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2012年6月25日 (月)

モノクロをカラーにする<心>とシステム

 モノクロの微細な線で描かれた模様や絵が、部分的にカラーに見えることがあります。
 虹色のグラデーションが見え、際の方ではゆらゆらと動いて見えたりする現象です。心理学では錯覚だとされていますが、もちろん、これは錯覚ではありません。視力検査の時に多少ボヤけてる線の周辺がカラーに見える現象を体験した人は少なくないでしょう。
 これらは知覚として、“そう見えるようになっている”ために、そう見える現象です。つまり、そう見えるシステムがそこにはあるワケです。そのことを理論的に説明できるレベルの発見と思索は“最も難解な本”といわれる吉本隆明さんの『心的現象論序説』にしか手がかりがありません。

 ある感覚を刺激すると、他の感覚が変化して敏感になるような現象があります。文字を読む時に黒い文字に色が見えたり、音楽を聴くと景色が色彩豊かに見えたり、何かを想うと何かが見えてきたり…する、共感覚というものがあります。美味しい食べ物を思い浮かべると味覚がして唾液が出てくる…というのも単にパブロフの反応といわれるものだけではなく、これらの共感覚といわれる現象のせいもあるのではないでしょうか。詩人ランボーの文字には色がある…という有名な詩があるほどで、この共感覚という現象は珍しくはありません。

 ただし共感覚は共感覚を持っている者それぞれで千差万別。人ごとに異なる現象で普遍的ではありません。
 一方、モノクロの線がカラーに見える現象は普遍的で、誰でも経験できるもの。微細な線で描画されたものがあれば、誰でもすぐに確認できるものです。

 赤い色が“アハッ”と思うほど感動的な赤い色に見えるのも、この現象の延長にあるものだと考えられます。それが「クオリア」と呼ばれる現象の実態です。

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 問題はどうしてモノクロがカラーに見えるのか? その理由です。

 これは誰でも無刺激の部屋に入ると30分くらいで幻覚を見てしまうという心理実験で確認されている現象と似ています。感覚に刺激がないと、刺激の元(原因)をでっち上げてしまう心理作用が人間にはあり、物理的に存在しないものを観念的(心理的)にフレームアップしてしまうワケです。これは人間ならではの、想像力などの源泉となる能力の一つだと考えられるものでしょう。

 モノクロの微細な模様(だけ)では見極めがつかない…それを見極めようと、モノクロの視覚像に価値判断として着色してしまう…というのが、この現象の機序だと推論することができます。

 このことから2つの重要なことがわかります。
 人間は分からないことに対して分かろうとする強い志向性を持っている…そのために、見極められないモノクロの模様に対して、本来は知覚以降の価値判断の次元にある色彩の違いを、感覚の末端である視覚の領域にも影響させて視覚を過剰コントロールあるいはオーバードライブさせている、ということです。吉本理論の言語論の表現でいえば指示表出に自己表出が影響を与えてしまっているということであり、言語としては無価値である名詞に価値の志向を与える助詞のような意味作用が加わってしまった状態といえるでしょう。この状態がアートであり『言語にとって美とはなにか』の<美>が指し示すものになります。

 この心理的な作用=心的現象の根本には、心理を動かしている基礎となる感情があります。
 感情とは怒りとか悲しみだけではなく、むしろこういった心的現象をコントロールする動因としての機能があります。『心的現象論序説』で<中性の感情>と呼ばれるものがそれです。<純粋疎外>という概念装置を使えばこれは<純粋感情>というものになります。

 『心的現象論序説』を読むと、数行あるいは数ページにこれらの原理が提示されています。



   対象に対する知覚の空間化度と
   対象への了解の時間性が空間化した感情がシンクロした場合、
   これを<純粋感情>とする。

                           (『心的現象論序説』P135~36)


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 もうひとつ、感覚システムそのものの限界としてモノクロの微細な線の集合にカラーを感じる機序があります。これは『心的現象論本論』で詳細が説明されているもので、閾値の問題。微細すぎて感覚が受容しきれない結果としてオーバーフローした視覚情報がカラー化される過程が解説されています。



   人間は色知覚をもった他の動物とおなじように、
   白色光(画光)の統御下におかれながら、
   この統御にたいして<完備>できないとき、
   色相として対象を把握するということができよう。

                          (『心的現象論本論』P8)


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心的現象論本論

著:吉本 隆明
参考価格:¥8,400
価格:¥8,400





 “人間は人間に解決できる問題しか提起しない”というのはマルクスのクールな言葉ですが、この言葉を幾度となく実感させてくれたのは吉本さんの著作でした。

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このエントリーの「分かろうとする強い志向性」と「閾値の問題」は認識全般のラジカルなものとして文系理系といったものを超えたノンジャンルで提起され、解を求められるもの。吉本隆明は大きなヒントを示し続けてくれています。

(2014/1/13)

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