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2012年1月31日 (火)

『一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル 』…全面肯定の思想

<一般意志2.0>はDDイデオロギー?!…たとえばアキバのイデオロギーDD(誰でも大好き)は世界に全面肯定のスタンスで臨む…

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<一般意志2.0>はDDイデオロギー?!

●ルソー版一般意志からアップデートした<一般意志2.0>
 本書『一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル 』で再び注目を集めているのがフランス革命の契機となったルソーや社会契約論。本書のキッカケも、そこだ。ベンヤミンの<アウラ>やラカンの<対象a>がマルクスの<剰余価値>をヒントにして生まれたように、本書の<一般意志2.0>はルソーの<一般意志>をキッカケにしている。著者がバージョンアップというように<一般意志2.0>と<一般意志>は近く、本書ではルソーのそれは<一般意志1.0)>とされる。

 タイトルには「ルソーフロイト」といったオーソドキシーとITを代表する「グーグル」が並び、本文でも相当量をさいて援用されている。特にルソーとその<一般意志>は本書のメインだ。一般意志については各章で繰り返し述べられるが、ルソーにもとづいた根本的な定義は以下のようなもの。

P44
全体意志は特殊意志の単純な和にすぎない。
しかし一般意志は、その単純な和から「相殺しあう」ものを除いたうえで残る、
「差異の和」として定義される。

 この<一般意志1.0>と(本書では)されるルソー版一般意志からアップデートしたのが<一般意志2.0>。本書の主唱するオリジナルな思想?だ。

●少数の専門家よりも多数のアマチュア
 <一般意志>の可能性に期待する<一般意志2.0>という思想。それを担保しているのはスコット・ペイジの思想?だ。本書のP31~32で紹介されている「多様性予測定理」と「群衆は平均を超える法則」(参考『「みんなの意見」は案外正しい』)の2つ(『「多様な意見」はなぜ正しいのか 衆愚が集合知に変わるとき』で紹介されている)で、ある意味でルソーそのものより重要かもしれない。一言でいえば多数のアマチュアの意見は少数の専門家の判断より原理的に正しいというもの。衆愚がプロを超えるという事実を複雑系の研究は実証してしまったのだ。

 これはルソーの一般意志を発展的に実証したともいえる研究成果だろう。民主主義は全員参加が理想であり、全員の意志が何らかの形で反映されることは最重要な目標のはず。全員が全員であるほど(より多様であるほど)正しい意見と正確な予測が可能になるという発見は、既存の民主主義のイメージと大衆の概念をリセットし、それら(一般意志)を絶対に肯定できるものとして再把握させてくれる。

●感覚(モノ化)し認識(考える)する
 本書の<一般意志>を補強する重要な部分は『エミール』にも負っている。『エミール』は教育関係者なら必読だろうが、現在の日本の教育は『エミール』の真逆にいく可能性があり心配なところ。著者は他者の言い分が(を)モノ化する(させる)ことをエミールから援用して説いている。エミールの基本はシンプルで、理解力が未熟な幼少期・児童期には具体的な経験(だけ)をさせろ…いわゆる「消極教育」「実物教育」 というもの。樹に登って落ちると痛いし怪我もする、不注意に走り回っていれば転ぶこともある…というように遊びや生活行動の中で具体的な経験をさせることにウエイトをおいている。行動させその結果との因果を考えさせることを繰り返し体験させる。感覚による体験とそこからの反省や考えることによって理解力、認識力を身につけていく…これが理想の教育だ。逆に幼少期に抽象的なことを教育すると理解力が歪んでしまう。神はいるとか国家は絶対だと教えると、その部分だけ認識が棚上げされ(絶対視され)客観的な認識ができなくなるからだ。典型的な洗脳でもある抽象的な価値判断をルソーは人間の間違いの源と考えた。ルソーが客観的な認識のリソースとしての百科全書(モノの列挙)に参加した理由がこれだ。宗教や王権という抽象的な世界観から百科全書的(モノ化し論証可能)な世界観への移行…フランス革命を準備したのは当然だろう。
 他者(の意志)をモノとし、その総体を一般意志2.0(<一般意志>とはトレンドの総量とその属性のこと!?)とする本書は、他者への絶対的な肯定を前提としているといえる。コミュニケーションのいらない政治を主張し、他者への絶対的な肯定を前提とするのが著者の主張なのだ。朝生TVで橋本大阪市長の政策や説明に対して、異議はないがどこかオカシイ、優しさがないと指摘した著者のセンシティヴな認識は、いまこそ貴重だろう。

●コミュニケーションを超える
 コミュニケーションが前提ならばコミュニケーションスキルが高いものが決定権を握る機会が圧倒的に多いだろうし、民主主義が多数決ならば常に多数派の意見だけが通る。そうやって能弁は寡黙に勝利し、51票は50票に勝ち続けるだろう。しかもアローの定理のように「民主主義は成立しない」ことを証明する数理的な結論を得ても、何も解決しない。それどころか既存の情況を正当化し現状保守を補強するだけかもしれない。

 そういった現実に対して、著者はオタクやアキバのローカルルールやAKBファンのようにDDを主張しているともいえる。DD=誰でも大好き…。圧倒的な他者への肯定が著者の主張の根幹にあるのだ。著者の仕事をオタク論議やサブカルレベルと見下す?ような有名な論者もいる。評価すべきは逆だと思う。オタクやサブカルを語れるからこそ根本から政治を語れるのだし、少なくとも従来の旧態依然としたスタンスとは違う。常に外部を肯定し留意する著者の視点は他の論者にはないものだ。著者がひきこもりでオタクだったらしいルソーから見出したものは大きい。
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2012年1月16日 (月)

『一般意志2.0』…市場の要素としての<一般意志>?!

