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2012年9月21日 (金)

<感情>…思考の限界と<概念>と<規範>の生成

●思考の限界は<感情>になる

 <考える=思考>というのはモノゴトを論理的に把握していくこと。そのために、そこには論理的な限界があり、<ゲーデルの定理>のような論理学上の限界はそのまま<考える>ことの限界になっています。
 論理(学)的には限界に達するとチューリングマシンやコンピュータのように<停止>(フリーズ)しますが、生物である人間は思考が停止せざるを得ない状態ではどうするのでしょうか?

 人間の場合は論理的な思考の展開が停止すると<感情>というカタチでその停止状態を保持します。<感情>には良い感情も悪い感情もありますが、ポイントはその状態を保持しているということ。保持されているために、それは楽しい想い出にもなりPTSDにもなって長期間にわたってその人間に影響を与え続けることもあります。<感情>は心理現象の動因にもなっています。また<感情>はいわゆる感動ではなく、価値判断以前の状態として<中性の感情>という<純粋疎外>状態として保持されると考えられます。

 <思考>には、もうひとつ限界があります。それは思考している最中も<思考できない領域>がある、ということです。これも論理学的には<ゲーデルの定理>であり、<思考>はその<思考>そのものを<思考>できない…という決定不能性、自己言及できない不完全性という限界として定義できます。〝私はウソつきだ〟と考えたら、その考えそのものがウソかホントかは考えることができません。思考は堂々巡りをしはじめ、いわゆるうつ病的な状態になってしまいます。<思考できない領域>があることは“クレタ島人の嘘つき”のように古くから哲学の大きなテーマです。

 心理的な機制では<思考できない領域>を再帰的に定義して暫定的に仮に解決しておきます。
 <思考できない領域>とは意識できない領域のことですから、それは無意識です。無意識のうちに<無意識=思考できない領域>を暫定的に処理(定義して)しまうワケです。ただし無意識に暫定的に定義してしまっても、再び具体的に意識するとか知覚することができれば<思考>も再開され意識されて新しい認識へとシフトしていきます。この連続が頭脳の発達を促してもいます。

●思考の限界や知覚の限界

 思考に限界があるように、知覚にも限界があります。これらの具体的に意識したり知覚できない領域そのものとは、何なのでしょうか?
 具体的に意識したり知覚できない領域というのは吉本理論では<観念>のある部分=特定の領域です。具体的な対象として感覚で感じる<知覚>と論理的に考える<思考>の領域の2つがありますが、そのどちらにも当てはまらない領域、<観念>のある特定の部分としてそれはあります。具体的ではないので<幻想>とも呼ばれる領域です。人間は具体的な<知覚>や<思考>が無い場合は容易に幻想をみることが確認されていて、心理学の実験でまったく刺激の無い部屋へ入ると誰でも30分ほどで幻想や幻覚を見るようになるというテストがあります。これは心理的な機制で、心理状態を安定させるための暫定的なもの。仮の認識を仮構していく心理的なシステムですが、トリガーが身体的・感覚的(なものからの離脱)であることが特徴かもしれません。

 この<観念の領域><幻想の領域>に生成するものは人間個体にとって具体的には把握(知覚したり思考したり)できないもの。それらはすべて身体性から離れた<関係性>ともいうべきものです。あるいは関係性は身体性から離脱(遠隔化)しなければ生成しないともいえます。

 {それがシーズになり、共同幻想(とその代同物)として神や宗教だったり昔からリバイアサン(怪物)と呼ばれる国家だったりするものへと遠隔(対称)化します。一般的には<公的>といわれるもの(が多く)で、身近かなものであり、特別なものではありません。現実のものとしては、経済では<市場>と呼ばれ、精神疾患では<妄想>と呼ばれるものもこれに含意されます。}

 この具体的ではない観念の領域・幻想の領域は具体的ではないために具体的な研究対象になったことがありません。ただ個別の現象としては、たとえば<神の手(Aスミス)>の結果としての<市場>であり経済学のターゲットとして研究されました。経済は売り手と買い手の相対取引なのに、ナゼそれを市場として、つまり全体の行為として見なすのか?というラジカルな疑問があるワケです。あるいは神学においては<神>として探究されたでしょう。心理学や精神分析では<妄想>として研究されています。
 しかし、<観念の領域><幻想の領域>が論理的に考察され、その生成の機序が明らかにされたのは吉本理論がはじめてです。

*「すべては<代入される空間性>」として仮構される…。このことを論証できる思索の可能性が吉本理論を驚異的なものにする一つ証左です。

(2013/2/14)

●<感情>の対象は心的な状態そのもの

 感情は再帰(性)や自己言及(性)の典型でありループ(している)心的現象そのものといえるもの。したがって具体的な対象はなく、〝<感情>は〟〝心的な時間性の<空間>化〟という〝中性〟の〝強度に転化する〟ことが〝本質〟だと考えられます。あるいは〝了解作用〟が〝<時間性>が介在すべきであるにもかかわらず〟〝心的空間性の領域としてだけやってくる〟〝本来的な矛盾〟とも定義されています。

 価値化からも遠隔化し離脱した<感情>は中性の強度であり、<概念>と<規範>を生成する本質として機能していきます。心的現象をドライブする強度そのものが中性の<純粋感情>そのものなのです。

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「感情の生成するとこ」から…

感情の生成するとこ
<感情>とは
<時間>として了解すべき判断を
<空間>として作動させている状態である。
 
あるいは
了解作用の<時間>性が
<空間>性として疎外されている状態である。
 
空間化された了解作用が、
対象を受容するための本来の空間化作用と二重に錯合して対象を借定するのが
感情である。
 
<感情>は消滅するのではなく、
心的な時間性の<空間>化という本質的な作用の強度に転化する。
 
対象に対する知覚の空間化度と
対象への了解の時間性が空間化した感情がシンクロした場合、
これを<純粋感情>とする。

(2001/7/29)

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