バブル崩壊、中流意識瓦解と<大衆の原像>
<大衆の原像>とは何か? あらためて考えたのは宮台真司さんの指摘がキッカケ。
コム・デ・ギャルソン論争で、どこまでも大衆を肯定する吉本隆明にギョーテンした…という宮台さんの指摘があった。ディコンストラクションなどポスモダの論者である柄谷行人さんや岩井克人さんは大衆の原像は高度成長で消失したと考えたようだ。ホントにそうなのか?
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1970年代の高度成長で大衆の原像は消失したというのも、91年のバブル崩壊あるいは97年の平成不況で中流意識は肯定できなくなったというのも、ハズれているが、半分は当たっていると解して考えることもできる。
大衆の原像は特定のエートスや何かではなく、その時その時のTPOや歴史に限定される大衆のあり方そのものであって、特定の内容があるわけでない。その証拠に大衆からは革命もファシズムも、何でも生まれる。特定の性向をもった属性があるというものではないのだ。
経済学がモノとモノとの関係をとおして社会を把握するように、社会学は多様な概念装置をとおして社会を把握しよとする。別のいい方をすれば、概念装置を手放すことはできないため、常に何らかの依拠する装置を必要とするだろう。問題はその概念装置のリアルな適合性だ。その点からは宮台さんの主張は必然だが、検証もまた必要なのだ。吉本さんがコムデギャルソンを着て中流意識を肯定した時に、大衆の原像に沿ったのか、中流意識を肯定したのかという問いはあまり意味が無い。まず考えられるべきは大衆の原像が中流意識そのものであるかどうかの是非のはずだ。事実関係からいえば、その時の大衆の原像が中流意識というものだった…ということにすぎないのかもしれない。あるいはそうでないかもしれないしズレがあるのかもしれない…。これらはそもそも<大衆の原像>の定義により大きく違ってくるだろう。
<大衆の原像>とは何なのか?
*シェアハウス的なもの=<大衆の原像>は現代をクリアするか?
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第二の敗戦期: これからの日本をどうよむか
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吉本さんが一億総中流時代では中流意識を肯定し、中流意識瓦解後はバラバラになりつつある中間共同体のそれぞれを表象する表出物(商品や作品)、個別のカルチャーを批評していったハイイメージ論などの仕事は、自覚的な作業だ。その過程でひきこもりや沈黙を肯定したのも当然。誤解してはいけないのは、サブカルを対象としたことや沈黙を肯定したことは吉本隆明自らの理論が有効だからこそ行われた作業だということ。東浩紀さんの仕事がサブカル評論だと揶揄?する論者がいるが、バブルが崩壊し中流意識が瓦解した後はサブカルから語れない者に社会は語れない。それは、マルクスは資本主義社会を何から語ったか?という問題だ。小林秀雄は文学を何から語ったか?
