『言語にとって美とはなにか』…「自己表出」「指示表出」「共同幻想」
吉本隆明氏逝去のあと「自己表出」「指示表出」や「共同幻想」が多く検索されている。
「自己表出」「指示表出」は本書『言語にとって美とはなにか』の代表的なテクニカルタームだ。
本書は「戦後最大の思想家」といわれた吉本隆明の代表作。「戦後最大の思想家」というのは新聞に掲載された吉本本の宣伝のキャッチコピーで、このあとに「僕たちはこの人を超えなければならない」という言葉が続く。政治的な『共同幻想論』、心理学的な『心的現象論序説』とともに吉本の原理論を構成する初期3部作の一つで言語学であるとともに批評の学ともいえる。
吉本理論で有名になった言葉で<共同幻想>があるが、これには3つの呼び方がある。心的現象論では<幻想的共同性>、言語論では<社会的幻想>と呼ばれ、<共同幻想>というのは共同幻想論での呼称だ。それぞれのスタンスで同じ公的幻想(マルクス)への呼び名が異なるようになっている。概念装置としてディテールまで考慮された用語でもあるのだ。
このことに対しての評価は賛否両論で失笑したくなるものもあるが…。
『構造と力』で衝撃のデビューをしたアンファンテリブル浅田彰氏は『近代日本の批評』(浅田彰, 三浦雅士 , 蓮實重彦, 柄谷行人 )紙上で「テニヲハが合っていない」「用語が我流」で「論理的につながっていない」「最悪の意味で「詩的」」と『言語にとって美とはなにか』をdisり、一方で橋爪大三郎氏(『永遠の吉本隆明』『はじめての構造主義』ほか)は「吉本術語は」「最小限の用法」で「読者の多くが知っている概念になるべく即して、自説を展開しようとする」と評価し、「フランス現代思想」を「あるところでは先んじている」と「高く評価できる」としている。
この差は何だろうか?
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<自己表出><指示表出>は言語の属性を表していて、それぞれ両極となる言葉だ。
すべての言語(品詞)がこの2つの属性の間に入る。注意すべきはこの両極は完全に分離されているという意味ではなくグラデーションになっていること。ポスモダ式にいえば<自己表出>はパフォーマティブ、<指示表出>はコンスタティブに対応するだろう。
吉本の著作なかではよりデリケートに扱われていて、自己表出は確定されるもので指示表出は決定されるものである。自己表出の代表的なものは助詞、指示表出の代表的な品詞は名詞。つまり、自己表出の概念は自己の内面(納得し確定する)のもので、指示表出の概念は他者あるいは公的に決定されているものだ。第三者の審級といった意味も含意するだろう。
助詞と名詞が両極だが、すべての言語はこの2つのグラデーションの統一体であり、かならず両者のニュアンスを含んでいる。
自己表出で<犬>というと、自分が飼っている犬のことだったり、犬と散歩に行くスケジュールの事だったり、そろそろドッグフードを買っておかなくちゃということだったり、それぞれの個人に固有の認識にともなう<犬>の概念になる。つまり価値判断としての<犬> だといえる。指示表出は<犬>という動物を示している。名辞概念としての<犬>であり、そこには個人による価値判断は含まれていない。対象を指し示す形態とその規範としての<犬>なのだ。
自己表出の代表である助詞の場合はこれらが極端になる。たとえば助詞の<は>や<が>だけでは何を示しているかは不明だ。名詞や動詞などをともなって主体の意志(価値判断による)による志向を示すのであって、それ自体では他者にとっては不明だ。つまり社会性を示すことができず、主体の内面だけの何らかの表出ということ以外には意味内容を決定しえないのだ。
芸術とはこの自己表出のポテンシャルが高まって指示表出を獲得しうるようなものをいう。公的な指示ではなく自己の沈黙を基点とする何らかの表出がそれ自体で公的な水準の価値を超えてしまったものであり場合だ。これは逆に表出を享受する場合でも同じで、単なる指示表出から沈黙に至るまでの豊富な価値を感得できるかどうかということであり、また未熟な表出から何らかの内面を見出そうとするのがセンスでもあるだろう。ホントの詩人は石とも話すというのは、そういうことなのだから。
吉本隆明が芸術言語論として最期に言いたかったことは、彼が最初に活動し始めたときの問題そのものだったのではないか。
戦後最大の思想家は大きな課題を残して逝ってしまった。
私たちは彼を超えられるのだろうか?
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