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2013年2月13日 (水)

規範に引き寄せられた言語、さえずるピダハン族

鳥のように鳴いてコミュニケーションする少数民族ピダハン

ピダハン、全員でつくる言葉と行動でつくる関係?

 ピダハン族の言語が規範に引き寄せられた言語である…とするとクローズアップされる問題は<環境>だ。規範の生成と概念の形成、つまり形態としての言語と意味としての言語に峻別すると、ピダハンは規範に引き寄せられた言語であることになる。しかもこの規範はいまや音楽として大きな専門領域となっている。

 規範に引き寄せられる理由は…認識上、環境との緊張関係の有無に左右されるのかもしれない。偶有性で説明する愚を退ければ規範に引寄さられる理由は一つしかない。環境との緊張関係がないために対自意識そのものが表出すること…つまり自己関係性の空間性がダイレクトに規範を生成するということだ。


 ピダハン族のドキュメントで気になったのは琉球語などを想起させるところや明暗だけの色彩について…。吉本隆明は心的現象論本論の最期に『沖縄古語大辞典』を参照しながら日本語の造語可能性を指摘し論考を終えている。枕詞を生んだ奈良時代以前の日本語の原型として沖縄古語へ参照が最期の思索だ。

 ハイイメージ論で共同性へ、心的現象論で幻想性そのものへそれぞれ最期の思索を巡らせた吉本隆明は、造語つまり新たなる共同性を育む仕組みについて「可能性としては、いくらでも新語をつくり出すことができる」「この重畳語ができる日本古語の造語可能性」(『心的現象論本論』P511)と推察している。


 「環境との緊張関係がないために対自意識そのものが表出すること」…つまり自己関係性の空間性がダイレクトに規範を生成するということ…は、次のようにいうと吉本ファンっぽいかもしれない。対自意識は環境との緊張関係と逆立しながら表出する、と。

 

 ピダハン族に色も数字もないのは、対象となるものがないのではなく、対象をそのように把握する必要性がないから…と考えられる。するとさらには概念把握した後のストックとして付随する時制がないのも推察できる。

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ピダハンも、すべての人間もある特定の環境にいます。TPO=場所ですね。場所的限定すべての認識はその場特有の限定、規制を受けるワケですが、逆に、ある特定の場や環境で、認識の基本である規範や概念形成をコントロールできたらどうなるか…。転地療法で統合失調症が完治した例が理由不明としてある精神分析医の本に書いてありましたが、それはある種の典型的な例だと考えられます。そこにはピダハンの言語と共通するようなテーマがメインとしてあるでしょう…“ワタシはダレ?・ココはドコ?”的な問題に通じるものとして。

TPO=場所的限定という原点

2013年2月 5日 (火)

鳥のように鳴いてコミュニケーションする少数民族ピダハン

規範に引き寄せられた言語、さえずるピダハン族

ピダハン、全員でつくる言葉と行動でつくる関係?

去年のクリスマス・イヴに面白いドキュメントをTVで見ました。アマゾンの少数民族を布教のために訪れた宣教師が、やがてキリスト教を棄教し、信仰を捨ててしまう。キリスト教圏の、しかも牧師が棄教するという事態がどれほどのものかは日本人にはそう簡単には想像できないかもしれません。それどころか彼は離婚までして家族を失う。でも彼には確固たる信念があり、そのために言語学者になります…。それは、その少数民族をもっと深く知り、そして彼らを守るため。現在進行形の彼の研究はチョムスキーをはじめとする言語学の無効を宣言するものともなりつつあります。言語学者ダニエル・エヴェレットです。

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 ブラジル・アマゾンの奥地に、不思議な言語を持つピダハンと呼ばれる少数民族がいる。ピダハンの言語には数や色を示す言葉がなく、過去や未来の表現もない。アマゾンの豊かな自然の恵みの中で、「過去」を思い患うことも「未来」を憂うこともなく、充実した「現在」を生きているのだ。心豊かなピダハンの暮らしを、長年にわたって彼らと共に暮らした元宣教師のアメリカ人言語学者の目を通して見つめる。

   『地球ドラマチック「ピダハン 謎の言語を操るアマゾンの民」』
   2012年12月24日(月) 午前0:00~午前0:45(45分)


 1000例あまりの言葉(音声)を解析する。磁気テープに録音されたピダハンのオシャベリだ。音声を解析して何らかのパターンがあるか調べる。しかし1000例からは何の共通性もパターンも見つからない。普遍的なパターンがない?のだろうか。それは文法がないことを示しているのではないかと考えられる…。