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国民国家があり、メガトレンドがあり、大企業があり、全般を把握する思想がある…という気楽で無自覚なスタンスからは中流崩壊以降の社会は把握できないのは当然だ。バブルと中流崩壊以降フツーに社会を解析し続けた吉本さんに対して“大衆の原像”は消失したというのは、自らの思考能力の消失を大文字の他者に鏡像させているようなものかもしれない。
そしてどの時代であろうと対幻想を基盤とする領域が基礎だという認識は変わらない。これが関係の絶対性の基盤になるものだ。諸々の関係全般が関係の絶対性だとしているのではない。ユダヤ教からキリスト教が離脱する不可逆性、知ってしまった者が不知へは戻れない不可塑性…吉本さんはそういう関係性を絶対と呼んだ。同時に対幻想から遠隔化した共同幻想も要素のマテリアルな変更なしでは関係の絶対性となる。もちろん逆にマルクスのように要素を変更すればあらゆる共同幻想を解体しうると考えることもできる。それが革命だ。
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「「大衆の原像」が像を結び続けるためにこそ、「再帰性を十分に意識した共同体自治のスモール・ユニットが大切だ」と言って欲しかった」という宮台さんの言葉がある。この言葉は半分当たっていて半分外れている。外れている分は彼の誤解によるだろう。再帰性が保障される最小単位のユニットこそ、対幻想、つまり家だ。彼はそれを見逃している。近現代の問題であり解でもあるとしてよく取り上げる近接性も、対幻想では言語や理性なしにでも肯定される。(もちろん言語や理性なしにでも肯定されるということそのものが対幻想のラジカルな定義だが)
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一般的に近接性や親和性を排除する強制力を暴力というが、逆に問答無用で近接性や親和性が肯定される暴力的ともいえる領域がある。<自然>だ。自然な近接性や親和性は性を基盤とするものがほとんどであり、マルクスでも吉本でもそれは共通の認識になっている。人間存在が個であるのに類であることを可能せしめている契機は何か?というマルクスの問い(『経哲草稿』など)は対幻想によって解答されたと考えてもいいほどのものだ。対幻想は(人)類を可能とする唯一の<自然>にほかならないからだ。逆に、長年続いてきた問いに、人間はなぜ個体化するか?個別的現存は独りなのか?というものがあるようだ。そして今後も解はなしに人間が存在する限りこの問いは続くのだろう。こういった超越論的?な問いに対しては東浩紀さんのような「ひとは何故超越論的問題に取り憑かれるのか」という問い返しが有効かもしれない(これは問うことそのものが自己発現でしかない可能性をも含意しているだろう)。解のない問いを繰り返すという常同反復行為は自己認知願望のビョーキだが、止めることはできないものなのかもしれない。
この<自然>を対象化しうる能力が人間であり、自然のままなのが動物であるのはヘーゲル=マルクスにおける自然過程と動物概念の基礎になる。この基本的な認識を貫徹、むしろ前面に掲げている思想家は東浩紀くらいかもしれない。「マルクス主義が崩壊」した(表層的ではあるが)ことを正直に嘆く東浩紀✕荻上チキの対談「「一般意志2.0」を現在にインストールすることは可能か?(最終回)」(WEBRONZAのこの記事はいつの間にか削除されている。こうやって宣言なしで不可視化されるものはあまりにも多いのかもしれない。その理由こそがいちばんの解へ至る経路のはずだが…)はいまや貴重ともいえる。この対談でデリダを援用した本当の理由を語った彼にその繊細さが顕れている。デリダが場所的限定に否定的なことを指摘しつつ、ペンと紙がなければ手紙が書けないことを主張していたというデリダの否定神学的な態度そのものを東がフォローし続けた、その理由だ。「動物的な生の安全は国家が保障し、人間的な生の自由は市場が提供する」という『一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル』での指摘はマルクス経由のリバタリアニズムやプラグマティズムっぽいが、資本論の散種?として説得力があるものだ。
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対幻想=家の近接性は家父長制に代表されるような非言説的な同調圧や、それらを積分して成立する封建制などからの離脱と自由を求めるトレンドからある意味否定されてきた。しかし311以降の絆に象徴されるだけではなく、シェアハウスにも見られるように擬似家族的なトレンドは高齢者のグループホームをはじめ、ニューファミリーの再来のような家族の見直しもあり、より顕在化しつつある。
<大衆の原像>という定理に対して、具象としてのさまざまな中間共同体の属性が問われるが、それは定理を否定するもではない。そして<大衆の原像>を導き出す公理として対幻想=親和的関係があることが最重要だ。
親和的関係が近接性なしの関係=公的関係に遠隔化する時に、その過程を判断する思索の体系を思想という。その思想は親和的関係に依拠しそれに立脚しようとする。吉本さんが「現実的な思想」と呼ぶのはそのことなのだ。
ついでに指摘しておくと、新しい共同幻想は前段の共同幻想を対幻想へと近隔化?させる…という『共同幻想論』の指摘が意味するところは大きい。
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(2015/7/7)
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