規範に引き寄せられた言語、さえずるピダハン族
ピダハン族の言語が規範に引き寄せられた言語である…とするとクローズアップされる問題は<環境>だ。規範の生成と概念の形成、つまり形態としての言語と意味としての言語に峻別すると、ピダハンは規範に引き寄せられた言語であることになる。しかもこの規範はいまや音楽として大きな専門領域となっている。
規範に引き寄せられる理由は…認識上、環境との緊張関係の有無に左右されるのかもしれない。偶有性で説明する愚を退ければ規範に引寄さられる理由は一つしかない。環境との緊張関係がないために対自意識そのものが表出すること…つまり自己関係性の空間性がダイレクトに規範を生成するということだ。
ピダハン族のドキュメントで気になったのは琉球語などを想起させるところや明暗だけの色彩について…。吉本隆明は心的現象論本論の最期に『沖縄古語大辞典』を参照しながら日本語の造語可能性を指摘し論考を終えている。枕詞を生んだ奈良時代以前の日本語の原型として沖縄古語へ参照が最期の思索だ。
ハイイメージ論で共同性へ、心的現象論で幻想性そのものへそれぞれ最期の思索を巡らせた吉本隆明は、造語つまり新たなる共同性を育む仕組みについて「可能性としては、いくらでも新語をつくり出すことができる」「この重畳語ができる日本古語の造語可能性」(『心的現象論本論』P511)と推察している。
「環境との緊張関係がないために対自意識そのものが表出すること」…つまり自己関係性の空間性がダイレクトに規範を生成するということ…は、次のようにいうと吉本ファンっぽいかもしれない。対自意識は環境との緊張関係と逆立しながら表出する、と。
ピダハン族に色も数字もないのは、対象となるものがないのではなく、対象をそのように把握する必要性がないから…と考えられる。するとさらには概念把握した後のストックとして付随する時制がないのも推察できる。
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ピダハンも、すべての人間もある特定の環境にいます。TPO=場所ですね。場所的限定。すべての認識はその場特有の限定、規制を受けるワケですが、逆に、ある特定の場や環境で、認識の基本である規範や概念形成をコントロールできたらどうなるか…。転地療法で統合失調症が完治した例が理由不明としてある精神分析医の本に書いてありましたが、それはある種の典型的な例だと考えられます。そこにはピダハンの言語と共通するようなテーマがメインとしてあるでしょう…“ワタシはダレ?・ココはドコ?”的な問題に通じるものとして。
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