『一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル 』…微分された共同幻想

 初期の村上春樹みたいな書き出しからスタートする本書、『一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル』。そういえば著者は作家でもあったのだ。作家が連載ものを書くときに、あらかじめ数回分の文頭と文末を書いておく(理想的には全連載分を書いておく)ように、本書の各章の文頭と文末は(カッコよく)キマっている…。

 著者東浩紀の初論文?であるソルジェニーツインの研究(収容所=スターリン体制の研究で、それが統計的な計画であることの発見は著者に決定的な影響を与えた)で、そのロシア語能力は島田雅彦がほめるほど。そうした能力を活かし、本書はルソー社会契約論の翻訳が意訳を逸脱し原著の意味と全く異なっているのを発見したことからはじまっている。
 資本論のディーツ版の第一版にだけ記載されていた短い言葉の意味をめぐって柄谷行人の思索がはじまったように、著者もささいな意訳が決定的に意味を違え、大きな誤解を招いていることを発見してしまう。この意訳はバタフライ効果とも違って原著や著者をある意味で冒涜するものであるかもしれない。

           
一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル

著:東 浩紀
参考価格:¥1,890
価格:¥1,890

   

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 すべての人間の人生を集めたら、それは歴史になるか?…もちろん、ならない。歴史は多くの人々が集まって作るけど、それを個々の人々には還元できない…歴史解釈のムズカシイところがここ。世界も同じで、すべての人の生活を集めたらそれは世界なのか?もちろん、そうじゃない。ヘーゲルはあいまいに精神だの意志だのを世界や歴史の源と考えたかもしれないけど、そんな観念論はいまや通用しない。ただ個人と世界の関係を媒介してるものは知ることができる。市場だ。 

 市場は個と全体の関係そのものだけではなく、そのバランスを調整しているとも考えられる。世界の特異点を均衡させているのは市場なのだ。あるいは均衡させようとする動きを市場と呼ぶ。

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 均衡は取り引き=交換という作動で生成する。取り引きの要素はプラスとマイナスに抽象できる。プラスとマイナスで相殺(取り引き)した結果が市場の結果だ。結果は2つに抽象できる。{+/-=<ゼロ>}の場合と{+/-=<余剰>}だ。結果が<ゼロ>というのはそのまま<均衡>したと考えられる。結果が<余剰>の場合は<+>か<->に偏っていることを意味する。

 問題はここ。この偏りは個別の相対取引であっても市場の全体であっても、ある種のトレンドを示している。これが政策を登場させる契機であり、政治が必要となる理由だ。この偏りを是正し均衡を取り戻すための方便が政治というものだからだ。この偏りやトレンドを計測計量し、均衡へ導いたり是正したりするために政策を立案し実行するのが政治という仕事だ。静態的には、基本的に政治の内容は均衡をもとめて偏りやトレンドを相殺するものとして発現する。

 そのために政治の大前提となるのは、まず基本としてトレンドの総量と属性をキチッと把握することだ。本書はこのトレンドの総量と属性を観測・計量することを目的としたスキームについての本だともいえる。<一般意志>とはトレンドの総量とその属性のことだからだ。

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 資本主義の市場では一方が<+>であれば他方は<->で、量的にはこの<+>と<->は等価だ。一方が凸した分だけ他方は凹むわけで、この部分が一般的には利益(利子)であり経済学的には剰余価値をベースとした何らかの価値の発現だと考えられる。

 結果が<ゼロ>である{+/-=<ゼロ>}の場合は、そのままで均衡していることになる。この積み重ねは本源的蓄積として市場をめぐる基礎(構造)を強化していく。表象としてはこれが<全体意志>のコアでありモノ化した部分といえるかもしれない。アルチュセールならば重層的決定の成果だ。現代思想が流行した頃の言葉でならば<構造>であり、それに対して<一般意志>は<ノイズ>といえる。重層的決定を全体意志とするならば、<一般意志>は吉本隆明のいう重層的非決定とオーバーラップするものだ。

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 翻訳が思考の主要で大切な能力である構成同一性を体現するように、著者はさまざまなタームを自由に行き来しながら思索を重ねている。領域も射程も広く深い思索を読みやすいエッセイ風に仕上げたのが本書なのだ。

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 ググるとノージックについてクールに書き留め『一般意志2.0』について述べているコラムを発見。リバタリアニズムの文脈で『一般意志2.0』を捉えたスタンスは明確で事態を俯瞰させてくれます。橘玲氏の公式サイト「Stairway to Heaven」はある意味で自己確認することができ、なぜ日本で思想が無化されるか…についても考えさせてくれます。

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