律で伝達する?言語? 従来音楽の方面へ発展した手法がピダパンでは言葉として発達した可能性があるようだ。
チョムスキーのいう普遍文法がないピダハン族。音の高低やアクセントやリズムの変化で意味を伝えているピグミーの太鼓みたいな言語? ポイントは言語学者のカレン・エヴェレットが指摘する、韻律に注目しない現在の言語学が見逃している点。これは吉本隆明の言語論の方法だと明確に問題が設定できるのではないだろうか?
ピダハン族はメロディやアクセントやリズムでコミュニケーションしていて、言語にはチョムスキー的な普遍文法がない…それは大きなヒントにもなる。メロディやアクセントやリズムは…文明国では音楽として大きな領域となっている。言語ではそれは規範の位相だ。ピダハンが意味概念への経路ではなく規範の部分を発達させたとすると…その理由は?
ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観
翻訳:屋代 通子
参考価格:¥3,570 価格:¥3,570 |
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