 時制がない、色がない、数がない…わずか数百人の少数民族ピダパンの言語。母親は自分の子供を知っているが、子供が何人いるのかは知らない。映像をみるとピダハンと一緒にいるのがサル。ピダハンの子どもの隣で食べ物を手にとったりしている黒いサルがいる。また家のなかで白いサルがピダハンの隣で焚き火か何かをつついたり…。

 結論からいえばピダハン族にはチョムスキーのいう普遍文法がない。しかし、小鳥のように鳴いたり口笛で喋ったりすることもできる。さらには言葉から子音も母音を取り除いてもコミュニケーションできる?という従来の言語学の想像を絶する言語でもある。文法がない発音がない? toneと韻律で伝達する?言語? 従来音楽の方面へ発展した手法がピダパンでは言葉として発達した可能性があるようだ。

 チョムスキーのいう普遍文法がないピダハン族。音の高低やアクセントやリズムの変化で意味を伝えているピグミーの太鼓みたいな言語? ポイントは言語学者のカレン・エヴェレットが指摘する、韻律に注目しない現在の言語学が見逃している点。これは吉本隆明の言語論の方法だと明確に問題が設定できるのではないだろうか?

 ピダハン族はメロディやアクセントやリズムでコミュニケーションしていて、言語にはチョムスキー的な普遍文法がない…それは大きなヒントにもなる。メロディやアクセントやリズムは…文明国では音楽として大きな領域となっている。言語ではそれは規範の位相だ。ピダハンが意味概念への経路ではなく規範の部分を発達させたとすると…その理由は?



           
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2013年2月 1日 (金)

現在の日本をどう読む、そのわかりやすい解…『第二の敗戦期』

未帰還者となった吉本隆明さん。その半年後に出版されたのが本書『第二の敗戦期:これからの日本をどうよむか』。内容は「ぼくなんかが考える基本的なところ」。共同幻想への最後のアプローチであるハイイメージ論のスタートで現在の「情念」による「意味づけ」を「倫理によって作りだされた絶えまない説教」と「おなじ」と無効を宣言し、マテリアルとテクノロジーに託すスタンスを明確化(「映像の終わりについて」)。ラストには「過剰や格差の縮まりに対応する生の倫理を、まったく知っていない」(「消費論」)と示唆…。では、その解は? そのアバウトな応答が本書です。グローバリズムから<大衆の原像>をはじめ、わかりにくい現在が可視化されています。
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現代社会の解決はシュエハウス的なトレンドだけ?

吉本隆明さん自身による“吉本ガイド”のように読める本。初期三部作(言語にとって美とはなにか、共同幻想論、心的現象論)のような理論的なものではな く、現代社会を乗り切るための、『アフリカ的段階』以降の思索が披露されています。“アメリカはオカシイ”からはじまってラストは“シェアハウスに期待す る”的な言葉…。シェアハウスという言葉は出てきませんが「三人ぐらいでつくる集団」に期待する、「そういうことでしか可能性はない」という強力なプッ シュが印象的なラストです。

フーコーを「まったく独立派だった」、シモーヌヴェイユを「単独者として自分の考えを述べていく」人と紹介。 「単独者」はもともとフーコーの言葉ですが、吉本さんにとってはひきこもりからフツーの人や思想家までつらぬく大切な定義。単独者同志が小さな集団を作 る…というと攻殻機動隊のスタンドアローンコンプレックスを思い出しますが、それっていいんじゃないかっと思えたりもします。

いちばん難 しい問題として指摘されているのが現在のネット社会を前提としたもの。先端技術のおかげなどで簡単に成功やお金に結びつく可能性とそのためにコツコツやっ ていく事がおろそかになっているという両極に覆われてしまっている社会について…。これらの現代の格差などの問題の解決は…政党をはじめインテリ?が何か (上から)指導したりすることにも否定的で“社会を変えるには下からがいい”と吉本さんの根本的な思想が炸裂してる感じで、元気です。

憲法9条をめぐる言葉では吉本さんの思想の最大の特徴である対幻想と共同幻想の差異からハッキリとした解釈がされ、憲法9条の価値と、9条でも介入できない対幻想の世界観が述べられています。

専門用語などがなくて読みやすく、しかも吉本さんの思想と現代社会の問題の解決の可能性がつかめる一冊といえます。『言語にとって美とはなにか』を「わらない」といったり、『アフリカ的段階』を「奇書」と呼んだりした人たちの感想はどんなものなのかな、と思いました。
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